ミッケの思い出.1
4 ミッケの思い出
「サクヤ、おはよう」
お母さんがゆすって起こしてくれた。
「カオルちゃん来たよ。そろそろ起きよう」
眠たい目をごしごしこすって、サクヤは布団から起き上がった。
「カオルちゃん居間で待ってるよ」
お母さんはごはんを作ってるところだったらしくて、そう言うとすぐに台所に戻っていった。
黄色いガラスの時計を見ると、時間は十一時とちょっとだ。
サクヤはきちんと布団をたたむと、急いで居間に向かった。
居間では大おばあちゃんとカオルがお話をしていた。
「私ん小さい頃にゃ見たってのもたくさんいたねぇ。だけども最近じゃとんと聞かなくなっちまったよ。ほれ、大きい道路もできちまったからな。いづらくなっちまったんでねぇか」
「おばあさんは見たことないの?」
「私かい? そりゃ見たことあるぞ。こんに大きい口開けてな、村の子供を食おうとしとったんだ」
大おばあちゃんが大げさに手を広げる。カオルがそれに楽しそうにはしゃいだ。
ごはんを食べたあと少し休んで、サクヤとカオルはまた西の森に向かった。
今日は昨日よりはだいぶすずしい。道路のわきから森の中に入ると、空気がひんやりして思えた。
「タロウも大きくなったら、あんな大きな口になるのかな?」
歩きながらカオルがそんな冗談を言ってきた。
タロウくんがそんな大きくなるなんて、とても想像できない。
サクヤはくすくすと笑った。
きらきら光るカーテンを抜け、二人は今日も黄色い花畑に着いた。
昨日よりも早く着いたけど、タロウはもう花畑で待っていてくれた。
「サクヤ、カオル、こんにちはだ」
タロウが笑顔で言ってくる。三角の耳がくたっと、まるでおじぎをしたみたいに動いた。今日のタロウは大きな風呂敷をかついでいた。大ドロボウみたいなみどりの風呂敷じゃなくて、白地にピンクの花がらが描いてある風呂敷だ。
「じゃあ行くぞ。ダイダイジュは森の北だ。北は滑りやすいとこもあるから、気をつけて歩けよ」
サクヤとカオルがあいさつを返すと、さっそくタロウは目的地を教えてくれる。
タロウは軽い足取りで滝のわきの道へ進んで行った。
滝のわきの道は、左は森、右は高い崖の壁にはさまれた、一本道だった。
「ダイダイジュってなにかな?」
タロウの後を追いかけながら、カオルにきいてみた。カオルは首をかしげながら推理してくれた。
「大きい大きい木じゃないかな?」
「木はジュっていうの?」
「そうだよ。カブトムシが好きな、樹液とかのジュだよ」
サクヤはなるほどなんて思いながら、大きい大きい木を想像してみた。
タロウがべらの花を木よりも大きいって言っていたから、大々樹なんて言うくらいだし、きっとそれよりもっと大きい。
雲まで届く山のような木。
サクヤはわくわくしながらそんな木を思い浮かべた。
少し歩くと、木の数が減ってきて、ちょっと歩きやすくなってきた。もう少し行くと、今度は地面がごつごつ石っぽくなってきて、また歩きづらくなる。
「そろそろ地面がぬめるようになるぞ。転ぶなよ」
タロウがそんなアドバイスをしてくれた。
「あ、あとな。こっから左の方には絶対行くな。マネキダニに呼ばれんだ」
もう一つのアドバイスは、なんのことだか良く分からなかった。だけどタロウがとても真剣に言うので、サクヤとカオルもまじめにうなずいた。
地面はもう完全に岩場で、まわりには木が生えてなかった。
おっかなびっくり慎重に歩く。タロウも転ばないようにゆっくり歩いている。
「二人とも上手いぞ。あと少しでダイダイジュだ。がんばれ」
タロウがはげましてくれた。
カオルはもうだいぶなれたみたいで、サクヤが転ばないように手をつないでくれた。
サクヤは二人の迷惑になりたくなくて、いっしょうけんめい足元を見ながら歩いた。
だんだんと地面のぬめぬめが取れてきて、また固いしっかりした岩場になった。
サクヤがふーっとため息をついて、前を向く。そうしたら、もうダイダイジュは目の前にあった。
思ってたような大きな木じゃなかった。むしろどっちかというと小さい木だ。大人の背よりも少し高いくらいの木が、何十本もまとまって生えてる。
小さい木なのに、どうしてダイダイジュなのか。
サクヤにもカオルにもすぐに意味が分かった。
ダイダイジュは大々樹じゃなくて、だいだい色の木だったのだ。だいだい樹はみきも葉っぱも全部オレンジ色だ。形は松の木みたいなくねくねした木で、葉っぱは細くて固そうだった。
タロウは地面からとがった石を拾って、だいだい色のみきに傷を付けた。そうすると、その傷あとからとろっと樹液がたれた。
それからタロウは肩の風呂敷をほどいて、中からたくさんのビンを取り出した。
なれた手つきでタロウが樹液を、ぽとんとビンの中に移した。
ビンの中に入った樹液は、木とおんなじオレンジ色だ。はちみつみたいにすき通ってる。
「こんな感じでビンの中に集めんだ。一度取った木からはもう取っちゃだめだ。木が病気になっちまうからな」
広げた風呂敷の中にはビンが十三個入っていた。
三人は手分けして木から樹液を集めていった。
とがった石で木に傷を付けるのは、思ったよりも大変だった。木には固いところとやわらかいところがあって、ちゃんとやわらかいところを見つけなきゃいけない。
ところがなんとか木に傷を付けても、とろっとした樹液をビンに移すのは、もっともっと大変だった。
何度かサクヤは樹液を地面に落としてしまって、そうしてからビンに入れた樹液は砂まみれになった。
ビン一本をいっぱいにするのは、だいたい二つか三つの木が必要だ。
サクヤもカオルも夢中で樹液を集めた。
サクヤはだいだい樹の林に分け入って、他の二人が傷を付けた木じゃないのを確認して、えいっと石で傷を付ける。
なれてきたから一発で樹液が出てくる。
二つ目のビンがいっぱいになった。
サクヤは三つ目のビンを持って、次の木の前に立った。
次の木は見たとたんに、どこを切ればいいのか分かった。サクヤがとがった石でなでると、すぱっとオレンジの木にさけ目ができる。
あれ?
