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夕方になって、サクヤはカオルと二人でまた滝の道を通った。昨日もおとといも思ったけど、滝の道は行きよりも帰りの方が短く感じる。
夕暮れに真っ赤になった滝の裏がわは、まるで知らない世界にいるみたいだった。
サクヤは帰り道のこの赤い景色を見ると、息も忘れるくらいドキドキしてくる。
カオルちゃんもおんなじ気持ちなのかな?
サクヤがちらっと見たカオルも、赤い景色にくぎづけだった。
「そういえば、さっきのビンって、おまつりの準備なんだよね? なにに使うんだろ?」
おとぎの道を抜けると、すぐにカオルがそうきいてきた。
そうだ、タロウくんは昨日、おまつりの準備でダイダイジュの油をとるんだって言ったんだ。
「うーん、分かんない。明日タロウくんにきいてみよ。それよりぼく、妖怪のおまつりって気になるな。どんななんだろ?」
「私も気になるなぁ。出店とか並ぶのかな?」
サクヤが知ってるおまつりは、わたあめとか金魚すくいとか、いろんなお店がずらりとならんで、道を大きいおみこしがどしどし進んでいく。
「妖怪の出店ってどんなだろ?」
「ねっねっ、気になるよね」
サクヤはまた明日タロウに会うのが楽しみだった。
次の日の朝は早起きをした。朝ごはんにジャムパンを食べた。おばあちゃんもおじいちゃんもサクヤの早起きをほめてくれた。二人がほめてくれると、大おばあちゃんもうんうんうなずいてほめてくれた。
お昼前にお母さんと居間で二人になったとき、サクヤは言った。
「あんなにほめてもらってばかりだと、なんか照れちゃうね」
どうしておかしかったのか、お母さんが声を立てて笑った。
「そうだね。きっとサクヤがいつもねぼすけだから、おばあちゃんたちおどろいたんだよ」
くくっとお母さんが笑った。サクヤはからかわれてるんだと分かって、口をとがらせてみた。
お昼ごはんを食べて少ししたら、玄関からカオルが呼んできた。
「サクヤくーん! 起きてるー?」
カオルちゃんにもねぼすけだと思われてるみたいだ。
それからサクヤとカオルはまた黄色い花畑に来た。
タロウはまだ来てないみたいだ。
タロウが来るまで二人でみずうみに入って遊んだ。みずうみの水はすき通ってて、泳いでる魚がきらきら光っていた。
タロウはなかなか来なくて、二人は花畑にすわって休けいすることにした。
「今日は来ないのかな?」
サクヤはみずうみに足をつけながらきいてみた。
「おまつりの準備で忙しいのかな?」
結局その日は夕方になってもタロウは来なかった。
「今日はもう帰ろっか」
カオルが言うのにサクヤもうなずく。
タロウに会えなかったのは残念だけど、昨日は約束をしてなかったから仕方ない。
「明日はまた会えるといいね」
カオルとさよならをしておばあちゃんちに帰ると、今日のごはんはおじいちゃんがとってきた、山菜の天ぷらだった。天ぷらはサクヤの大好物だ。とれたてであげたての山菜はとてもいいにおいがした。
「おいしそう! ぼく天ぷらがごはんの中で一番好きなんだ」
サクヤは山菜をとってきてくれたおじいちゃんに、ありがとうと伝えたかった。だからどんなに天ぷらが好きか言いたかった。だけど上手な言葉が見つからなかった。それなのに、おじいちゃんはサクヤの気持ちを分かってくれて、大きな声でわははと笑った。
「そうかそうか。ばあさんの天ぷらはな、この世で一番うまい食べ物なんだ。好きなだけ食えよ」
おばあちゃんとお母さんがどんどんあげて来る天ぷらは、大皿の上で山盛りになっていった。
「ささ、サクヤとじいちゃんとひいばあちゃんは、冷めないうちにどんどんお上がり」
次の大皿をテーブルにどかんとおいたおばあちゃんが、三人に天ぷらのつゆが入ったうつわをさしだしてくれた。
サクヤはミッケのことを思い出した。
ミッケはうちで天ぷらをやると、ぼくもほしいとすり寄ってきたのだ。
お母さんもお父さんも、猫に天ぷらはダメだって言うから、ミッケを言い聞かせるのが大変だった。
もう一枚の大皿も山盛りになると、お母さんとおばあちゃんも居間に座った。
大おばあちゃんは天ぷら三つでお腹いっぱいになったみたいで、また正座したままうとうとしてる。
「サクヤ、お腹いっぱいなったか?」
サクヤがたくさんの天ぷらを食べて、もうはしを動かせないって思い始めたら、すぐにおじいちゃんがきいてきた。
「うん、もうお腹いっぱい」
「サクヤもよく食べるようになったよね」
お母さんが懐かしそうな目でそんなことを言った。
「ぼくもう四年生なんだよ? いっぱい食べられて当然だよ。それに天ぷら大好きだからね」
「ふふ、最近サクヤはそればっかりだね。天ぷらかぁ。最近あんまりやってなかったね。うち帰ったら、今度お父さんともやろうね」
サクヤはまたお母さんが子供あつかいしてきたのだと思った。だけどお母さんの声はどこか切なそうで、からかわれてる感じじゃなかった。
どうしてお母さんは切なそうなんだろう?
