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三人はまた森に入っていった。昨日はまっすぐ進んだけど、今日はすぐに左に曲がった。タロウはゆっくり歩いてくれて、サクヤもカオルもちゃんと疲れないでついていけた。
タロウは時々そんな二人をふりかえってきた。
しばらく歩くと、また森のみどりが開けてきて、大きな池に着いた。さっきのみずうみとは違って滝はない。大池はおだやかで、水面にはいくつもみどり色のハスが浮いている。みどりの水玉模様の池だった。
おどろいたのは、ハスの大きさだ。サクヤの知ってるハスは、カエルが乗れるくらいの大きさしかない。だけどこの大池に浮いているオオハスは、サクヤたち三人がごろんと横になってもまだまだ余裕がありそうなほど大きい。昨日夢で見たハスよりも、五倍は大きそうだ。
「ちょっと待ってろ」
タロウは長い竹でほとりから一番近いオオハスをぐいと引きよせた。それからひょいとジャンプをしてオオハスの上に飛び乗った。
オオハスはタロウが乗ってもびくともしなかった。ちょっとタロウが乗ったところがたわんでいるけど、それだけだ。
「すごいすごい! 私たちも乗って平気?」
カオルがはしゃいで手を打った。
「三人乗っても沈まない?」
「もちろんだ。オオハス舟は大人が五人乗っても沈まないぞ」
本当は少しおっかなかったけど、カオルが先に飛び乗ってしまったから、サクヤも思い切ってジャンプした。
オオハス舟はやわらかくサクヤを支えてくれた。あまりにやわらかすぎて、しっかりふんばれなかったサクヤはしりもちをついてしまった。だけどオオハス舟はやわらかいから、痛くなかった。
「あはは、大丈夫?」
カオルが笑って手をかしてくれた。
サクヤがその手をかりて立ち上がると、タロウが言った。
「ああ、違う違う。お前らお客さんだから座ってろ。今からオオハス舟動かすから、どうせまた転んじまうぞ」
タロウはなれた足どりでオオハス舟の端まで歩いて行くと、長い竹の棒をぱしゃんと水面につけた。竹は大池にどんどん吸い込まれていって、タロウの肩くらいの長さで止まった。
「さあ動かすぞ」
タロウは得意げに言った。竹をつかんだ手が力強く池の底を押して、オオハス舟が進み出した。
「すごいすごい!」
カオルは中学生なのに、サクヤ以上にはしゃいでいた。サクヤも目をまん丸にして、カオルと同じことを思っていた。
オオハス舟はちゃぷちゃぷ水をかき分けて、ぐんぐん進んでいった。
「カエルになったみたい」
サクヤが言うと、タロウがげらげら笑った。
「人間はカエルになんかならねぇぞ」
それからよーしとかけ声を出して、タロウがもっと力を出してオオハス舟を操縦した。そうすると、オオハス舟は全力疾走しはじめた。
からっと暑い日差しでほてったサクヤのほほを、みずうみの清らかな風が優しくなでる。
となりでカオルがごろんと横になった。大興奮でさっきからずっと笑ってる。
「サクヤ君! 空がすごくきれい!」
サクヤもカオルをみならってごろんと横になった。真っ青な空がどこまでも突き抜けている。サクヤの住んでるところの空より、ずっとずっと青かった。
それから三人は舟を止めて、オオハス舟の上でおやつを食べた。
「あんまいなぁ!」
今日はカオルがチョコレートを持ってきてくれた。タロウはチョコレートも初めてだったみたいで、チョコレートの甘さに感動していた。
タロウくんはなにをしてても楽しそうだな。
サクヤはにこにこチョコレートを食べるタロウを見てると、自分までチョコレートの甘さに感動できる気がした。
「タロウくん、口のまわりが茶色くなってるよ」
夢中でチョコレートを食べてたタロウは、くちびるがチョコレート色になっていた。タロウは目を丸めてくちびるをさわった。