サクヤはうまく傷を付けたのに、樹液がとろっと出てこない。
なんでだろうと不思議がって見ていると、だんだん木が白くなってきた。サクヤの付けた傷口からシミが広がるように、どんどん木全体が白くなる。
サクヤが目を丸めて見ていると、ミシミシ音を立てて木が倒れ始めた。
どしどしどしと大きな音がひびいて、真っ白になっただいだい樹は倒木になった。サクヤの顔も同じくらい真っ白だった。
ぼく、木を病気にさせちゃったんだ。そういえば、今の木はちゃんと他に傷がないかたしかめてない!
音に気づいたタロウとカオルがかけよってくる。
「サクヤ! けがないかっ?」
タロウがあわてて言ってきた。
サクヤは頭の中も真っ白だった。
「ごめんなさい。ぼく、木、病気にしちゃった」
サクヤは泣きそうな声で言った。本当にすごく泣きたかったけど、自分が悪いんだから泣いちゃいけないと思った。
「ああ、そうだな。だけどサクヤが無事で良かった。木がサクヤに倒れたら、大変だったぞ」
「ぼくはなんともないよ。だけど木が……」
倒れた木は死んでしまったのだ。死んでしまった木は、もう起き上がらない。
「木は大丈夫だ。もし倒れたときに、他の木傷つけてたら大変だったけどな。そしたらこの林ごと病気になってた」
タロウの言葉に、サクヤはぞっとした。
「ごめんなさい」
落ち込むサクヤに、カオルが手をにぎってくれた。やさしくされたらまた泣きそうになった。
「あやまることねぇ。初めてのときはみんなやるんだ」
「だけど、木が死んじゃったんだよ?」
サクヤは去年死んでしまった猫のミッケを思い出していた。死んだらもう元には戻せない。どんなにサクヤが泣いても、それは絶対なのだ。
サクヤの落ち込みかたに、タロウはじっくり考えてから口をひらいた。
「そうだ。木は死んじまった。だけどな、病気になった木はそこで終わりじゃないんだぞ。倒れた木がくさると、ほかの木の栄養になんだ。木が倒れたところから、また何年もしたら新しい木が生えてくんだ。
おれがもっと小さいとき、父ちゃんに言われた。おれの父ちゃんが子供のとき、ここの林は全部病気になっちまったんだ。それなのに、おれが生まれたときにはここはもうまた林だった。
死んだら元には戻せない。だけどな、なんだ。うまく言えねえが、死んでもそれで終わりじゃねえぞ」
サクヤはびっくりしてタロウを見た。サクヤは死んだらそれが終わりだって思っていたのだ。
だけどタロウの目を見たサクヤはもっとおどろいた。カオルもおどろいてタロウを見ている。タロウのまん丸の目から、大きな涙がこぼれていたのだ。
ぽたぽたぽたぽた。タロウの目からどんどん涙がこぼれ落ちる。
サクヤとカオルは、あわてて今度はタロウのことをなぐさめた。
タロウがようやく泣きやむと、三人はまた樹液を集めだした。結局十三個のビンのうち、サクヤとカオルは三つずつしかいっぱいにできなかった。残りの七つは全部タロウが入れた。しかもタロウはなれない二人に、色々と教えてくれながら樹液をとっていたのだ。
タロウくんってすごいな。
サクヤはそんなことを思った。
「タロウ一人の方が楽ちんだったんじゃない?」
カオルがきくと、タロウは顔をくしゃくしゃにして笑った。もうタロウの目に涙はなかった。
「当然だ。だけど一人でやったんじゃ楽しくないぞ」