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オオハス舟に乗れば、いつでもカオルちゃんとタロウくんに会いに行ける。
布団から起き上がったサクヤは、まだ半分夢ごこちでそんなことを思った。
すぐに今のが夢なんだって思い出して、サクヤは自分がおかしくなって少し笑った。
古いかべの時計は十時十分のVマークだ。
今日も寝坊しちゃった。
サクヤは布団の上でぐーっとのびをして、頭をすっきりさせた。
お父さんは今夜に来るから、たぶんタロウと会えるのは今日が最後だ。
サクヤはお昼ごはんにサンドイッチを食べた。
サンドイッチはおじいちゃんのとくい料理だ。
「どうだサクヤ。じいちゃんのいり卵はゼッピンだろ?」
サクヤは家庭科でいり卵を作ったことがあった。
卵をかき混ぜながら焼くだけの簡単な料理だ。
「うんうん。ゼッピンだね」
おじいちゃんのいり卵も普通のいり卵だったけど、サクヤはにこにこ笑いながらうなずいた。
おじいちゃんがじまんして言うから、サクヤは気をつかったのだけど、おじいちゃんにはすぐに見やぶられてしまった。
見やぶったぞ! なんてはっきりは言わなかったけど、「ほんとに大人になったなぁ」なんて頭をなでられたから、たぶんそうだ。
サクヤはちょっと恥ずかしくてうつむいた。
お昼のあとすぐにカオルが来た。玄関から居間まで届く、元気な大声が聞こえる。
「サクヤくーん! 遊びに来たよー!」
居間でのんびりしてたおじいちゃんが、にやって笑った。
「お、今日も台風娘が来たな」
カオルの声は耳の悪いおじいちゃんにも良く聞こえたみたいだ。
「あ、そうだ。カオルちゃんにもあいさつしなきゃね。サクヤ、一緒に行こ」
立ち上がって玄関に行こうとしてたサクヤに、お母さんが言ってきた。お母さんもざぶとんから立ち上がる。
玄関ではカオルがぱたぱた手をふっていた。サクヤも手をふり返す。
「サクヤくん、ミサちゃんこんにちはー」
「こんにちは」
「こんにちは。カオルちゃん、私たち明日帰ることになったよ。宿題はもう大丈夫?」
「え! もう? 宿題はおかげさまでばっちり。次はいつ来られるの?」
「次は冬休みかな? サクヤ来たい?」
サクヤはびっくりしてお母さんを見た。おばあちゃんちには、いつもは夏しか来てなかったはずだ。だからサクヤはてっきり、来年の夏までカオルとタロウには会えないと思っていた。
サクヤはもちろんと大きくうなずいた。
「冬休みも春休みも来たい」
サクヤがそんなふうに言うと、お母さんがゆっくり笑った。
「そしたら冬休みも春休みも来よう」
「やった。そしたらサクヤくん、次は冬休みだね」
カオルがタロウみたいに手をぱちんと叩いた。さすがに跳びはねたりはしなかったけど、それでも少し大げさな感じがした。
お母さんがそれを見て声をあげて笑うと、カオルも少し恥ずかしそうに笑った。
「あ、そういえばミサちゃん、今日なんだけどね、帰りがいつもより遅くなるかもしれません」
「ん? そうなの?」
「うん。今日サクヤくんとおまつりに行くから」
「へー、そうなんだ。この時期におまつりなんてあったっけ? ふもとの方のおまつり?」
「ううん。友だちのおまつりなんです。秘密のおまつりなの」
お母さんはそれだけきくと、「ああなるほどね」なんて納得した。
それからサクヤはカオルと二人で、また西の森に入った。
太くて黒ずんだ木の下に、こけだらけの根がある。
サクヤはそこをひょいと飛び越えた。
何日も通った道だから、サクヤももう転びそうにはならなかった。
ごつごつした石の上も、どう足をふみだしたら通りやすいか、サクヤはもう知っていた。
サクヤは歩いてきた方をふりかえってみた。
目にうつるのは、サクヤの家のまわりじゃ考えられない深い森だ。こんなところを通って来てるなんて、自分でもふと信じられない気持ちになった。
「サクヤくんどうしたの?」
カオルが後ろを向いてるサクヤに気付いて、声をかけてくる。
「ううん。ただ何日か歩いただけなのに、もうすっかり知ってる森みたいな気がしたんだ」
