好きの形
「殿下、必要以上に近づかないでください」
「なっ……せっかく協力しているのにっ、もう少し優しくしてくれないのか!? それにオレはまだあわよくばを狙っているのだ!」
「下心を隠さないその態度……本当に尊敬しますよ……」
「ほ、本当か! ふふん、だろう? オレは尊敬される器なのだ!」
まったく皮肉が伝わらず、褒められた犬のように喜んでいる王子に、ミーシャはうんざりと深いため息をついた。
現在、ミーシャと王子は城の一室で二人きり、ソファに隣どうしで座っている。
二人きりなど不安で仕方がないのだが、それもアロクロをおびき出すためのネリネの作戦だ。
(はぁ……アロクロ、来てくれるといいな……ネリネさんは「記憶はないけれど気になるミーシャ君が、このデレデレ顔の殿下と個室に入ったら、気が気でないだろう」って言ってたけれど、アロクロが来る前に殿下と二人きりなんて耐えられるかな……)
相手役は王子ではなくネリネでもよいのではないかとミーシャは顔を青ざめて抗議したのだが、ネリネは、「すでに何度か攻撃を防いでいるワタシだと警戒されるだろうからね。大丈夫、本当に危なくなったら部屋に転移して助けるよ」と呑気に笑っていた。
ミーシャは、五分もしないうちに不安が募ってしまうがアロクロに会うためと思い、ぎゅっと手を結んで気合を入れた。
(不安だけど、耐えるんだ! アロクロに会うため!)
身体をこわばらせていたミーシャに王子の手が伸び、そっと手を重ねてきた。
鳥肌が立って払いのけようとするが、素早く指に手を絡ませられた。
むっとして王子を睨むと、王子は真剣な顔をしていて、いつもとの差に驚いて、手を払いのける機会を失ってしまった。
「ミーシャ、正直、諦めてはどうだ? そもそも、口付けで記憶喪失がどうにかなるわけがないし、たとえ本当だとしても、あんな危険な奴が大人しくするわけがないだろう。話を聞けば、魔族だというじゃないか……ミーシャが危険にさらされるなど……」
「殿下、ご心配はありがとうございます。でも、できることをやらなくて後悔するなんて、あたしにはできません。それと、あたしにとってアロクロは危険な人じゃなくて、好きな人なんです……」
「だが、もしも、あいつが君のことを思い出さなかったら? 君をもう一度好きにならなかったら?」
「……それでも、あたしがアロクロを好きな気持ちは変わらないです」
ミーシャは、本当のことを言うと、このままずっとアロクロが自分のことを忘れてしまったら、と考えるだけで崖に足を投げ出しているかのように不安でしかたがなかった。
ただ、それを口には出さないくらい、まだ希望を捨てられずにいた。
しかし、希望はあるが不安があるのも事実だ。
(……あたしは、アロクロが好き……もう一度あたしのこと、好きになってもらえるのかな……? でももし、思い出さないままだったら)
王子の言葉で元気が削がれて、しょんぼりする。
そのしょんぼりを見逃さない王子が畳みかけようと、握っていたミーシャの手の甲に口付けを落とした。
ミーシャは、さすがにそこまでされるとは考えていなかったので、頭が一気に真っ白になった。
「ミーシャ、オレなら君を心から愛している。オレを選べば、あの男に心乱される必要などない。忘れてしまえばいい」
「あ……の、何度も言いますがっ、あたしは……っ!?」
言葉を続けようとしたが、吸い込んだ空気が凍てついて言葉がでなかった。
一気に室内の温度が下がり、寒さで二人とも身体が震える。
「な、な、な、んだこの、さむさは?」
王子は、あまりの寒さにミーシャから手を離して自身の身体を必死にさする。
ミーシャも自分を抱きしめるが、一向に温度が上がらない。
「おい……」
ここの空気よりも冷たい声がした。
二人が振り返ると、アロクロがいつの間にか部屋に侵入していた。
静かに佇み、見下ろす紫色の瞳が暗い。
「あ……ろ、く」
ミーシャは、目の前にアロクロがいるというのに上手く話せない。
アロクロは黙って不機嫌そうに王子をひと睨みすると、王子は小さく悲鳴をあげて気絶してしまった。
「で、んか……」
「その男が心配か?」
「そん、な……」
(そんなの突然気絶したら心配するよ!)と言いたかったのだが、それは叶わない。
「おい、小娘」
「……」
「……はぁ、人間はこれくらいの魔力をあてただけで寒がるのか」
アロクロが寒さでがたがたと震えるミーシャの前に来る。
苛立ちと困惑が混ざったアロクロの表情がミーシャの心を締め付けた。
(お願い思い出して……あたしのこと)
(アロクロ、あなたが好き。ぶっきらぼうな顔も優しい顔も……笑った顔が一番好き)
(伝えたいのに……言葉がでないっ)
寒さのせいで、気持ちを口からつたえることができないもどかしさが、代わりに涙となって溢れてきた。
「何故泣く……」
「ぐず……」
「貴様の涙を見ると、何故かオレの心がざわつく……貴様が誰かに触れられていると考えると、苛ついて仕方がない。いったいなんなんだ……」
アロクロは不機嫌そうな顔から、苦しみに歪む顔になった。
アロクロが魔力を放つのを抑えたのか、寒さが和らいだ。
「アロクロ……はなしたい、こと、が」
やっとまともに開き始めた口で話し始めようとしたが、アロクロの眉がぴくりと動いて、辺りを見渡し始めた。
「ちっ、あの妙な人間か……小娘、話しをきいてやるから来い」
「う、うん……」
ミーシャが立ち上がろうとしたが足がもつれて倒れそうになった。
アロクロは反射的にミーシャを支えた。
自身の行動に驚いているようで、目を見開いていたが、ため息をついた後、ミーシャを横抱きにして抱え込んだ。
アロクロの行動が予想できず、ミーシャは頭が混乱した。
(アロクロ、あたしのことわかってくれるの?)
