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サクヤはほっとしたけど、タロウのあまりの仕打ちを思い出して腹がたってきた。
サクヤがタロウをふりかえると、タロウはまだ三角の目で怒っていた。
サクヤはそれを見たら急に怖くなってしまった。タロウが怖いんじゃない。じゃあ何が怖いのかは分からなかったけど、目に涙が浮かんできた。
サクヤは自分が小さくなった気がした。
なにかとてつもない大きなものに笑われているようで、いてもたってもいられなくなった。
サクヤが泣き出しそうなのを見たからか、タロウがはっと耳を立てた。
「サクヤ」
タロウが何か言おうとしたけど、サクヤはどんな言葉でも聞きたくないと思った。
だからサクヤはタロウを振りきるように逃げ出した。
だいだい樹のある方に、全速力で駆けた。子猫を抱いていたときよりもずっと速く走った。
カオルとタロウが呼び止めようとしてきたけど、その声もすぐに届かなくなった。
どこに行くつもりでもなかったけど、とにかくタロウのそばから離れたかった。
タロウくんはひどい。あんなのってない。子猫はケガをしてたのに、みずうみに投げ飛ばすなんて!
サクヤは走りながらそんなことを考えた。
タロウくんのことを信用してたのに、タロウくんのことを優しいと思ってたのに。
サクヤの目からまた涙があふれてきた。
ミッケのことを思い出した。昨日の夢じゃタロウとミッケは仲が良さそうだった。だけどタロウが猫を嫌いなら、きっとミッケのことも嫌いなんだ。
だいだい樹の林まで半分くらい来た。それまで一気に走り抜けてきたサクヤは、そこで転んでしまった。地面がぬめぬめして滑ったのだ。
ひざをすりむいた。地面についた手があざになった。
滑りやすいから転ぶなよと、タロウが言ってたことを思い出した。
サクヤはみじめな気持ちになって、立ち上がる元気もなかった。
だけどこのままここにいたら、タロウくんたちに見つかっちゃう。
もしそうなったら恥ずかしいから、サクヤはなんとか立ち上がった。このまま進むと、森がなくなって、しばらく滑りやすい道が続く。だからサクヤは向きを左に変えて、森の中に隠れることにした。
森の中はみどりのにおいがぐっと濃くなる。
サクヤはいっぱいに息を吸いこんで、森のにおいを取り込んだ。それから大きな木の下に座り込み、ぎゅっと目を閉じた。そうするとまるで森と一つになったみたいで、サクヤは自分の体がみどり色になっている気がした。
しばらくそうしていると、サクヤもだいぶ落ち着いてきた。
落ち着いた頭で考えてみると、やっぱりタロウはひどいと思った。だけどそのあと逃げてきたのは、良くなかったとも思った。カオルにも心配させてしまっていると思う。
だけど今さら顔を出すのも恥ずかしくて、サクヤはそのまま隠れ続けた。
一度サクヤを呼ぶタロウの声が聞こえてきたけど、サクヤが応えようか迷っているうちに、遠ざかっていってしまった。
ずいぶん時間がたった。心細かったけど、もう自分でもどうしたらいいか分からなかった。
できたらカオルちゃんに見つけてもらいたい。
そう思いながらサクヤはじっとしていた。
「サクヤくん、見つけた」
サクヤの思いが届いたのか、ついにサクヤはカオルに見つけてもらえた。サクヤがゆっくり目を開けると、心配そうな顔のカオルが前に立っていた。
カオルはすぐには何も言わないで、サクヤのとなりに腰を下ろした。
「ごめんね」
サクヤが言うと、カオルがううんと言ってから話し始めた。
「サクヤくんは何も悪くないよ。私もあの子猫がかわいそうだって思ったもん」
カオルはいつもの早口じゃなくて、大人みたいな落ち着いた話し方だった。
「あのあとね、私タロウに怒ったんだよ。なんでそんなことするのって。そしたらタロウね、ちゃんと理由話してくれたよ。
タロウはね、猫が嫌いだからあんなことしたわけじゃないんだって。サクヤくん、べらの花って覚えてるよね? タロウが話してたやつ。べらの花がないと妖怪は生きられないんだって。そのべらの花をね、猫は病気にさせちゃうの」
サクヤはびっくりしてカオルの方を見た。カオルは真剣な目でサクヤを見ている。サクヤはカオルの言葉の続きを待った。
「だから妖怪は猫を見たら、絶対向こう側に追い出さなきゃいけないんだって。じゃないとタロウの村の妖怪がみんな生きられなくなっちゃうの」
聞けば、猫はべらの花のくきで爪とぎをして、今まで何回も妖怪の村を台無しにしていたという。
カオルは台無しという言葉を使ったけど、サクヤにもそれがどれだけ大変なことかは想像できた。
カオルのおかげで、タロウが怒ったわけは分かった。だけどサクヤはやっぱりさみしい気がした。
サクヤの大好きなものを、タロウは絶対好きになれないのだ。せっかく友達になれたのに、それがすごくやりきれなかった。
「私、タロウにサクヤくんがいたって伝えてくるね。タロウ、サクヤがマネキダニに呼ばれたかもって、すごく心配してたから」
カオルは一通り説明してくれたあと、そう言って立ち上がった。
サクヤはもう少しカオルにいてほしかった。それにタロウにはまだ会いたくなかった。だけどそれがわがままなことだと分かっていた。
サクヤがこくりとうなずくと、カオルは「待っててね」と、一言残して行ってしまった。
前にもタロウはマネキダニの話をしてたけど、サクヤにはそれがなんなのかは分からなかった。
サクヤは急に不安になってきた。気付けばあたりは夕暮れで、みどりの森は赤く染まって、薄暗い。
いつもより木が大きく見える。虫や鳥の鳴き声も大きく聞こえて、サクヤは押しつぶされる気がした。
サクヤはぎゅっと目を閉じて、耳をふさいだ。
タロウの顔が頭に浮かんだ。笑ったり泣いたりおどろいたり、頭の中のタロウの表情がくるくる変わった。
いつもたくさん気づかってくれて、ちょっとのことで顔をくしゃくしゃにして笑う。
タロウは妖怪だから、べらの花がないと生きられない。
いつも楽しかったからちっとも気にしてなかったけど、タロウは他の友達とはまるで違う。
そう、タロウは妖怪なのだ。分かりきったことだったのに、サクヤはすっかり忘れていた。
「妖怪は人間とは違う生き物だ」
大おばあちゃんが言ってたことを思い出した。
タロウはサクヤとは違う。どんなところで育ったかも、どんなものを食べてきたかも、どんなことをして遊んできたかも、どんなものを見て、どんなものを聞いて、どんなふうに感じたかも、まるっきり違う。
サクヤにとって、子猫には優しくするべきなのに、妖怪のタロウにはそうじゃない。
違う生き物だということは、こんなに違うということなのだ。
ぎゅっとつむっていたはずの目から、涙があふれてきた。
ついにサクヤは気付いたのだ。
気付いてみると、それはとても当たり前のことだった。当たり前のことなのに、サクヤは自分で気付いたことにびっくりしていた。
サクヤとタロウでは、どんなものが正しいかも一緒じゃない!