八件目
時刻は昼の一時。もっとも太陽が照りつける、灼熱の時間だ。
だが、それによる熱さは感じない。何故か?
クーラーをつけているから? 違う。そんなものは壊れてしまって使い物にならない。
冷たい飲み物を飲んでいるから? 違う。むしろこの状況で飲んだら風邪をひいてしまう。
もうお分かりだと思うが、今俺たちのいる部屋は真冬と同じ温度まで下がっている。その原因は、今日の依頼人だ。
俺はそこで改めて、目の前に座っている依頼人の方へと視線をやった。
そこにいるのは、一人の女性。雪のように白い肌を持ち、輝くような銀髪の髪を有している。目鼻立ちはすっきりとしていて、大和撫子という言葉がぴったりだ。おそらく、街に出れば誰もが振り返るであろう美貌の持ち主である。
そんな彼女はほぅ……っと小さくため息をつく。刹那、彼女の目の前で湯気を立てていたはずのお茶が一瞬で凍った。
そう。彼女は『雪女』。日本でもかなりメジャーな妖怪で、たぶん知らない人はいないだろう。そんな彼女は、今日あることを聞いてもらいたくてここに来たらしいのだ。
「あ、あの……そろそろ本題に入ってもらっても大丈夫ですか?」
体がガタガタと震え、上手くしゃべれないが、何とか声を絞り出した。すると彼女はふとこちらに視線をやって、小さく語り出す。
「実は、最近旦那と上手くいっていないんです……」
「旦那さんがいるんですか?」
幽華の問いに、彼女は頷きを返した。
「はい……と言っても彼は人間ですが」
雪女は、女しかいない種族だ。だからこそ、他種族と交わる必要がある。その相手というのは大抵、人間だ。
雪女は伝承でもある通り、山で迷った人々を保護したりするときがある。さらに、そこで気に入った男を見つければつがいになったりもする。けれど、付き合いもなしにいきなり結婚するのだ。それに関する不具合があってもおかしくない。
俺は改めて、彼女の言葉に耳を傾けることにした。
「最近、旦那がふもとの里に行っても遅くにしか帰ってこないんです。昔はすぐに帰ってきてくれたのに」
「はぁ……何か事情があるのでは? こっそりついていったりはしたんですか?」
だが彼女は首を横に振って小さく嗚咽を漏らした。
「いいえ……だって、もし私に隠れて誰かと密会していたら? 挙句にその現場を見てしまったら? そう思うと辛くて……」
彼女はとうとう泣き出してしまった。目から溢れた涙の雫は頬を伝って落ちるころには氷の粒となっており、地面にぶつかっては小さな破砕音を響かせた。
それにしても難しい問題だ……こういった恋愛ごとはやはり同性である幽華の方が……。
そう思い、そちらに視線を向けると、両手をクロスさせている幽華の姿。
クソ、肝心な時に役に立たんやつだ。
「で、では私たちが調査しましょうか?」
「でも、もし密会していたとして、あなたはそれを正直に話してくれますか?」
思わぬ返しに、俺はグッと息を呑む。
もしそうだと告げればまず間違いなく彼女は激昂し、旦那を殺してしまうだろう。いや、殺さないにしてもかなり酷い目に合わせるに違いない。それは俺の望むことではない。たぶん、彼女にとってもそうだ。
俺の心情を読み取ったのか、彼女はまた深いため息をついた。
「すいません、無理難題を押し付けて……」
「い、いえいえ。そんなことは……」
「とりあえず、また日を改めさせていただきます。失礼しました」
「あ、ちょっと……」
俺が引きとめるよりも早く、彼女は部屋を後にしてしまった。俺は悔し紛れに舌打ちしながら、椅子の背に体を預ける。
「……残念、でしたね」
幽華が、普段の無邪気さのかけらも見せずポツリとつぶやく。その横顔には、悔しさと辛さが滲み出ていた。
「ああ、そうだな」
結果として、今日の依頼は失敗だ。依頼人の要求を、満たすことができなかったのだから。
俺はもう一度窓の外に視線をやりながら、深いため息をつく。けれど、それで俺の冷え切った心が溶かされることはなかった。
――それから数日後だった。例の雪女から連絡が入ったのは。
どうも、全ては彼女の勘違いだったらしい。
旦那が里に行ったまま中々帰ってこなかったのは、仕事が忙しかったからで、それも彼女へのプレゼントの資金稼ぎのためだったらしい。
俺は安堵と同時に、半ば呆れ気味にため息を吐く。
何だか、いつもの数倍は疲れた気がした。