三十九件目
暗い路地裏。俺はここにひっそりと身を潜めていた。空には丸い月が上り、その灯りしかここには届かない。
なぜ俺がこんなところに身を隠してるか?
決まっている。
依頼を完遂させるためだ。
今日の依頼はとある妖怪を探すこと。俺は懐にそっと手を伸ばし、そこから一枚の写真を取り出す。
そこの中にいるのは一人の女性と男性だった。今回探すのは女性の方である。
切れ長の目に、細身の体。カラスの濡れ羽のごとき黒髪と、いかにも大和撫子といった風情の女性だ。
その隣にいるゴツい男性から俺は依頼を任されている。何でも数日前に喧嘩をして女性の方が家を出て行ってしまったらしいのだ。
後々考えれば自分が悪かったと思い探すことにしたらしいのだが、まるで足取りを終えずそこで俺を頼ってきたというわけだ。
そしてここで俺がここに身を潜めているのはそれらしき女性を見かけたという垂れこみがあったからである。確実に来るという保証はないものの、やはり可能性が高い方がいい。俺はじっと彼女が来るのを待った。
「――ッと」
ふと、俺の鼻に水滴が落ちる。空を見れば、あれだけ輝いていた月は黒い雲に隠れ、しかもぽつぽつと雨も降ってきているようだった。
だが、これは好都合だ。何故なら俺の待ち人は……。
と、そう思っていた時だった。
ふと、ぴちゃぴちゃという足音共に前方から妖気が溢れてきたのは。
「来たか」
俺は小さく呟いてじっと目を凝らす。すると、現れたのは写真に写っていた女性だった。彼女は白無垢のようなものを着ながら、雨の中をゆっくりと歩いてくる。
俺はそこでゆっくりと身を物陰から出した。すると、彼女はハッとしたように俺を見て、やがて静かに目を伏せた。
「すいません。ちょっと聞きたいんですが」
俺が問うと、彼女はゆっくりと頷いた。
「あんた……『濡れ女』か?」
「……ええ、そうです。そう言うあなたも妖怪でしょう?」
俺もそれに頷きを返す。
濡れ女とは妖怪の一種だ。けれど、本来はこんな内陸にいる妖怪ではなく、言葉通り海辺や水辺に存在する妖怪である。なおかつ、主な特徴がもう一つ。
同じく妖怪である『牛鬼』とコンビを組んで人間を喰らうということだ。つまり、俺の依頼人とはその片割れである牛鬼だ。
全く、数百年以上生活を共にしているというのに何を原因に喧嘩したのか個人的に気になるところだが、それはぐっとこらえ、俺は彼女に告げる。
「なぁ、あんたの旦那さんも心配しているから帰ってやったらどうだ?」
「ですが……」
やはりいやそうだ。これは何か事情がありそうである。
「よかったら、事務所で話を聞きましょうか?」
ここだけ聞かれたら怪しい勧誘だとでも思われそうだ。
けれど、彼女は依然として首を振った。
「いえ、外の方が安心しますからここで」
そう言って彼女は近くの壁に背を預け、ぽつぽつと語りだした。
「実は、旦那について何ですが……」
何だろうか? 以前の雪女と同じ感じだろうか?
「何というか、最近妙に女々しくなったといいますか、以前見せていたような覇気がなくなったのです」
……おっと、これはちょっと想定外の出来事だ。
彼女は悲しそうに目を伏せながらこめかみに手を当てる。
「今は海辺近くの小屋に住んでいるのですが、ことあるごとに街に出かけては色んなものを買ってきたり……」
「あ、あの……それは?」
「漫画などですよ。可愛らしい女の子のイラストが描かれた。私もそれをどうこう言うつもりはありません。差別もしてませんし、私もたまに読ませてもらうくらいです。ですが、あの牛鬼が。かつて人々を恐怖のどん底に突き落とした牛鬼が可愛い女の子の抱き枕を買ってきたんですよ!? あの時私がどんな気持ちだったか! 子どもだっているのに!」
これは相当だ。いや、別にオタク趣味に偏見を持っているわけじゃないのはわかったが、それにしてもひどい。何がひどいって、牛鬼だ。
牛鬼と言えば彼女が言うようにかつては知らぬものがいない大妖怪の一人だった。その力は妖怪の中でも屈指の実力であり、かつては人々にとって最大の畏怖の対象であったはずだ。
それがアニメにどハマりしているとあれば、キレるというものだろう。俺は正直苦笑を返すことしかできなかった。
「確かにアニメなどは面白いです。江戸時代にはなかった娯楽です。ですが、妖怪の本分を忘れ声優のサイン会に行っていたんですよ!? 面目丸つぶれじゃないですか!」
もはや最初の静かな様相を振り払って彼女は吠える。
「今までは我慢していましたよ。ええ、していましたよ。漫画を買ってきたりポスターを買って壁に張り付けたり、何かのイベントに行って同人誌とやらを大量購入して来たり。ですが、もう我慢の限界ですよ! 想像できますか!? にやけ顔で萌えアニメを見る牛鬼の顔を!? 大妖怪の面影もないじゃないですか!」
これはキツイ。あの強面の牛鬼がそんなことになっていたとは。これは相当根が深そうだ。
いや、だが俺には奥の手がある。
「け、けどほら。子どもさんがいるんでしょう? お母さんがいなくて悲しいんじゃないですか?」
そう言うと、露骨に彼女の肩が震えた。これは効果がある。
そう思い、俺は続けざまに口を開いた。
「旦那さんがしっかりしていない分奥さんが子どもさんの支えになってあげないと。ただ、あまり無理をしてもダメなので今度は自分なりにリラックスの方法を見つけたらどうですか? 旦那さんも今回の件で反省していると思いますし」
そこで彼女は諦めたように口を開いた。
「そうですね。こうやってあなたを寄越すくらいですし、今回くらいは大目に見てあげましょう。ただ」
そこで彼女の瞳が俺を捉えた。
その怪しげな様相に俺は身を翻すも、すでに遅い。
彼女は俺の胸ぐらを掴み、その場に座らせた。
「今日はたっぷり愚痴を聞いてもらいますからね。気が済んだら帰りますから」
当然ながら帰れる雰囲気ではないので俺は涙ながらに頷いた。
すると彼女は次々と愚痴をこぼしていった。
牛鬼がアニメの録画を忘れて一人号泣していた話やら、漫画家先生のサイン本が当たって子供のように飛び跳ねていた話やら、それはもう湯水のようにネタが湧いてきたのだった。
おかげで彼女が話し終わる頃にはすっかり夜は明けていた。




