ご利用は計画的に
「和泉千景! これまでの所業、許されるものではない! 婚約を破棄させてもらう!」
朝の挨拶を終えたばかりだと言うのに、突然そう言われてしまい、校門の前で千景は困ったように首を傾げてしまう。
人が行きかう校門前で婚約者の二階堂博人が居たため、自分を待っていてくれたのかと思い、朝の挨拶をしたばかりなのだが、これは一体どういうことなのだろうか?
いや、ある意味千景を待っていたことに変わりはないのだろうが、まさかこんな用事で待たれていると誰が思うだろうか。
彼女にしたいランキングナンバーワンであり、学園内美少女ランキングナンバーワン、品行方正、まさに絵に描いたようなお嬢様である千景がなにをしたというのだと、校門前を通りかかった人たちは足を止め、寸劇を観劇している。
「志乃に対してしたことを俺が知らないと思っているのか、全て志乃から聞いている! それに、お前が志乃に対して酷い態度を取っていると言う証言だってあるんだ! 言い逃れが出来ると思うなよ!」
「志乃さん、ですか?」
首を続けて傾げたまま、千景は困ったように聞き返す。
正直に言って志乃という名前に覚えがないのだが、いったいどこの誰だろうか。
しかも千景が冷遇したと言う証言があると言うが、千景にとって志乃という女性に心当たりが本当にないのだ。
「志乃さんというのは、どこのどちら様でいらっしゃいますか?」
「とぼけるな! 俺のクラスの子だ! あんな真似をしておいて、よくも抜け抜けとそんな事が言えるな! いいか、志乃は陰に隠れて一人で泣いていたんだぞ!」
「そう仰いましても、どなたなのか本当に存じ上げませんのよ」
「いいだろう! 今日の昼間、学食でお前の罪をつまびらかにしてやる!」
まあ、授業もあるし朝のこの時間の寸劇を長く続けるのもなんだろう、と千景は思いつつも、立ち去って行く博人を見送った後、自分も校舎の中へ向かっていった。
ちなみに、千景と博人は同じクラスではない。
半年に一回行われる実力テストでの成績順でクラスが決まるため、千景はAクラスで博人は隣のBクラスとなっているのだ。
つまり、クラス替えはこの学園に関しては半年に一度行われ、席順に関しては毎月行われる定期テストの成績順となっている。
他の学園に通う千景の友人からはその特異性に首を傾げられることも多いが、初等部の時から通っている学園の為、これが普通だと千景は思っている。
逆に、年に一度のクラス替えではスパンが悪すぎるのではないだろうかと思えてしまうほどだ。
だからなのか、この聖ジュリア学園高等部には成績の良いものから悪いものまで、一学年千人が所属するマンモス学園になっているのだ。
もちろん、千景のように初等部からの生粋の子もいるが、外部生を受け入れていないわけではない。
初等部、中等部、高等部、大学部、大学院部となっていけば行くほど、受け入れ人数が増えていくのだ。
有名校に名を連ねているこの私立学園に入ること自体が一種のステータスになるほどであり、政財界の子女はこぞってこの学園に通いたがる。
そうして、午前の授業が終わり、朝の事などすっかり忘れていた千景は、いつも通り学食へ向かい、そこで友人達と食事を取っていた。
そうすると、何故だかは知らないが、息を切らした博人がやって来て、千景を指さしてくるため、朝の出来事などすっかり忘れていた千景は再び首を傾げて困った顔になってしまう。
そこでようやく今朝の事を思い出し、丁度食事も終わったこともあり、千景は座った体勢のまま、博人の言い分を聞くことにした。
博人の横にはどこかで見たことがあるような、ないような学生が立っており、その子が志乃という娘なのだろかと千景は思うと、友人達に志乃という少女を知っているかと聞くと、やはり知らないと言われてしまう。
友人も知らないとなると、本当に志乃という少女は何者なのだろうかと千景は困ってしまう。
「探したぞ千景! いいか、志乃にしたことをこの場でつまびらかにしてやる!」
「その隣にいらっしゃるのが志乃さんでいらっしゃいますか? 申し訳ないのですが、やはり覚えがございませんの。私はその志乃さんに何をしてしまったと言うのでしょうか?」
「よくもぬけぬけと言えたものだな! 証言があるんだ、お前が志乃に対してした冷遇、非道についてな! 時に足をひかっけて転ばせたり、酷い時は階段から突き落とそうとしたそうじゃないか!」
「……申し訳ありませんが、人違いではございませんか?」
「なにを言う! お前以外に誰がいるっていうんだ。志乃は泣いていたんだぞ。なにが学園の人気者だ! 裏では弱い者いじめをする悪人じゃないか!」
「えっと……ごめんなさい、まず転ばせたと言う事ですが、私はそんな事をするほど暇ではありませんし、階段から突き落とすと仰いましても、その理由がございませんでしょう? 何かの間違いではございませんか? と、いいますか、実際に階段から落ちましたら大事件ですし、騒ぎになると思うのですが、それがないという事は、実際にはそのようなことは無かったという事なのではないでしょうか」