「そうなの? あっ、そっか。サクヤくん、三年前も四年前もたくさんこの森に来てるから、体が覚えてたんだよ」
サクヤはカオルに言われて少しびっくりした。言われてみたら、たしかにそうなのかもしれない。
ぼくはこの森のことをよく知ってるんだ。
そう考えると、とたんにこの森のことがなつかしくなってきた。
そのときサクヤの目に、この森にはめずらしい色が飛びこんできた。葉っぱのみどりや木の茶色ばかりの森で、真っ白な生き物がうずくまっていたのだ。
それはタロウみたいに大きくなかった。サクヤの手に乗るくらいの小さな体が、木々のあいまで小きざみにふるえてる。
「カオルちゃん、あれ」
サクヤが指さすと、カオルも「あっ」と声を上げた。
白い小さな生き物は、ふわふわで、左右目の色が違う子猫だった。
サクヤとカオルはその子猫に近付く。子猫は弱々しく顔を上げたけど、二人を見ても逃げ出さなかった。
「サクヤくんのおばあちゃんちにいた猫かな?」
カオルがきいてきた。サクヤもあのときの子猫とよく似ていると思っていた。
近くで見ると、子猫は左の後ろ足にけがをしているみたいだった。
だからサクヤたちを見ても逃げなかったようだ。
サクヤはそんな白猫を抱き上げて、とほうにくれてカオルを見た。サクヤには子猫のけがをどうしていいか分からない。
それはカオルもおんなじだったみたいだ。サクヤが見たカオルの顔は悩んでいる顔だった。
「ここからならタロウのとこのが近いよね。タロウに相談してみよ」
けがをした白猫を抱きながら二人は走った。
カオルの言ったことは、サクヤにはとても名案に思えた。タロウは二人が知らない色んなことを知っている。あの優しいタロウなら、きっとこの子猫を治してくれる。
速く速くと思いながら走ったから、滝のみずうみまではあっという間だった。
おとぎの道もそんなに長く感じなかった。
滝のカーテンを抜けると、サクヤはすぐにタロウの姿を探した。
いた。
サクヤたちが急いで来たから、タロウはおどろいた目でこっちを見てる。
「サクヤ、カオル、どうしたんだ? あんまりあわてると転んじまうぞ」
「タロウくん! 大変なんだ!」
サクヤは叫ぶように言ってタロウのところに走った。
「お? なんだサクヤ、その白いの、何持ってんだ?」
サクヤが近よると、タロウはころっと首をかしげた。カオルもすぐにサクヤに追いつく。
「タロウくん、この子が足をけがしてるんだ。どうしたらいいかな?」
サクヤは急いで質問したのに、タロウはびっくりした目のまま動かない。
どうしたんだろ?
サクヤは不思議に思ってタロウの目を見る。タロウの目は白い子猫にくぎづけだった。
「サクヤ、それ、もしかして猫か?」
「うん。そうだよ。タロウくんならけがをどうしたらいいか知ってるかなって」
「サクヤーっ!」
突然! タロウがわれるようなどなり声をあげた。
タロウの顔が見たことないくらいに真っ赤だ。目が三角になってる。
びっくりだ。
あの優しいタロウが怒っているのだ。
まさかタロウは猫が嫌いなのか。サクヤはあんまりのことにしりもちをついた。そのひょうしに白い子猫がサクヤのうでから飛びおりた。
「にゃー」
のんきな声で子猫がけがした足をなめ始めた。
そんな子猫をむんずとつかんで、タロウがなんと、みずうみにぽーんと投げすてた。
「タロウ!」
カオルが悲鳴をあげた。
猫はボールみたいにみずうみに向かって飛んでいく。
サクヤは猫を追いかけてみずうみまで走る。
「にゃぎゃー」
ぼちゃんという音と、猫の必死のなき声が重なった。
サクヤは急いだ。けがをした猫が泳げるわけない。そう思ったのだ。
だけど子猫はあんがい平気そうで、すましたしぐさで泳ぎ始めた。滝がうずを作っているのにおかまいなしで、すいすい泳ぐ。そしてそのまま向こうの岸まで泳いでいってしまった。
サクヤもすぐに向こうまで戻ろうと思ったけど、子猫の前に同じ様なふわふわの大きい猫がかけよってきた。
子猫は後ろ足をひきずりながら、うれしそうに大きい猫に近づく。
子猫は無事、お母さん猫と会えたみたいだ。
お母さん猫は子猫の首を優しくくわえて、そのまま森の中に消えていった。