尊重
マグザが用意していた書簡には、事細かに父リュゲルが行ったことについて書かれていた。
発端は貧しさから山賊へと身を堕とした多種族で構成される集団が、リュゲルの娘リーシアが乗った馬車を襲い、殺害されたことだった。
愛娘のあまりにも無残な死を公表するのを躊躇し、病死としてリュゲルは処理した。
その後、山賊たちは捕まり重い刑を受けたが、愛娘を失ったリュゲルの心の穴は広がり続けた。
行き場のない憎悪を多種族反対に注力することで、心を保っていた。
その憎悪はルクスの父にも向けられ殺害に関与、その後、ルクスを追い詰めるために画策。
しかし、多種族反対派として裏で活動していたリュゲルが捕まったのは大きく反対派の力を削ぐことができ、ルクスとエリザベスにとって今までよりはずっと安心して暮らせる日々が送れるだろう。
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リュゲルの屋敷から帰ってきても、ルクスもエリザベスも全く心が落ち着いていなかった。
それでもまだ明日まで建国祭は続くので、他国の貴族もいる中、何事もなかったように振舞わなければいけない。
エリザベスはきらびやかなドレスに身を包み、メイドたちはエリザベスの美しさにため息が漏れる。
しかし、当の本人は上の空で、いつもの笑顔がない。
鏡を見れば、憂いばかりの顔が映る。
(どうしよう、上手く笑えない。笑顔でいないといけないのに……)
自分の頬を指でほぐしてみると、少しだけマシになった。
だが、沈んだ気持ちが消えることはない。
(クファン公爵をルクス様はその手で殺めようとした……でも、わたしは止めた。それは、人として正しい判断だと思う)
(けれどそれは、ルクス様の選択を否定してしまっていた。ルクス様はいつもわたしの意志を尊重してくださったのに……わたしの気持ちを優先してしまった。あんなお姿は見ていられなくて……)
(ルクス様のお気持ちを無視してしまった……一番辛い思いをしているのはルクス様なのに)
(これで、ルクス様に呆れられてしまったら……軽蔑されてしまったら?)
「わたし……また自分のことばかり……」
ぽつりと誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
支度を終えたところにルクスが迎えに来た。
隣にいるジーニャは、気まずそうに、心配そうにルクスとエリザベスを見ていた。
ルクスは、落ち着いてはいるものの笑顔がなく、普段なら公の場だと人間に近い姿になるというのに今は違う。
耳にもしっぽにもルクスの感情が表れておらず、それが余計にエリザベスを不安にさせた。
「行こうか」
「はい……」
エリザベスは、ルクスの腕に手を添えて会場へと向かった。
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建国祭は二日目。
夜のきらびやかなパーティは、悲惨な事件があったことなどなかったかのようだ。
昨日よりも貴族たちは緊張がほぐれ、参加者たちは和やかな雰囲気で酒が進む。
(あ……今日も踊りがある。ルクス様は、こんなわたしと踊ってくださるのかしら……)
(きっと踊るわよね……貴族たちが見ているもの……だから、許されたなんて期待はしては駄目)
エリザベスは、隣の玉座に座るルクスを横目で見る。
ルクスは、光のない虚ろな瞳でパーティを楽しむ貴族たちを眺めていた。
エリザベスはその様子がまるで、ルクス一人がこの空間から切り分けられているように感じた。
曲が流れ始め、貴族たちはそれぞれ踊りの相手を見つける。
ルクスはおもむろに立ち上がり、エリザベスに手を差し出す。
ルクスの金色の瞳はやはり曇っているように見えて、エリザベスは不安を覚えた。
「ルクス様……もし、ご気分が優れないようでしたら……」
「問題ない。それにそんな姿は他の者には見せられない」
「……わかりました」
エリザベスは、ルクスの力のない声に心配に思いつつも、手をとった。
曲に合わせてルクスとエリザベスが優雅に舞うと、その美しさに周りの貴族たちから注目が集まる。
音楽のおかげで、貴族たちのざわめきが遠のいてくれる。
ルクスは目の前にいるはずなのに心が遠く感じて、エリザベスは寂しくて心が凍えてしまいそうだった。
(ルクス様、ずっと何も見ていないよう……今、何を考えていらっしゃるの?)
(どうしよう……ルクス様のお考えが……わからない)
エリザベスがルクスの手から離れくるりと回り、再びルクスの手に戻ろうとした時、ルクスの目が大きく開かれて不自然に手を引いてエリザベスを受け止めなかった。
(体勢が崩れる!)
