21番目の君へ
この世には、アニマという生き物が存在する。遺伝子は限りなく人間に近く、その容姿、思考回路、ほとんど人間と変わらない生態をしている。アニマの始祖は遺伝子異常により生まれた。人間の胴体、手足を持ちながらネコ科の動物に近い形態の耳を持って生まれた。当時奇形と呼ばれていたが、それがアニマの始祖であると特定されている。それ以降、動物の身体をもつ人間が生まれることが続いた。当初は様々な迫害を受けていたが、時勢が転じ戦争が始まって以降、特殊な身体能力をもつアニマ重宝され、現在、政府は人工アニマの研究が進められている。今から二年前より人工アニマの戦線投入が始まり、我が国の戦況は好転した。また人工アニマの脳は研究所の技術により、
外から聞こえる大きな羽音には、私は読んでいた新聞を放り出した。
家の中で一番大きな窓のある二階への部屋へと走る。二重窓の鍵を開け、両手で強くそれを押し開ける。数メートルさきに大きな翼をはためかせこちらへ向かってくる影を見つけ、叫ぶ。
「おかえり、バチ!」
少しだけスピードを落とした彼はそのまま私を巻き込んで窓から部屋に転がり込んできた。予想通り、突進してくる彼を受け止め部屋の中を転がる。机の上にあったペン立てが大きな音をたてて落ちるがそんなことも気にならない。
「ただいま、ヒジリ!」
満面の笑みのバチは、鳥の翼から人間の腕に変えて痛いくらい私を抱きしめた。
私の友達のバチは、戦場に送り出される人工アニマだ。
「バチ、怪我はない?大丈夫?」
「大丈夫だよ。今回はほとんど偵察だったから。」
ガツガツとバチの足の爪が床に擦れ音をたてる。これを聞くと彼がちゃんと帰ってきてくれたのだと実感できる。
怪我の有無だけ聞いたら、それ以上戦場のことについて聞かない。せめて平和なここでは戦いのことを忘れてほしいのが一つ。そしてもう一つは、バチが戦場のことを私に聞かせたくないことを知っているから。だから聞かない、言わない。それが私たちの暗黙のルールだ。
戦争が始まって10年あまり、いまだ終結は見えない。この国の科学技術が発達したのは事実だが、それは他国だって同じだ。アニマの開発の詳細は国の極秘事項だがそれだって漏れている可能性が高い。遺体は戦場に残ってしまうのだから。
「お疲れさま。」
「ありがとう。それよりさ、今日はある?」
「あるよ。そろそろだと思ってたし、おいしい林檎をおすそ分けしてもらったところだから。」
「やった!」
年相応に喜ぶバチを見ながら、彼の好物であるアップルパイを冷蔵庫から取り出す。これも言葉にはしないが恒例のことだった。彼が戦場から戻ったら、アップルパイを振る舞うこと。幸い、戦況はテレビやラジオである程度報道されるから、いつ彼が帰ってくるかは大体わかる。
目を輝かせてアップルパイにフォークを突き立てる彼が毎日のように戦場に舞い、ほとんどこちらへ帰ってくることもできないという現状は悲惨だ。それでも人間はアニマに頼らざるを得ない。アニマの犠牲のおかげで、人間の死傷者は減る。それを良しとするのが一般論だ。戦争が始まる前までは、アニマにも人権を、という擁護運動があったが今はそれも消え失せた。人間はアニマの犠牲の上に立つ平和にしがみ付いている。
「おいしい?」
「おいしい!本当、ヒジリの作るアップルパイを食べるために無事に帰ってきてるって言っても過言じゃないよ!」
「べた褒めだねえ。」
パクパクと順調に消費していく彼を眺める。
最初から従軍するために生み出された人工アニマのバチと出会ったのは10年以上も前だった。私も彼も子供で、本来なら出会うこともない環境だった。
巨大な台風がこの街を覆い、風が唸り、雨が窓を激しく叩くような夜だった。運悪く、その晩両親は出かけていて、家にいるのは私一人だった。雨風に責め立てられる家の中、私は一人二階のベッドの上で縮こまっていた。停電したせいで真っ暗になった部屋の中私はただ台風が過ぎ去り夜が明けるのを待っていた。だが一際風が大きな音をたてた直後、部屋の窓が突然砕けた。
「きゃああ!?」
ガラスが飛び散り、割れた窓から雨風が激しく吹き込んでくる。恐る恐る窓の方へ近づく。すると窓ガラスを突き破った犯人の姿が見えた。
「……鳥?」
茶色の大きな翼にそうつぶやいた。でもその鳥はうめき声を上げて少しだけ顔を上げた。それは同年代の人間の顔だった。窓を突き破った傷だらけの鳥人間、それがバチだった。
