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君は契約妻なのだから余計なことを口にするな

「この本……旦那様も読んでいらっしゃるのですか?」


 ふとした拍子に伯爵の机に置かれていた本が目に留まり、思わずそう話しかけたデイジー。

 会話らしい会話などほとんどない、ただ事務報告だけがなされる夫婦の会話に珍しくどうでもいい雑談が入ったことに驚きつつ、伯爵は答える。


「あ、あぁ、まぁな。先日、友人に『最近こういう本が流行している』と聞いたから、試しに読んでみることにしたんだ」


 浮気性の男はしょうもないところで嘘をついてしまうものである。素直に「サラから聞いた」と答えなかったのは伯爵の男としての矜持か、デイジーを気にかけていると思われたくないがためか。だがデイジーはそんな伯爵の様子など気にも留めず、目を爛々と輝かせて喋り出す。


「その本、とても面白いですよね。ある話では井戸の底から女の怨霊が皿を数えながら現れてきたり、また別の話では井戸から這い出てきたと思ったらいきなりガラス面から飛び出してきて体験者を恐怖のどん底に陥れたり。どれも背筋がひやっとして、とっても面白いです。最後の方ではなぜ井戸と幽霊が結び付けられるようになったかを考察するミニコーナーもありますし、とても読みごたえがあります。子どもの時、何気なく手に取った本ですが私にとっては忘れられない一冊で……旦那様と結婚する時の嫁入り道具にも、その本がしっかり入っているんですよ」


 どこかウキウキとした調子で話すデイジーに、伯爵は生返事で答える。それは結婚して初めて見せた妻の人間らしい感情に思わず見とれてしまったから――ではない。




(言えない……これ読んだ日、めちゃくちゃ怖くて寝不足になったなんて……絶対に言えない……!)




 伯爵は今まで怪談に興味がなかった。だから耐性がないし、ありふれた話でも十分に怖がってしまう。皮肉にも問題の『井戸へGO!』を読んだことによって、伯爵はそれを痛感することになってしまった。


 なんであんなふざけた題名で真面目に怖い話をしているんだ。主人からあまりに厳しい叱責を受け世をはかなんで井戸へ身を投げたメイドの幽霊とか、井戸に突き落とされて死んだ美しい黒髪ロングの女幽霊が井戸から這い出てきて次々人を呪い殺すとか……おかげで井戸に近寄るのすら怖くなってしまったじゃないか。だが、それを素直に伝えたなら一介の侍女にすぎないサラ、そっけない契約妻のデイジー、そしてもこの真面目さの欠片もない題名を書いた作者にも負けたようで悔しい。だから伯爵は素知らぬ振りをして――女扱いの上手く、口も回るものだから平気なふりをするのは簡単だった――適当にデイジーの言葉に相槌を打っていると、デイジーが「そういえば」と急に切り出す。


「その本に掲載されている話の多くは言い伝えや噂によるものだそうですが、この国にももちろんそのような類のお話が数多く残されているのですよ。例えば自らの首を持って走り回る騎士の霊の話があって……」


 今までになく、熱っぽい口調で嬉々として語り始めるデイジー。それが伯爵に対する愛の言葉であるとか、浮気に対しての恨みつらみであれば「君は契約妻なのだから余計なことを口にするな」と跳ね除けることができるのだが、今の伯爵にはそんなことできない。なぜなら伯爵は「怖がりのくせに怖いものが好き」というタイプの人間が抱えがちなジレンマ、「本当はすごく怖いし続きを聞かない方がいいはずなのに、気になるから怖い思いをしながらもつい物語へ耳を傾けてしまう」状態に陥っているから!


 ついでに女の前では常にいい格好をしていたい伯爵にとって、本当に実在するかどうかもわからないものの話でビクビク、おどおどすることなど彼の矜持に関わる行為だ。例え内心で縮み上がっていようが、足がガクガクと震えていようが、それを悟られるなどあってはならない。世の女性が見とれると自負している顔を涼し気に保ち、必死に冷静さを装いながら伯爵はデイジーの話を聞き続ける。


「……というわけでその霊が来ると次の死者が出るということで、地元の人々からはとても恐れられているそうです。もし私が死ぬ時は、ぜひそのお顔を拝んでみたいものですわ……」


「ふ、ふん、そうなのか。まぁ、今度友人や新しい女と話すことがあったら面白い話のタネにしてやるよ」


 ブルーノ伯爵が内心、悲鳴を上げたくなるのを堪えながらできるだけつんとした態度でそう返してみせる。ブルブルしすぎて膝が笑うどころか捧腹絶倒している様が机で見えないからいいものの、もし今背後から「うらめしや……」なんて声を掛けられたら彼はショックであの世行きだろう。幽霊を怖がっているうちに幽霊の仲間入りを果たしました、なんてことになったら洒落にならない。


 契約妻であるデイジーはそんな彼の様子を知ってか知らずか、「どうぞお好きに」とだけ答えてすぐにその場を立ち去っていく。どことなく弾んだ足取りで、楽しそうにしていたのはブルーノ伯爵の邪推によるものだろうか。


「……いや、怖くないから。僕は全然、何も怖くないからな」


 ぶつぶつと、自分に向かって呟き続けるブルーノ伯爵は顔面蒼白であり、正直そのへんの幽霊よりよっぽど恐ろし気な表情をしていたことは誰も知らないのだった。

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[良い点] 面白いです! 『言えない……これ読んだ日、めちゃくちゃ怖くて寝不足になったなんて……絶対に言えない……!』に笑わせていただきました。 サラさんの立ち位置がすごく良いですね。 彼女が今後も…
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