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「それじゃあこの前来たときの約束も覚えてないよね。あのね、この前ここに来たときにね、来年はこの滝の向こうまで探検しようって言ってたんだよ」
「そうだったの? それってずっと待っててくれたの?」
「そうだよ。ふもとの学校の友達はこんな山奥まで来たくないって言うし、それにサクヤ君と見つけた場所だったから」
カオルが言ってくれたことはうれしかった。だけどみずうみは深そうだし、滝があちこちに渦を作っていて、とても泳いでは渡れなさそうだ。
「でもここを渡るの、危なくないかな? ぼくそんなには泳げないよ」
「まさか! 泳いで渡らないよ。あの滝の裏に道があるんだよ。そっちからなら歩いていけそうだから」
カオルは滝の方を指さした。ここからだと滝の裏の道は見えない。サクヤはそんなところに道があるとは信じられなかった。
サクヤがそんなふうに思ったのを、カオルに気付かれたみたいだ。サクヤは手を取られて滝の方へひっぱられた。
「三年前、サクヤ君が見つけた道なんだよ。ほら、こっち」
森の中よりは歩きやすいけど、ここの地面も岩場でごつごつしていた。元気に進むカオルについて行くのは大変だった。
二人で滝のすぐ真横まで来た。滝の裏側の岩肌はそりかえっていて、結構広い道になっていた。二人並んで歩けるくらい。
まるで誰かが作ったみたいだ。
「ほんとだ。すごいね」
滝が水滴を跳ね上げて、濃いきりを作っていたから、先までは見えない。だけど向こう岸までつながっていそうだ。
「そう! すごいでしょ? 滝がカーテンみたいになって、なんか不思議な感じだよね」
カオルの言うとおり、その道は滝のカーテンにおおわれているようだった。真昼の太陽の光がそのカーテンを突き抜けて、道に水底のような影を落としている。その水の影はうねうねと動き続けているから、まるで地面そのものが動いているようだ。それはおとぎの国の道みたいだった。
カオルと繋いだままだった手に、ぎゅっと力が入った。カオルもたぶんおんなじ気持ちだった。サクヤの手をぎゅっとにぎり返してくる。
「行こ」
二人ほとんど同時にそう言って、少しおかしくて笑い合った。
それからおとぎの道を二人並んで進み始めた。
道に充満しているきりを、押し分けるように進む。
体が湿っていった。
水滴は少し冷たかったけど、滝から抜けてくる太陽がちょうどいいくらいに暖かかった。
しばらく歩くと、サクヤは少しおかしい気がしてきた。 幅の広い滝だけど、歩いてそんなに時間がかかるわけない。滑ったら危ないからゆっくり進んでいるけど、それを考えても向こう側に抜けるまで、少し長く感じる。
ようやくきりの中からでも向こう岸が見えてきた。サクヤとカオルは少し早足になって、滝の裏を抜けた。ほっとしたのもつかの間、サクヤとカオルは目を大きくして顔を見合わせた。
そこは一面黄色い花の花畑だった。
「向こうから見たときこんなだったっけ?」
カオルに確認されて、サクヤは首を傾げた。向こうからは黄色なんてひとかけらも見えなかった気がする。サクヤは振り向いて反対の岸を見た。向こうはちゃんと元いたところに見える。
「なんか変な感じだねー」
カオルが笑顔で言った。
「ほんとだね。この花なんて名前だろ?」
サクヤもカオルも不思議だったけど、見間違いだったかもとそれほど気にしなかった。サクヤはしゃがんで花をよく見た。緑のツルに小さい花がたくさん付いている。よく見てみると、小さくても花はちゃんと花の形をしていた。大きくしたら、タンポポみたいな花だ。
「家の近くでは見たことない。かわいい花だね」
カオルがそんな答えを言ったとき、少し遠くの方から声が聞こえた。
「お前たち、そこで何してんだ?」
怒った声じゃなかったけど、サクヤは少しびっくりした。
来ちゃ行けないところだったのかな。
そう思って声がした方を見ると、遠くに白い毛皮を着た子供がいた。
夏の一番暑いときなのに、どうして毛皮を着てるんだろ。
そんなことを考えていると、その人は二人のことを確認しながらゆっくり近づいてくる。
背はサクヤより少し大きい。でも子供の声だったから、同じ歳くらいかもしれない。
だいぶ近付いてきたから、少しずつよく見えるようになってくる。そしたら、白い毛皮だと思っていたのが、毛皮じゃないことが分かった。サクヤは大おばあちゃんの言葉を思い出した。
「ここ、西の森なんだよね?」
サクヤは小さい声でカオルにきいた。カオルはぎこちなくうなずく。
「お前たち人間か? みずうみの向こうから来たのか?」
近づいてきたら、向こうからそう声をかけてきた。
その姿はまるで猿みたいだった。
顔のまわりが白い毛で覆われている。それが毛皮のフードに見えたのだ。
肌は白めの肌色だ。
頭には三角の耳が二つ付いていて、くるっくるっと動いている。
目は黒目が大きくてらんらんと光っている。
鼻はすごく低かった。
「おれはタロウ。妖怪の子供だ。人間がなんでこっち来たんだ?」
サクヤとカオルはおどろいてしまって何も言えない。それを見た妖怪タロウは、かわいらしく首をかくっとかしげた。
「何も言わなきゃ分かんないぞ。迷子か?」
タロウは優しい声できいてきた。三角の耳がやわらかくたたまれる。
ゆっくり一歩近づいてきて、少し膝を曲げる。目の高さを合わせて、またかくっと首をかしげた。
「名前聞いてもいいか?」
タロウは言うと、顔をしわくちゃにさせて笑った。
サクヤはそれで少しだけ安心した。
「ぼくはサクヤ。人間の子供だよ」
「私、カオル」
カオルも続いて言う。カオルはそれから一歩前に出て、サクヤの前に立った。
「タロウは妖怪なの?」
「おう、おれは妖怪だ。人間は妖怪って聞くと恐がるけどな」
そう言ったタロウはげらげら笑った。ほがらかな笑い声だ。
「でも大丈夫だ。妖怪はべらの花を食べるから、人間食べたりはしない。お前たちは何しにこっち来たんだ?」
タロウとカオルは顔を見合わせた。思っていた妖怪とは少し違うみたいだ。
「私たち探検に来たのよ。滝の裏に道があったから、どこにつながってるのかなって思って」
タロウははちきれそうなほど目を大きくした。
何におどろいたのかと思ったら、サクヤたちが探検しに来たことにだった。
「へえ、お前ら探検好きなのか?」
タロウはにこっと笑った。
「おれも探検好きだ。そうだ、お前たちまだ帰らねえか?」
カオルは緊張がほどけてきたみたいで、素直にこくっとうなずいた。
「ならおれ、探検してみたいとこあんだ! 一緒に来ねぇか?」
タロウはぴょんと飛び跳ねて手を一回パチンと叩いた。毛むくじゃらの手で良く音が出るなと思ったら、手のひらには毛がないみたいだ。
カオルはもう少しも怖がっていないみたいだ。
タロウがどこか連れてってくれるって言うと、目をきらきらさせてうなずいた。
妖怪と探検するなんて、めったにあることじゃない。ちょっと怖い気持ちもあるけど、サクヤもドキドキの方が強かった。