4.平穏と殺戮の間
「雲の向こうを見たことがあるか?」
グラスを傾けながら、ダッタはカウンターの向こうにいるマスターに問いかけた。
「史料写真でならな」
マスターは答え、焼け落ちた天井の隙間から上を見上げる。そこには空なるものがあるはずだった。
しかしそれを生で見た者は、もう生きてはいまい。空が消えたのは100年以上も昔だ。今ではもう、分厚い雲に覆われ、なにも見えない。
グラスから酒を一口含み、ダッタ。
「愚かしい話だよ。消えた空を求めて始まった戦争による化学汚染で、よりいっそう雲が分厚くなった。人類はなにをしてるんだろうな」
「全ては神のみぞ知る。神は偉大さ。そのおかげで今だけは平穏だ」
「確かになあ。慈愛の十字架さまさまだ」
皮肉げに彼方を見やる。
ここからでも見える、大地にそそり立つ巨大な十字架。先端は雲を突き抜けている。
「慈愛の十字架現れしとき、いさかいをやめよ。人々よ、武器を捨て手を握れ。それは神との約束なり――か。なんなんだろうねえ、あのデカブツは。前触れもなく突然現れて、忽然と姿を消す」
「神の御業さ。わしら人間は、不思議とそれに従っちまう。十字架が出てる間は平和に暮らせるのに、消えてしまえば戦争だ、殺戮だ……愚かだよ、人は」
「違いねえ」
笑ってグラスを飲み干すと、ダッタは足元へと手を伸ばした。
彼方に見えた慈愛の十字架が、いつの間にか消えている。
遠くから爆撃の音が聞こえてきた。
「さてと、それじゃあ続きと行こうかねえ」
ナイフを構えたマスターに、ダッタはライフルの銃口を向けた。
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ワード :「雲」「十字架」「最後の殺戮」
ジャンル:「指定なし」