エリザベスは足に力を入れて何とか踏みとどまった。
しかし、変に力を入れてしまったせいで足に痛みが走った。
心の中で食いしばって怪我の痛みを表に出さずに、踊りを続行した。
ルクスはエリザベスの怪我には気づけていないのか、「すまん」と小声で呟くだけだった。
ルクスの様子が明らかにおかしく、それを見ていられなくて泣きたくなる気持ちを抑える方が怪我を我慢するより難しい。
(ルクス様、やはりご気分が優れないんじゃ……)
踊りが終わり、二人は玉座へと戻る。
エリザベスが痛みを我慢しながら悟られないように、まっすぐと歩いていた。
玉座に座ると小声でルクスに話しかける。
「ルクス様、やはりご気分が優れないのではないですか? わたしはここにおりますので、どうかお休みになってください」
「先ほどはすまなかった。しかし、大丈夫だ」
「いいえ、あのようなことがあったのです……本当ならしばらくお休みにならないといけないほどのことが……ご自身のためにどうか、お休みください……」
「……わかった」
ルクスは顔をぐっとしかめたが了承してくれて、休憩室へと向かった。
それを見届けて、エリザベスはほっと息をついた。
(よかったお話しを聞いてくださったわ……でも、あれからずっと思いつめていらっしゃる……どうしたらいいのかしら)
(どう言葉をかければいいか、わからないわ……)
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建国祭は無事に終わり、ルクスとエリザベスはそれぞれの部屋に戻った。
ルクスは自室の奥の部屋、両親の肖像画がある部屋で、大きな身体を縮こまらせ、胸をえぐられるような苦痛に耐えていた。
クファン公爵の屋敷から戻ってから、クファンの血に濡れた歪んだ顔が頭に浮かぶ。
未だにクファンを殴った時の生々しい感覚が手に残っている。
(もしも……エリザベスが止めてくれなかったら、本当にクファンを亡き者にしていた)
(そうしたら、父上と母上を亡くした喪失感は拭えたのか……無念を晴らしたことになったのか?)
建国祭での踊りの時、一瞬自分の手が血に濡れているように見えて、エリザベスに触れるのをためらって、支えるのが遅れた。
「奴はこれから法の下に裁かれて、おそらく死刑……もしくは、終身刑……俺が手を下さずとも、報いを受ける」
「これが、正しいやり方のはず……だが……」
「やはり……憎い……」
憎しみを抑えられず、石の床をかけばくっきりと爪痕が残り、牙を食いしばると強く噛みしめたせいで、血の味がした。
しかし、憎しみで視界が暗く滲んでいきそうだったが、ふとエリザベスの泣き顔が頭に浮かんだ。
「これ以上……これ以上、貴方様にお辛い顔をしてほしくありません……」
エリザベスの心からの嘆きが、まるで耳元で語り掛けられたかのように思い出される。
ゆっくりと、ルクスの手から、食いしばる牙から力が抜けた。
金色の瞳から涙がぼたぼたと流れ出ていく。
「すまない……すまない、エリザベス」
「俺は初めからそなたの傍にいてよい存在ではなかったんだ……」
「エリザベス……」
ルクスの広い肩は震え、吠えるように泣いた。
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建国祭最終日の明日に備えて眠らなければいけないのに、エリザベスは頭の中が悩みでいっぱいで全く眠れなかった。
夜は静かなのが常なのだが、今日は寂しくて心が寒かった。
「今日は一人……家にいた時は一人でも何も感じることはなかったのに」
「……ミィ、今日はいろいろと騒ぎがあったみたいだけれど、大丈夫かしら……アロクロ様と一緒にいるだろうとネリネ様は仰っていたけれど」
寝台で横になって、窓ごしに夜の闇を見つめる。
足を動かすと捻った足が痛む。
治療を頼むとルクスの耳に入ってしまって、いらぬ心労をかけさせてしまうかもしれないと思うと言い出せなかった。
今は悪化してしまって、赤く腫れている。
(明日のことを考えると妖精たちに力を借りた方がいいわよね……人が多くなってみんな隠れてしまっているけど、誰かいないかな)
妖精がいないかときょろきょろと辺りを見回す。
(そういえば、イノは……?)
ふと、イノのことが頭に浮かんだ時、まるでそれを見透かすかのようにイノが怪我をしている方の足先にとまった。
温かさを感じると、痛みがすぅっと溶けて消えてしまった。
「イノ……ありがとう。痛みがなくなったわ」
(リズ……けがしたの、ルクスのせい?)
いつもはのほほんと話すイノの口調に、少し違和感を感じた。
「え……いいえ、この怪我は誰かのせいではないわ。少し、運が良くなかっただけ」
(でも、ボクみてたよ。ルクス、リズをささえなかった。そのせいでけがした、でしょ?)
「ルクス様は今……とても疲れていらっしゃるの……心がとても……だから、なにか失敗が起こっても仕方がない時なの」
(でも、リズはけがした。リズのこころはかなしい。リズのこころはさみしい……ボクはそんなのやだな)
「ありがとう、心配してくれているのね……でも、わたしは大丈夫だから……うん、大丈夫」
イノに慰められると、気を張っていた心が少しだけ緩んでしまった。
気付くと頬に小さな雫が伝っていた。
ぼーっと外を眺めながら、静かに涙を流す。
「わたし……いつの間にこんなに泣き虫になったんだろう」
「……ルクス様……どうすれば、ルクス様のお気持ちは晴れるのでしょうか……?」
あれだけ眠れなかったのに、しばらくすると瞼は重くなり、エリザベスは規則的な寝息をたてる。
(リズ……エリザベス)
温かい手がエリザベスの頭を優しく撫でる。
「ボクは君が好きだよ。だから、悲しい思いはしてほしくない……幸せになってほしいんだ」
エリザベスの頭を優しく撫でる手の主を彼女は知る由もなかった。