「ん? ん? 茶色くって、おれ病気になったのか?」
タロウは溶けるおかしを知らなかったみたいで、いまいちどういうことか分かってないようだ。
カオルがすぐにそんなタロウに気づいて、大池を指さした。
「ほら、自分の顔見てみて。くちびるがとけたチョコレートだらけになってるよ」
タロウは大池に顔を映して、自分の顔を見てげらげら笑った。
「こりゃたまげたぞ。おれの顔がおれじゃないみたいだ!」
タロウがあんまり大げさにおどろくから、サクヤもカオルもおかしくなって、いっしょにげらげら笑った。
「あっ!」
だけど突然タロウは笑うのをやめて、悲鳴みたいに大きい声を出した。
その声があんまりにも大きくて、サクヤもカオルもびっくりしてタロウのことを見た。
「大変だ!」
タロウはもともと白い顔を、よりいっそう白くして、大池の方を見ている。
サクヤもそっちの方を見てみると、タロウが持っていた竹の棒が、ぷかぷか大池に浮いていた。手を伸ばしても届かないくらいのところに流れてしまったみたいだ。
「おれ、ごめんだ。大変なことしちまった」
オオハス舟は池の真ん中くらいまで来ていた。はしまでは学校のプールの二倍くらい距離がある。
タロウはあわてふためいて、ぽろぽろ涙をこぼしはじめた。
「あのかじがないとオオハス舟は動かないんだ。おれたちもう岸までたどり着けないかもしんねえ」
タロウはなんどもなんどもごめんだとくり返した。とても悲しそうな声で、本当になんどもくり返している。
サクヤとカオルは不思議に思って顔を見合わせた。
それならちょっと泳いで竹を持ってくればいいのに。
岸まではちょっと泳げないけど、竹までならほんの五メートルくらいだ。そのくらいなら息つぎなしでも泳げる。
「あ、もしかして!」
ここでもカオルが先に気づいて声を上げた。
「タロウって泳げないの?」
「当たり前だ! おれは魚じゃねえんだ。泳げるわけねえ」
タロウはめそめそ泣きながら言う。
なんだ。そんなことだったんだ。心配してそんしちゃった。
タロウくんが泳げないっていうより、妖怪はきっとみんな泳げないんだ。だから人間が泳げるなんて最初から思ってないんだ。
「それなら大丈夫だよ」
サクヤは少し安心して、タロウのことをなぐさめた。
上級生の授業に、着衣水泳っていうのがあるらしい。服やくつを身につけたままだと泳ぎにくいのをためす授業だ。タロウは全身毛むくじゃらだから、服をきているのと同じなのかもしれない。
サクヤは帽子とTシャツとくつを脱いで、半ズボンだけになった。
なにをするのかとタロウが目を丸めて見ている。
サクヤはそんなタロウににまっと笑って見せた。昨日よりうまくにまっとなった気がする。
ざぶん。
サクヤは水の中に飛びこんだ。ここまでけっこう歩いてきたから、準備体操はいらなかった。
オオハス舟の上で、あわてたタロウがサクヤの名前を呼んでいる。サクヤはすいすい泳いでいって、竹をつかんだ。
大池の水は太陽に温められて気持ちよかった。もうちょっと泳いでみたいと思ったけど、プールと違って足が着かない。タロウがあわててるのもあって、サクヤも少しこわくなった。急いでオオハス舟まで戻ることにした。
「たまげた! ほんとにたまげた!」
サクヤが戻ってタロウに竹をわたしてあげると、タロウが大はしゃぎで言った。
それから三人はまたオオハス舟の上でのんびりすごした。今度は竹を流さないように、タロウがしっかりにぎっている。
サクヤは半ズボンも髪もずぶぬれだった。だけどオオハス舟の上でごろんと横になってお話をしていると、気が付いたらすっかりかわいていた。
「そろそろ帰るべ」
三人でずっと話していると、もう夕方になっていた。おしゃべりがすごく楽しくて、時間はあっという間にすぎていた。
「ぼくたち明日も来て平気?」
「おぉ、もちろんだ。明日はおれ、まつりの準備するから、ダイダイジュの油取りに行く。お前たちも一緒に行こう」