それは分からなかったけど、お母さんの声につられて、サクヤも切ない気分になってきた。だからまたミッケのことを思い出した。
「うちで天ぷらやるなら、ミッケのおはかにもおそなえしよ。ミッケはもう死んじゃったから、天ぷらあげてもダメじゃないよね? ミッケ天ぷらほしがってたから、きっとよろこぶよ」
サクヤは自分がそう言ったのが不思議な気がした。どうして不思議なのか考えてみると、サクヤはミッケが死んでから、お母さんの前でミッケの話をしたことがなかったのだ。
お母さんがびっくりした目でサクヤを見ている。その目にじわっと涙がにじんで、あっという間にこぼれてしまった。
サクヤはお母さんが泣くところなんて初めて見た。どうしていいか分からなくて、おばあちゃんとおじいちゃんの方を見た。
おばあちゃんは優しい手でお母さんの背中を叩いている。おじいちゃんは真剣なまなざしでお母さんを見ている。
そのあとしばらくして、お母さんとおばあちゃんがごはんの後かたづけで台所に行った。大おばあちゃんはもう完全にいねむりしてる。
おじいちゃんが優しい声でサクヤにきいた。
「サクヤ。サクヤはどうしてお母さんが泣いたか、分かったか?」
サクヤはてっきり、お母さんがミッケを思い出して悲しくなったんだと思ってた。だけどおじいちゃんが言うには、お母さんが泣いたのはサクヤのせいだったのだ。
「お母さんはな、サクヤのことをそりゃもう心配してたんだ。サクヤは覚えてないだろうが、ミッケが死んでから、サクヤはしばらくごはんも食べられなかったんだ」
「えっ、そうなの?」
サクヤはミッケが死んでしまって、それまでのことが全部ごちゃごちゃになって、うまく思い出せなくなっていた。ミッケが死んでしまったときから、しばらくあともよく覚えてない。
おじいちゃんの声はいつもより、ずっとずっと静かだった。
「だからお母さんはな、サクヤがいっぱい食べるようになって、うれしかったんだ。うれしくて切なかったんだ。サクヤにはこんな気持ち分かるか?」
「うん、分かるよ」
サクヤはそんな気持ちになったことはないけど、そういう気持ちがあるってことは知っていた。
おじいちゃんはうんうんうなずいた。
「それでな、サクヤが辛い辛いミッケの思い出を思い返して言ったから、お母さんすごくうれしくて、すごく泣けてきちまったんだよ」
サクヤは言われてはっとした。そういえばサクヤは、ミッケが天ぷらをほしがっていたことを、ちゃんと覚えていたのだ。今まではミッケとどんなことをしてたかなんて、ごちゃごちゃになって分からなかったのに。
それからサクヤは、お母さんの気持ちを想像した。
お母さんはきっと、サクヤのことをたくさん心配してくれたんだ。サクヤだって、ミッケの元気がなくなって、ごはんをあまり食べなくなったとき、とても心配した。
サクヤはそのときの気持ちを思い出した。お母さんもきっとあんな気持ちだったんだ。
「ぼく、どうしよ。お母さんにあやまらなきゃ」
サクヤが言うと、今度はおじいちゃんの目に涙が浮かんだ。
「それは違う。サクヤ、サクヤはミッケが死んで、悲しかったんだろ? だからごはんも食べられなかったんだ。それはちっとも間違っちゃない。だからサクヤはな、あやまることなんて少しもねえ。サクヤはな、お母さんにありがとうって言わなきゃいけないんだ」
サクヤはおじいちゃんに言われると、いてもたってもいられなくなって、台所に向かって走っていった。
台所でおばあちゃんと洗い物をするお母さんがいた。お母さんはもういつものお母さんらしく、明るくおばあちゃんとお話ししていた。
サクヤはそんなお母さんを、すごく大好きだと思った。
お母さんの背中に抱きつくと、お母さんがびっくりして、どうしたのなんてきいてきた。
「お母さん、お母さん」
サクヤは言いたい言葉がたくさんありすぎて、なんにも言えなくなってしまった。
それでお母さんの背中でいっぱい泣いて、かさかさの声でようやく言えた。
「ありがとう」
その夜サクヤは、ミッケの夢をたくさん見た。一緒に遊んだことや、ケンカしたこと。
まるで今まで忘れてたことを、全部思い出したみたいな気がした。
今度はずっと覚えてるからね。
サクヤがミッケに約束すると、ミッケは興味なさそうにあくびをしていた。