普段は冷たく感じるアロクロの身体が今の寒さでは温かく感じて、身をすり寄せた。
今のアロクロだと嫌がるかもしれない、と頭をよぎったが嫌がる様子もないし、そもそもそれなら横抱きにすることはない。
アロクロの影が大きく揺らめき、影が二人を飲み込むと、その場から姿が消えた。
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アロクロに連れられたミーシャが目を開けると、そこは豪華な部屋だった。
どうやら城の中なのは変わらないようだ。
まだ、ミーシャはアロクロの魔力にあてられたせいで全身が凍えている。
「ここは?」
「オレが住むのにちょうどいい場所を奪った。人はいくらでも操れるからな」
(うそ! まさか、城の部屋を乗っ取ったの!? またそんなことしてっ……あとでちゃんとリズに謝らないと)
アロクロは、ミーシャを横抱きにしたまま部屋の奥に進んだ。
奥の部屋は寝室で、ミーシャは乱暴に寝台に放り投げられた。
(これ、前もやられたっ!)
「ちょっと、らんぼうに……っ」
アロクロは無視して、ミーシャに覆いかぶさった。
顔が近い。彼の油断すれば酔ってしまいそうな甘い香りが鼻を通る。
記憶喪失の状況でなければ恥ずかしさで混乱していただろうが、今はどうしてこんな状況なのかわからなくて頭がくらくらする。
アロクロは、妖艶で裏に残酷さが見える笑みを浮かべる。
「小娘、話したいと言っていたが……オレは知っているぞ、その目……女が男を欲がるときの目だ」
「結局、お前は抱いてほしいのか? その欲を満たしたいだけか?」
ショックだった。
そんな目でアロクロを見ていたのか。
そんな目でアロクロに見られていたのか。
自分にだってそういう欲はないわけではない。
記憶がなくなる前は、アロクロに触れてほしい、触れたいと思うことはあった。
けれど、今の状況は違う。
アロクロの骨ばった男の手がミーシャの服の裾から侵入し、引き締まっている腹の滑らかな肌を撫でる。
顔がより近づいて、唇が重なろうとする。
瞬間、ミーシャは自分の手を顔の間に差し込んでそれを阻止した。
「ちがう……違うよ、こんなんじゃない。アロクロとこんなキスしたくない」
悲しいのと怒りとで、ぼろぼろと涙がまた溢れてきた。
ミーシャは、眉をひそめるアロクロの頬を気持ちをぶつけるように思いっきり両手でつねってやった。
「ひって!」
「本当にバカ! 記憶喪失なんてなっちゃって、ちょっぴりあたしのこと覚えてたと思ったらいきなり襲うなんてっ!」
「本当にばか……あたし、アロクロとこんな形でなんてやだ……キスだってしないから、記憶が戻るまでアロクロに触らないんだからっ……」
泣きじゃくりながら頬をぐりぐりとつねられるのだが、不思議とアロクロはそれを無理やり引きはがそうとは思えなかった。
「ぐず……ひっく……アロクロのばか……好きなのに……大好きなのに」
次第にミーシャの手から力が抜けて、ゆっくりと離れた。
「そんなに、泣くなよ……わかったから」
「どうしてそんなにも泣き虫なんだ……違うか、オレが泣かせたのか……」
今まで冷たかったアロクロの声が少し和らいだ。
ぐずぐずと泣くミーシャを宥めようと頭を撫でるが、ふいと横を向かれて手が離れる。
「おい、慰めようとしているのになんだ」
「ひっく、いい……自分で、とめ、るから……」
「止まってないじゃないか」
アロクロはむすっとして、今度はミーシャが逃げられないように、横向きのミーシャの胴に腕を回して背中から抱きしめた。
じたばたとするのでしっぽも足に巻き付けて、空いている方の手でゆっくりと頭をやると、観念し始めた。
「そう、そうやって大人しく慰められておけ……小娘、名前は?」
「……ずっ、ミーシャ……」
「ミーシャ……ミーシャ、か」
ミーシャは名前を聞けば微かでも記憶が戻る糸口になるかと期待したが、アロクロはミーシャの名前を噛みしめるように何度か呟くだけで、記憶を思い出しているようではなかった。
それがまた悲しくて涙の原料になってしまったが、アロクロが優しく撫でてくれる手が懐かしくてしばらく身をゆだねた。




