意地っ張りな君のための旅 【旅】 《2000字》
「私のために今すぐ死ね。」
「初めてのおねだりがそれって、ハードル高いなあ。」
何の脈絡もなく唐突に「私のために死ねるか。」と愛しの彼女様に問われ、「君が危険に晒されるなら、喜んで。」と返したら、これである。
見る限り、彼女は今命の危機にさらされているようには感じられない。どちらかと言えば彼女に銃を突きつけられているおれの方が危機的状況にある。女社長、部下を射殺、という新聞の見出しが脳裏を過る。
「君からのおねだりはもちろん嬉しいんだけどね、とりあえず銃は下ろそうか。それからどうしてそういう考えに行きついたのか、ぼくに教えてもらえるかな?」
説得して渋々ながら銃を下ろしてくれてこっそり安堵のため息を吐く。
しかしながら何事だろう。ぼくたちは恋人であって、まさか日常的に命のやり取りをするような殺伐な間柄ではない。
「私のためなら死ねるんじゃなかったのか。」
「いや死ねるけど、流石に理由もわからずに殺されるのはちょっと……。それに死んだら君にあえなくなっちゃうからできれば生きたままでいたいな。」
甘い言葉を吐けば、きれいな顔に嫌悪の色が浮かぶ。不機嫌そうに見えるが、これは彼女なりの照れ隠しだ。
意地っ張りの見栄っ張り。自信家で高慢。信じられるのは自分だけと豪語する。だが近くにいれば人に見せないだけで努力家、部下想いなところが見えてきて、高慢な態度でさえ彼女の良さを引き立てるギャップにしかならない。
そんなストイックな堅物仕事人間の彼女を落とすためにあるゆる方法を取り、つい先日ようやく恋人という座をぼくは手に入れたのだ。
とかく人を頼ろうとしない彼女からの初めてのおねだり。男として嬉しくないはずがない。銃口がぼくの方を向いてさえいなければ。
「それで、どうしたの?死んでほしい位にぼくのことが嫌いになっちゃった?」
「……違う。」
答えなどわかり切っていることを聞けば不機嫌そうに否定する。じゃあなぜ、と視線で答えを促すと、心底不満そうに仏頂面で明後日の方向を見る。
「……から、」
「ごめん、なんて?」
「……好きになったから。」
思わず瞠目する。彼女からそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかった。だがしかし、それでぼくを殺すという話にはならないだろう。
察しきれないぼくにますます機嫌を損ねぶすくれた彼女から、どうにかこうにか話を聞き出してみれば、曰く、恋人であるぼくが自分にとっての弱みになりかねない。だが別れる気も自分のものを他人に暮れてやる気もさらさらなく、ならばいっそ殺してしまおうという結論に至ったらしい。
理由は何ともかわいらしい彼女らしいのだが、如何せん結論が可愛くないし、笑えない。
「だとしても死ぬのはちょっと難しいかな。」
「死ね。」
「厳しい、話聞いて。」
見るからにイライラしだしたアグレッシブな彼女に苦笑いを零す。一刻も早く弱点となり得るぼくを排除したいのだろうが、あいにく死ぬわけにはいかない。なにより今ぼくを殺してしまえば後悔するのは彼女の方だろう。
だが決めたことは決めたこと。彼女は結論を簡単に曲げたりはしない。
「死ぬのはちょっと難しいから、代案を出すよ。」
「なんだ。」
「ちょっと旅に出るね。」
にっこり笑うぼくと対照的にらしくもなく呆然とする彼女はなんとも愛らしい。図ったわけでもないけど悪戯が成功したような心地だ。
「……旅、だと?」
「うん。もう何年も有給なんて使ってなかったしそれを一気に消化。それがだめならそうだね、休職にしよう。名目は海外留学だね。確か海外進出するための先駆社員募集してたよね。それに行くよ。」
唖然とする彼女をおいてけぼりにプランを話す。
もともとこれは彼女のことを諦めたら現実逃避もかねたプランだったのだ。まさかこんな形でこの計画を利用することになるとは思っていなかったが、考えておくものだ。
「おい、何を勝手に……!」
「別にいいでしょ?ぼくと君が付き合ってることを知ってる人はいないし、ぼくが君の下から離れればばれることもまずない。弱みにはならない。」
「だが、」
「殺すつもりだったんだから、旅に出たところでとくに困らない。違う?」
「……違わない。」
そこからはとんとん拍子で話が進み、ヨーロッパ行きが決まった。一度とはいえ同意したため引っ込みがつかなくなったのだろう。
自分の所有物が手元にないことに、彼女は耐えられない。それをわかっててこうしてわざとらしく出立するのだから、ぼくも大概性格が悪い。
半年もしないうちに社員の中からぼくだけに帰国命令が下りて、我慢比べに勝ったことが分かった。もう少し素直になっていることを期待して、ぼくは旅に終止符を打つのだ。