誓約
騒動の後、王子は病院に運ばれ、両親に命じられ、ミーシャは部屋に軟禁された。
監獄に入れられるかと思っていたのに、ずいぶんと緩い判断にミーシャは驚いた。
しかし、これからはわからないと身の回りの整理を始めていた。
(これからあたし、どうなるんだろう………投獄、国外追放? 最悪、死刑とか………)
処刑と考えると途端に怖くなって、震える手で首を撫でる。
(でも、リズがあんなことされて黙ってられる!? あんなに優しくて、頭良くて、自慢の姉なのに………)
「リズ………」
鼻の奥が痛くなってきて、唇を噛んで泣きたい気持ちを我慢していると、まるでそれを見透かすようなタイミングで扉が叩かれた。
「ミィ、入るわね」
自分を愛称で呼ぶ、暖かで柔らかい姉の声が聞こえ、間もなくエリザベスが部屋に入ってきた。
ミーシャの様子を見ると、エリザベスは困ったように微笑んだ。
「あぁ、やっぱり、一人で泣いてしまっているのではないかって………わたしのために、ごめんなさい」
エリザベスはミーシャの頬を優しく撫でて、目を伏せた。
「ちがっ、違うよ! あたしが勝手なことしてっ………でもっ、あの馬鹿はどうしても許せなくてっ!」
「小さい時からリズは王妃になるためにたくさん頑張ってきたのに、それを全部なかったことにしやがって!」
「しかもっあたしにプロポーズ!? 本当に意味わかんない!」
「こんなの、許せないよ………」
堰が崩れたように怒りと悔しさが溢れてきて、ミーシャは泣きじゃくりながら訴えた。
エリザベスは静かにそれを聞いている間、ミーシャのルビーのような瞳から流れ出る雫を白いきれいなハンカチで拭っていた。
ひとしきりミーシャの言葉を聞いた後、エリザベスはゆっくりと口を開いた。
「そうね………この国の王子に暴力をはたらいただなんて、大変なことだわ」
「でもね、わたしは今まで学んできたことが無駄だとは思わない。ちゃんとわたしの生きる糧となるのだから」
「それに、怒ってくれてありがとう。今まで我慢していた分すっきりしちゃった」
憑き物が落ちたように、晴れ晴れしく微笑むエリザベスにつられて、ミーシャも涙が止まり、少しだけ元気が出た。
「それに、聞いて。あなたへのお咎めはないそうよ」
「えっ!? あんなことしたのに!?」
「えぇ、だから安心して」
そう言ってエリザベスは笑みを絶やさなかったが、唇の端がぴくりと動いたその笑い方にミーシャは何か引っかかった。
「リズ、何か隠してない?」
「え………そ、そんなことないわよ」
「あっ、目をそらした! 絶対、何か隠してる………やっぱり、あんなことをしてお咎めなしなわけないもの! やっぱり、あたしは国外追放とか………」
「そ、そんなことないわ。あなたはこのままこの国で、将来のために頑張って。騎士になるのが夢だったでしょう?」
「あたしは、って………リズは? まさか、あたしの代わりにリズが何かされるの!?」
「あ………えと」
「お願い、正直に教えてよ。あたし、リズに幸せになってほしかったのに、こんなんじゃあたし………あたしっ」
エリザベスは申し訳なさそうに顔をしかめた後、また泣いてしまいそうな妹をぎゅっと、優しく抱きしめた。
ミーシャの背に、少しだけエリザベスの指先の震えが伝わる。
「わたし、嫁ぐことが決まったの、アトラン帝国の皇帝に………」
「てっ帝国!?」
ミーシャたちが暮らすフンゴル王国と隣接するアトラン帝国。
多種多様な人種で構成されている。
最近、王国と帝国で平和条約が交わされ、その関係を強固とするために男児しかいない王家の代わりに、婚約破棄を丁度良いとし、位の高い公爵家から選ばれたのだろう。
大好きな姉が政略結婚の材料にされるのだと思うと、ミーシャの腹の奥底から再び怒りが湧いてくる。
更に、アトラン帝国の現皇帝は先代皇帝を暗殺し、その地位についたと噂される。
そんな危ない場所に姉を嫁がせるなど、ミーシャには耐えられそうになかった。
「そんな………あたしの罰をどうしてリズが受けなきゃいけないの?」