「そ、それは……」
「咄嗟に手すりにつかまったので事なきを得たんです。私、本当に千景さんに酷い事をされました……。誰にも言えなくてつらくて、うぅ」
「泣くな志乃。今は俺が付いているだろう」
「う、うん。嬉しい」
咄嗟に行われる三文芝居に付き合うべきか千景は考え、静観することに決めた。
「私、ずっと苦しかったの。あの日博人君に泣いているのを見られて、本当にどうしたらいいのかわからなかったけど、博人君は本当に私の事に親身になってくれて、公平な目で見るために証人まで集めてくれて、私、本当に嬉しいんだよ」
「そんな大したことはしていない。俺は正しい事をしただけだ」
証人やら証言やらは一体どこから出てきたのだろうかと千景は思ったが、もう少しの間、この三文芝居を見る事にした。
そもそも、博人との婚約自体が千景にあまりに舞い込んでくる婚約に対する仮の措置であって、大学に進めば自動的に破棄になることが決まっている物である。
なのにもかかわらず、突然婚約破棄と言われても、千景としてはその予定が早まっただけでなく、予定されていた本来の婚約者との婚約が早まるだけなので全く構わないのだが、何を求められているのだろうか、と考えてしまう。
そして、この婚約が仮の物だという事は、婚約を結んだ六歳の時にちゃんと博人にも言ったはずなのだが、忘れてしまっているのだろうか、とも思う。
「私、あの時思ったの。この世界で頼れるのは博人君だけだって。私が信じられるのは博人君だけだよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ。俺も志乃の事を信じているからな」
「ありがとう。博人君にそう言って貰えるだけで幸せだよ」
「志乃……」
「博人君、私……」
「いいんだ、志乃の気持ちはわかっている。俺だって同じ気持ちだ。親の決めた婚約者なんてくそくらえだ。今すぐにでも婚約破棄をするから安心してくれ」
親の承諾は得ているのだろうか? と、千景は思いつつも、三文芝居を見続けている。
それにしても、最近読んだ婚約破棄物の小説にそっくりだと思っているが、まさか自分がこんな目に合うとは思わなかった。
あと半年待てば自然と婚約破棄になるのだが、そんなにも待てないほどに志乃という娘に惹かれているのだろうか、と考え、そこまで惹かれているのであれば、自分がその恋路の邪魔をすることは無いだろうと結論づけ、千景は親に婚約破棄をしたいと言う旨のメッセージを送ると、すぐさま、レスが返ってきて事情を詳しく尋ねれらてしまい、答えに困った千景は実況放送をするという形で親に伝えることにした。
スマホを通話状態にしたまま、千景はすっかり二人の世界に入り込んでいる博人に声をかけた。
「二人の世界に入っているところ悪いのですが、つまるところ、私がその志乃さんとやらに嫌がらせをしたため、婚約破棄をしたいという事でよろしいでしょうか?」
「そうだ! 証言もちゃんとある。なんだったら証人を呼んでも構わない」
「そうですか、それはお好きにしていただいて構わないのですが、私は本気でその志乃さんを知らないのですが、人違いなのではございませんか?」
「そんなはずありません! 私、確かに千景さんに酷い事をされたんです!」
「そうですか……。で、その証言というのは如何なものなのでしょうか?」
「いいだろう! 今すぐ呼ぶから待っていろ!」
そう言うと、博人はスマホをいじりだす。
おそらくその証言する証人とやらを呼び出しているのだろう。
しかしながら、やってもいない事の証人とはこれ如何に? と千景が思っていると、食堂の入り口から何人かの女生徒が入ってくるのが見えた。
彼女達が証言をするのだろうか。
「俺に話してくれたことをこいつに言ってくれ!」
「私、見てしまったんです……。千景さんが志乃さんに酷い事を言っている場面を」
「いつの事でしょうか?」
「それは……は、始まりは半年前の新学期です。Bクラスの志乃さんを馬鹿にしたところから始まって、それがどんどん酷くなっていったんです」
「私も見ました。志乃さんの事を千景さんが転ばせていました」
「いつそのような事をしていたと言うのでしょうか?」
「……最近では一週間前です」
「一週間前ですか? 先週は生徒会の用事が忙しくて人に構っている時間などなかったのですけど、人間違いではございませんか?」
「千景さんを見間違えるはずがありません!」
「そうですか?」
「私は千景さんが志乃さんを階段から突き飛ばすところを見ました! えっと、先々週の事です」
「先々週は、生徒会の用事で他の学園との交流会がありましたので、そんな時間は無かったと思うのですが……」
「いちいちうるさいぞ千景! こうして証人がいるんだ! いい加減認めたらどうなんだ!」