タロウがオオハス舟をもとのところまで戻した。ひさしぶりに地面の上に立つと、かたい地面に立ってるはずなのに、ぐらぐらゆれてる気がした。
少ししたらそのぐらぐらもおさまったけど、おばあちゃん家で布団に入ると、閉じたまぶたの裏がまたぐらぐらゆれはじめた。
カオルとタロウと三人で、地震山のふもとに立っていた。地震山の地面はいつでもゆれてるらしい。サクヤたちはここへ竜のウロコを取りに来たのだ。竜はこの山のまん中あたりに住んでるそうだ。
どうして竜のウロコを取りに来たかというと、竜のウロコがどんな病気も治す薬になるからだ。
だけど地震山は簡単には登れそうにない。
ここまで来るのに通った妖怪山は、ゆるやかな坂道が多くて普通に歩けた。だけど妖怪山をこえて川を挟んだ向こうは、空へ垂直にのびてく崖だった。
「これが地震山だ」
タロウくんが信じられないことを言った。こんな崖のまん中までなんて、とても行けない。
「すべらないよう気をつけろよ」
タロウはゴツゴツした地震山に、手と足を使ってはりついて、すいすい上に登ってく。
地面がゆれているからもちろん崖もゆれている。だけどタロウはそんなの気にならないみたいだ。
カオルと二人、とほうにくれてタロウを見ていると、タロウが不思議そうに見おろしてきた。
「どうした? 早く来い」
まん丸の目で首をころっとかしげる。
「無理だよー! 私たち崖なんて登れないよ!」
カオルが大きな声をタロウに飛ばした。
「そうなのか? それは困ったぞ」
タロウは全然困ってなさそうな大きい声でこたえた。
「ここまで来たんだからなんとかならねぇかー?」
サクヤとカオルは顔を見合わせる。カオルが首をふって無理むりと言う。
サクヤは試しにゆれる崖に手をかけてみた。手に力を込めて体を引き上げてみる。
すっと軽く体が持ち上がった。
「あれ?」
おどろくくらいかんたんに体が持ち上がる。
「なんだ、できるじゃねぇか」
タロウがなんと崖から両手を離して手を叩いている。その手を打つリズムが軽快で、体が軽くなったサクヤはうれしくなってきた。
「カオルちゃん、この崖すいすい登りやすいよ!」
サクヤにはもうゆれる崖も気にならなかった。
カオルもサクヤのあとをすいすい登ってきた。
「おお、おおっ。二人とも上手だ」
「うんうん。すいすい登れるね。体が浮いてるみたい」
タロウの叩く手がぱちぱちぱちと軽快に鳴る。
そんなリズムに合わせて、三人ですいすい崖登りをした。どのくらい時間がたったのか、ふとサクヤが後ろを見ると、ずいぶん高いとこまで来ていた。妖怪山の頂上よりももっと高いみたいだ。妖怪山は森ばっかりだから、サクヤの目の中はみどり一色になった。
そのとき、突然地震山が大きくゆれた。まるで山が跳ねたみたいだ。
サクヤはおどろいて手をはなしてしまった。
「危ないっ!」
タロウが叫んだ。カオルも大あわてでサクヤに手をのばしてくる。
サクヤの体は崖からはね飛ばされてしまった。
だけど軽くなってたサクヤの体は、そよ風に乗った。
「こりゃたまけだぞ。人間は空も飛べるんだな」
タロウが口をあんぐり開けている。
サクヤはふわふわふわふわ、たんぽぽの綿毛みたいに浮いていた。
サクヤもびっくりしたけど、すぐに空を飛ぶのが気持ちよくなって、びっくりしてたのを忘れてしまった。
サクヤは竜のうろこのこともすっかり忘れて、そのまま空を散歩することにした。
あ、おばあちゃんち。
しばらくみどりの地面の上を進むと、おばあちゃんちの屋根が見えてきた。庭でおばあちゃんとお母さんが布団を干してる。
サクヤが庭にふわりと降り立つと、お母さんが笑顔を向けてきた。
「サクヤ、おはよう」
おはようじゃなくてお帰りだよ。
サクヤはそんなことを思いながら、お母さんのところへかけよった。