心の傷
アロクロとの対談を終えたルクスは、ジーニャから耳打ちされる。
「なに? エリザベスの父親が?」
「はい、暴れていたので門番が連行したのですが、確認したところ間違いないと……現在は客間でお待ちいただいてます」
ルクスは、狼の顔がぐっと険しくなる。
エリザベスと過ごしていて、彼女の根本にしみついている「自分を卑下する」という性格が組み上げられた原因のひとつに、父親の存在があるように感じていた。
そんな相手が近くにいると考えるだけで腹の底が熱く煮えたぎる。
(ナギヤ殿が離縁してから、ディーワ家はわずかな期間で没落している。ナギヤ殿の手腕あってこそのディーワ家だったのだな。父親の力量不足が過ぎるのもあるが……)
(そんな父親がエリザベスを頼る理由は支援をあおるため。エリザベスが直接会ってしまっては、彼女に悪影響だな……切ろう)
自然とエリザベスの父親との縁を切るという選択に至った。
そのあまりに自然な思考に自分で驚いて、苦笑する。
(俺にはもう父はいないのだから、少しくらいはエリザベスの父に情がでるかもしれんと思ったが……こうもあっさりと)
(エリザベス以上に大事な人はいない。彼女にとっての害は排除すべきだ)
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「おいっ! エリザベスはまだなのかっ……まったく、ここの使用人たちは人間じゃないのが混じっていて落ち着かんわ」
エリザベスの父は、客間のソファにどっかりと座り、ぐちぐちと文句を言いながら足を小刻みに揺らしている。
かなりの時間待たされたあと、ルクスとジーニャが部屋に入ってきた。
ルクスの狼の顔を見た父は、明らかに不快という表情をしたのだが、すぐに媚びた笑みになった。
「こっ、これはこれは、皇帝陛下。お初にお目にかかります。エリザベスの父のグロリア・フォン・ディーワです。えぇ……と、私の娘はどこに?」
「エリザベスは今大変忙しい。そして、俺もお父上殿と長い話ができる時間がないほど忙しいのだ。そのことはお分かりか?」
「えっ、へ……では、その、手短に……今エリザベスの実家のディーワ家が大変な状況でして、支援していただけないでしょうか? 娘も実家がなくなるのはそれはもう悲しむと思います」
ごまをすりながら媚びへつらうこの男が、本当にエリザベスの父親なのかと疑うくらいだ。
何もかもがクズに見えて、こんなのがエリザベスの心に負担をかけていると考えるだけで拳に力がはいる。
普段なら命を狙うやからにしかわかない殺意が芽生えそうになって、衝動を細い息とともに吐き出した。
「………支援はしない。王国の公爵家を帝国がヘタに支援すると、亀裂が生まれるやもしれん。そもそも、公爵家なのだから、そうそう没落するはずがないのだがな………よほど、無能な者が上に立たない限り」
グロリアのぎゃりという歯ぎしりの音が聞こえた。
怒りのボルテージが一気に上がり、顔が真っ赤を通り越して青くなった。
「ふざけるな! わしはエリザベスっ、皇妃の父なのだぞっ! 何故こんな扱いを受けなければならんのだ!? 金なぞいくらでもあるのだから出せばいいじゃないかっ! わしがっ、困っているのだぞ!」
唾を飛ばして怒鳴り散らすグロリアをジーニャもルクスも、心底軽蔑した眼差しで見下す。
「お父上殿、いや、グロリア・フォン・ディーワ……俺を何者かと知ってのその無礼なふるまい、罰を受ける覚悟があるのか?」
ぎろりと金色の瞳が睨むと、やっと自分の立場が危うくなったことに気付いたのか、青い顔が白くなる。
「ジーニャ……罪深い者を受け入れる労働場所はあるな?」
「もちろんです。人里から離れていますが衣食住完備されているので、実に健康的に楽しく働いていただけるかと……」