「やってもいないことを認めるわけにはいきませんわね。申し訳ないのですが、わたくしの方も証人を用意させていただいてもよろしくて?」
「なんだと?」
「先ほども言ったように、私も暇ではございませんので、私の休み時間や放課後一緒にいた友人に証言をお願いしたいのです」
「そんなもの、偽証されるに決まっているだろう! 信用できるか!」
「あら、ではそちらの方々は、その志乃さんの友人ではございませんのね?」
「それは……」
「ご友人なのでしょう? でしたら私も友人を呼んでも構いませんよね?」
「……呼べるものなら呼んでみろ」
「では、先ず生徒会のメンバーを呼びますね」
千景がスマホを操作すると、生徒会のメンバーを呼び出した。
すぐに駆け付けたのは副会長をしている一年後輩の淀宮和幸で、食堂の雰囲気に目をぱちぱちとさせている。
「呼び出してごめんなさいね、淀宮君。実は、私の放課後の行動について証言をしてほしいの」
「会長の放課後の行動ですか?」
「ええ、先週と先々週の話なのだけど」
「それだったら、先々週は他校との交流会があったから、授業が終わるとすぐに生徒会メンバー全員で他校に行きましたよね。先週だと、もうすぐ開催される学園祭の準備で授業が終わると放課後はすぐに生徒会で調整で苦労していました」
「ありがとうございます。では、次に友人に私の休み時間の行動について説明してもらいたいと思います。私、移動教室の時以外は基本的に教室で過ごしていますので」
千景がそう言うと、一緒に食事を取っていた友人達が頷く。
「移動の時も一人になる事なんてありませんでした。千景さんを一人にすると、すぐにファンに囲まれてしまうから、私達が付いているんです」
「だ、そうですけれども、この証言を覆す証言はそちらは出来ますでしょうか? まあ、出来ないのでしたら平行線ですので、民事裁判に持ち込んでもよろしいのですが」
「民事裁判!? なんでそこまで大きな話になっちゃうんですか!」
「あら、勝手な婚約破棄ですし、私の名誉を傷つけられているのですから、名誉棄損で訴えることも可能ですよね。それで、どうしますか?」
「……」
「裁判なんて、そこまでしなくても」
「私はいっこうにかまいませんよ。だって、私は無実ですからね。なんだったら、他校の方の証言を求めてもよろしいのですよ。それとも、探偵を雇って、より具体的な証拠を集めさせましょうか?」
「ど、どうしてそこまでするんですか」
「逆に聞きますが、どうしてそこまでしないと思うのですか? 私の名誉を傷つけるような真似をしていますので、民事裁判に持ち込まれてもおかしくはないでしょう?」
「そんな……。異常です」
「何が異常なのでしょうか? 詳しく説明してくださいますか?」
「私は、そんなつもりはなくて……」
「あらまあ、ではどんなつもりで私の名誉を傷つけたのでしょうか? それ相応の正義があるからこそ私に言って来たのでしょう? そうそう、博人さん。契約終了前の勝手な婚約破棄の申し込みによる慰謝料の件に関しても民事裁判でお話し合いをしようと思いますので、そちらのご両親への説得はお任せしますわね。……お父様、お聞きになりました? ……ええ、そうなのです。私は特に何かした覚えはありません……はい、では探偵を雇って正式に証拠集めをして民事裁判を起こすという事ですね。……はい、わかりました。……ええ、私はそれで構いません。優紀さんとの婚約が早まるだけですし。……ええ、帰国次第改めてその話をすることにします。……え? そうなんですか。わかりました。……では、後は家でお話するという事で。では失礼します。……お待たせしました。今の話はお父様に聞いて頂きましたので、婚約破棄に関しては問題なく進むそうです。探偵を雇う事と、民事裁判は回避できない事のようですので、ごめんなさいね」
「そんな……」
志乃は絶望したような表情を浮かべるが、千景はそれを無視して、博人を見る。
「婚約破棄に関しても、民事裁判になる事が決定しました。慰謝料などに関してはそちらで話を付けましょう」
「どういうことだ!」
「そういわれましても……。そうそう、まずは私に近づかないように弁護士に相談しますのでそのつもりでいてくださいね」
「弁護士なんて大袈裟だろう!」
「そうでしょうか? 慰謝料の事などを話すのに、第三者を立てたほうが話が進みやすいでしょう? ご安心ください、どちらにしろあと半年で婚約破棄でしたので、慰謝料はそれほどかからないと思いますよ。まあ、そちらの態度次第だと思いますけれど」
「なんだと?」
「しつこい男は嫌われるという事です」
千景はそう言うと、そろそろ授業の時間だと言って食堂を出て行った。
後日、本気で弁護士が代理に立ち、博人に千景への接近禁止令が出されたのは言うまでもなく、志乃の友人が発言した証言が嘘だと探偵によって暴かれるのは時間の問題だった。
早めの婚約破棄になってしまったが、千景の新しい婚約者は、予定を早めて外国から帰国するという事で、千景としては嬉しい誤算だった。