「わたしはいいのよ。王妃としてやることがなくなってしまったわたしは、この国にいても役に立たないもの。せめて、こういう形でも役に立てるのなら、わたしは嬉しいわ」
「どうして、そこまで? この国のためにそこまでする必要ないじゃないっ」
「だって、大好きなあなたがいる国だもの。わたしもあなたと同じ、ミィには幸せになってほしいの」
「だったら、あたしもリズと行く!」
「それはできん!」
怒号と共に部屋に入ってきたのは、姉妹の父だった。
後ろには母と、どうしてかフードを被った神官の老人男性がついて入ってきた。
険しい顔をした父は、厳しい眼差しでミーシャを睨む。
「わかっているのか? ただでさえ殿下に不敬をはたらいたのだぞ! しかも、多くの貴族の前でっ!」
「エリザベスは帝国に行く。そして、ミーシャはこの国に留まる。それがお許しをいただける条件だ」
「そんなっ、お父様、お母様、これではあんまりです!」
今度は、母親が不服そうにしているミーシャを静かに強く睨む。
「ミーシャ、エリザベスはディーワ家のために………あなたのためにその身をささげたのですよ。これ以上、姉を困らせるのはおやめなさい」
「っ………」
母親の言葉がミーシャの胸に鋭く突き刺さる。
姉を追い詰めている原因を作り出したのは自分自身で、今はどうすることもできないということが両親を説得するための言葉を奪った。
黙りこくって俯くミーシャを見て、父親は後ろに控えていた神官に合図を出した。
神官はつかつかとミーシャの目の前に歩み寄ると、突然彼女の腕を掴み、呪文を唱えだした。
ミーシャは神官の行動に驚き固まり、エリザベスは狼狽えた。
呪文が終わると、神官に掴まれていたミーシャの腕に、うっすらと光る文字が浮かんだ。
しばらくすると、その文字は溶けるように消えた。
「お父様っ、ミーシャに何をしたのですか!?」
普段は大人しいエリザベスが眉間に皺を寄せて父に詰め寄る。
「神官の聖なる力をもって、王都から出られないという誓約をつけたのだ。こうでもしないとミーシャはお前について行くだろう」
「そんな………誓約は一生解くことのできないものではないですか!? ここまでするのですか………」
「ディーワ家のためだ! これ以上、過ちを犯してはディーワ家はますます危うい立場になることがわかるだろう!?」
「ミーシャ、お前はしばらく謹慎だ。エリザベス、明日には嫁ぐのだから準備をしなさい。いいな?」
それだけ言い放つと、両親たちは部屋をあとにした。
残された二人は、一緒にいられる残り僅かになってしまった時間を惜しむように身を寄せ合う。
「ごめんなさい。ごめんなさい、リズ」
「ミーシャ、わたしこそごめんなさい。ここまでするだなんて………あなたの夢はこの国で叶えられるものだけれど、こんな形になってしまうだなんて」
「違うよ。あたしの夢はリズを守れる騎士になることだよ。傍にいなきゃ意味ないよ」
「そう………そう、だったのね」
「ねぇ、ミィ」
エリザベスがミーシャの両手を自身ので包み込む。
エリザベスの手はいつも冷たくて、その冷たさにミーシャはいつも心地よさを感じる。
「殿下の婚約者として、正直辛いことが多かったけれど、あなたのおかげでわたしは今まで頑張ることができたの」
「わたしはもうたくさんあなたに守られて、助けられてきたのよ。だから、もう十分なのよ………」
「あっ、そうだ! 今日はお誕生日なのに贈り物を渡しそびれていたわね。少し待ってて、部屋からとって来るから」
エリザベスは無理やり話題を変えて、明るい笑顔を貼り付けていた。
ミーシャは、一人になった部屋で、呪いのような誓約をかけられた方の腕に視線を落とした。
「前世の記憶があったって、このありさま………今まで、二人で幸せになるために努力してきたのに」
「もういい。こんな家も、王子も国もどうだって………なんとか誓約を破ってこんなとこ出ていってやる!」
「それで、リズを皇帝からも助け出すから。必ず!」