後々話を聞けばどうも嵐の中飛行訓練をしていたところ、風に流されて研究所に戻ることもできず、たまたま私の部屋の窓を突き破り墜落したとのことだった。
最初、詫びに来たバチだったが、それから度々バチは私の家を訪れるようになった。それは戦争が始まり、彼が前線に駆り出されるようになってからも変わらなかった。
最初は私と同じくらいの背丈だったバチ。でも今はもう私よりはるかに高い所を見てる。
昔はよく怪我をしてたのに、気が付けば怪我をする回数も減った。
泣き虫だったバチは変わり、いつからか笑ってばかりいるようになった。
戦場に行けば憔悴して帰ってきたのに、今は全て笑顔の裏にしまい込んでしまっている。
簡素な訓練兵の服を着てたのに、今ではいくつも隊服に勲章を付けている。
たくさん変わった。
変わらないことと言えば、必ずお帰りということとアップルパイを食べることくらい。
戦場になど出られない私は、ただ彼の帰りをここで待つ。できることはそれくらいしかないから。
でも何があっても私は待っていられる。彼は、何があっても戦場から帰ってくると、数年前から気づいたから。
「バチ、最近背が伸びないね。」
「……成長期っていう年じゃないからね。もう伸びきったんだよ。」
「じゃああとは横に大きくなるだけだね。」
「嫌なこと言わないでよ。動いてるから大丈夫。」
わかりやすく拗ねるように唇を尖らせる。笑いながらその唇をつまむと不満げな声を上げるから、また笑う。
「ヒジリもうちょっと労わってよ。そんな風にされたら口まで鳥みたいになっちゃう。」
「ごめんね。じゃあ唇尖らせてないで機嫌直してよ。」
「……仕方ないなあ。」
甘いものが好きなバチにココアを差し出せばけろりと機嫌を直す。これも、いつものことだ。私よりもずっと大きくなった彼。それでも私はできる限り彼を甘やかしてあげたいと思う。
「ヒジリ!散歩に行こう。ぽかぽかしてて暖かいし、動かないでいると君がいうみたいに横に大きくなるかもしれない。」
揶揄うように笑う。
大きな窓から、私を背に乗せてバチは青い空に飛び出した。
轟々と風が唸り、私はぎゅうと彼の彼の背中にしがみ付いた。
いつものこと、変わらないこと。
帰ってきたらお帰りと言うこと。
アップルパイを一緒に食べること。
拗ねたらココアを上げること。
空の散歩に二人で行くこと。
それから、スピードを落として緩やかに空を舞うころ、私は羽毛の生えかけた彼の項を見ること。
「21……、」
「ヒジリ?何か言った?」
変わることは、そこに書かれた番号。
「……何も、言ってないよ。」
私はただ何も知らないように笑う。いつものように彼を迎えて、一緒に過ごし、また戦場に見送る。
いつものことを、当然にすること。そして何も知らないフリをすること。私にできるのはそれくらい。
この街に、血の匂いや硝煙の匂いはない。鼻の奥にこびり付いた匂いが、網膜に焼き付いた惨状が、ここではなりを顰める。戦場からこの鉄の島は酷く平和だ。
戦場から文字通り舞い戻った僕はそのまま研究所へ戻り報告を済ませる。
随分仲間が死んだ。ここで生まれた人工アニマも、徴兵された天然アニマも。
ただここにいると、生死の概念は早々に瓦解される。死んでも、生きていても同じなのだ。
何度でも地獄に送られるのだから。
研究所を出てすぐに翼を震わせる。ぐわ、と身体が持ち上がり風がごうごうと耳元で騒ぎ立てる。向かう場所は、友達のいる家。人間ですらない俺を待っていてくれる友達に、今日も無事を伝えに行くのだ。
窓から飛び込むといつも部屋が荒れる。わかっていても、大して彼女は咎めないからおれは何度も繰り返す。風に紙が舞い上がりペンが吹き飛ぶ。何かが落ちた音がしたが気にしない。
何をしても今日という日は怒られない。咎めるより、怒るより、彼女は無事に帰ってきたことを喜んでくれるから。
「お帰り、バチ!」
「ただいま、ヒジリ!」
そうやって、何も知らないヒジリは笑うんだ。
現在、政府は人工アニマの研究が進められている。今から二年前より人工アニマの戦線投入が始まり、我が国の戦況は好転した。また人工アニマの脳は研究所の技術により、肉体の複製および戦闘経験の引継ぎのため記憶の一括コンピュータ管理を行っている。これにより、アニマの能力は飛躍的に向上し、死を恐れない勇敢な尖兵になるという研究結果が報告されている。
20回死に、記憶だけが受け継がれた21番目の彼は、何も知らなくていいという風にまた私に笑う。今までの彼らと変わらない様子で。