二人からの冷たい視線にさらされて、後ずさりするグロリアにまさかの救いの手が差し伸べられてしまった。
扉が叩かれて「ルクス様、あの、お話ししたいことが……」というエリザベスの声が聞こえた。
ルクスがしまったと一瞬身体が強張った隙に、手負いの動物が最後の力を振り絞るようにグロリアの身体は素早く動いた。
グロリアが扉を開くと、すぐにエリザベスと対面した。
「お、おとう……っ!」
グロリアにエリザベスは両腕をがっしりと掴まれて、激しくゆすぶられた。
「エリザベス助けてくれっ! この獣はイカれているっ! わしを殺す気だっ」
「落ち着いてっ……いっ」
「エリザベスから離れろっ!」
「エリザベス様!」
エリザベスの傍にいたルーニャとルクスにグロリアは引き離された。
引き離されてグロリアは、しりもちをついて床に倒れる。
「エリザベス、怪我は!?」
「だ、大丈夫ですが……お父様の方が……」
エリザベスが驚きつつも父の心配をする。
父はエリザベスが知っている姿のころよりもやつれていて、以前にはあった威圧感は削がれていた。
しかし、いくら変わってもエリザベスにとって父は父で、嫌な思い出が思い出されてどうしても足が震えてしまった。
「あの……ルクス様、どうして父が……?」
「それは後で話そう。お父上殿はこれからお帰りいただくからな」
「だっ、騙されるなエリザベス! こいつはわしを殺そうと企んでいるんだっ! やはり親殺しなどイカれている!」
「親殺し」という言葉にルクスの眉間に皺が寄る。
それに気づいたエリザベスが困惑と恐怖でまだ身体が震えているというのに、ルクスをかばうように前に出た。
「お父様、訂正してくださいっ! この方はそのようなことはしませんっ」
「わしに口答えするのかっ!? あのバカ娘のせいでお前までわしに逆らうようになった! また罰を受けたいのかっ!?」
父から「罰」という言葉があびせられた時、明らかにエリザベスの顔が青白くなり、激しく瞳孔が揺れる。
この異常な状態を危なく思ったルクスがエリザベスを外套でくるんで、手で耳を塞いで、自分の胸に寄せた。
エリザベスにこれ以上酷い言葉も光景も見せたくはなかった。
「ルーニャ! 今すぐにそれをエリザベスの見えないところに持っていけ!」
「ただちにっ!」
ルーニャがトカゲのような姿に変わり、ひょいとグロリアを持ち上げる。
「お、下ろせっ! 何をしているエリザベス! 今すぐ助けろ!」
「あの場所に持って行ってもよろしいですか?」
「許す」
「やほー!」
ルーニャが元気よく部屋を飛び出していってしまい、グロリアの助けを求める声も遠くなって聞こえなくなった。
ルクスは、やっとグロリアがいなくなったと一息ついた。
しかし、胸に抱いているエリザベスの震えがまだ止まっていなかった。
「エリザベス……」
「………」
「エリザベス、大丈夫じゃないな。顔を見せてくれ」
エリザベスはふるふると首を横に振っていたがルクスはかがんで、顎に手を添えて前を向かせると小さい涙がサファイアの瞳から静かに流れていた。
涙を我慢しようとしたのか、唇をぐっとかみこんでいる。
「エリザベス、これ以上唇をかんではだめだ。我慢しなくていい。泣いていいから」
「……もう、しわけありません。申し訳ありませんでした……わたしの父が酷いことを……」
「そのことは問題じゃない。そなたの心が傷ついているほうがよほど問題だ」
ルクスが指で頬から流れる涙を拭うと、エリザベスはその手にそっとすり寄った。
「ジーニャ、もう今日はエリザベスを休ませる」
「はい、お食事もお部屋に持っていくように手配します」
「おいで、エリザベス。部屋で休んだ方がいい」
エリザベスは、申し訳なさそうにおろおろとしたがこくりと頷いた。




