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怨霊の叫びを聞いてくれ

 宣言通り、デイジーは伯爵の前でいわゆる「怖い話」をしないようになった。


 だからといって特段、何かが変わるわけではない。デイジーはもともと、必要以上に伯爵へ話しかけることをしなかった。伯爵の愛人が怒鳴り込んできても、下世話な連中が伯爵の女癖の悪さを吹聴しても、わざわざそれを伯爵に報告することはしなかったのである。


「おはようございます、旦那様」

「いってらっしゃいませ、旦那様」

「お帰りなさいませ、旦那様」

「おやすみなさいませ、旦那様」


 口を開くとすれば、この四つのフレーズくらいだ。本当にただ義務として、内心どんな感情を持っていようが最低限口にするだろうそれを淡々と零すだけ。これなら言葉を覚えたての三歳児の方がよく喋るだろう、というぐらいデイジーは不愛想だった。その塩分多めの塩対応に苛立った伯爵が何か行動を、と思った結果が先日の『あなたも私も井戸へGO!』騒動だったわけだが今となってはそれも伯爵のフラストレーションを燻ぶらせるばかりとなっている。


 面白くない、あぁ面白くない。デイジーのあの澄ました顔を思い出し、腹が立ってきた伯爵に「ブルーノ様?」と子猫のような声がかけられる。


「怖い顔をして、どうかなさったのですか? せっかくの二人の逢瀬なのです、嫌なことなど全部忘れて今はどうかこの私、ダリアだけを見てくださいまし」


 そう言って女、ダリアは甘えるように伯爵の腕へしなだれかかる。


 太陽光のような真っ赤な髪が印象的な、どこかあどけなさのある美女。自らの愛くるしさを活かし、子猫のようにふるまう彼女に伯爵はすぐ意識を持っていかれる。


 いけない、今はあんなつまらない女のことなど考えている場合ではない。目の前にいる女に最大限尽くし、惜しみなく愛情を注ぐ。それが男としての誠意であり矜持なのだ、と伯爵は自らに言い聞かせる。冷静に考えれば誠実さの欠片もないその行動は、しかし伯爵の中では矛盾なく成立しているものだった。それを知ってか知らずか、ダリアは熱っぽい視線で伯爵に話しかけてみせる。


「ねぇ、ブルーノ様。私、見たい舞台がございますの。私が贔屓にしている女優が主演の舞台で、とっても面白いと評判の劇なのです。今度ぜひ、二人で見に行きませんこと?」

「あぁ、もちろんさ。君と共に過ごせるのならどこへでも行こうじゃないか。それで、舞台のタイトルは?」


 ダリアのように美しい女と一緒なら、何をしても何を見ても天国だ。伯爵は本心からそう思いながら、ダリアに尋ねてみせる。するとダリアの方も嬉しそうに微笑み、悪戯っぽい笑みと共に伯爵の問いへ答えてみせた。




「『怨霊の叫びを聞いてくれ』ですわ」




「……は?」


 ダリアの返事に、伯爵は間抜けな声を返す。


 怨霊。この世に何か強い恨みを残して、死んだ者の霊。その思いを晴らすため、生者に災いをもたらそうとする霊。それが叫んでいるとなれば、その内容は呪詛に近いもので間違いないだろう。まして『聞いてくれ』などと自己主張しているだから、よほど何か言いたいことがあるに違いない。怨霊の叫びを聞いてくれ。その叫びの内容は何だ? 一体、何を聞いてほしいんだ? ぞわりと背筋が寒くなる伯爵を前に、ダリアは艶っぽい笑みを浮かべたまま舞台の話を進める。


「なんでも興行収入・観客者数・評論家のレビュー全てが歴代最高記録を叩き出していて、隣国の王家にも絶賛されたと話題の舞台だそうですの。主演女優のファッションも人気で、そのデザインは今後の社交界のトレンドになるだろうと言われていまして……きっと私も同じドレスを着ることになるから、ブルーノ様にもぜひ一緒に見てもらいたいんですの。ダメ、でしょうか?」


 上目遣いに尋ねられれば、伯爵の頭の中では「緊急事態発生!!!」と警報が鳴らされていた。


 怖いなんて言えるものか。嫌だなんて言えるものか。今のダリアの話が本当であるなら、話の種として知らないわけにはいかないだろう。後々、「伯爵という地位にあるくせに世間の流行の一つも知らないのか」などと陰で笑われれば伯爵家の立場に関わる。それに今後、ダリアにドレスを送る時に彼女を喜ばせたいのなら話題のデザインを知っておくことも必要だ。女を手元に置きたいのなら、女を研究し喜ばせてやらなければならない。社交界きってのプレイボーイが、色男の中の色男である自分がそれをしないなど以ての外だ。


 だが、何よりも――気に入った女の前で「タイトルが怖いから見たくない!」なんて正直に言えるほど伯爵は恥知らずでも、素直でもない。


 ぎこちなく肯定の返事をしてみせれば、ダリアは麗しい笑顔で伯爵の心を満たしてくれる。だが、伯爵の心の奥に一度根付いたその不安は消し去ることはできなかった。


(怖い怖い怖い……! 絶対怖いのに、どうしよう……!)


 怨霊と同じぐらいそう叫びたいのを伯爵はダリアの手前、必死に抑えているのだった。

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