十三件目
夜もすっかり更け、空に満月が上ったころ。俺は高層ビルの屋上にいた。
そこは街の中心地。何かがあった場合すぐに駆けつけられるようになっている。
幸いにも今日は静かな夜であり、妖気の流れも感じ取りやすい。
奴が変な動きをすれば一瞬で気付くことができるだろう。
そんな折――ふと俺のそばを一陣の風が吹き抜けた。それと同時、吐き気を催すような妖気が俺の周りで集まり始める。
「……まさか自分からのこのこと出てきてくれるとはな」
黒い風は渦を巻きながら、徐々に人の形をなしていく。まずは足。次は体で最後に頭。
おぞましく、不気味な瞬間だ。
ようやく完全に人の姿を取ったところで、そいつはぺこりと頭を下げた。
「これはこれは。はじめまして。私は鞭と申します。このたびはあなたの妖気をたどってここまで参りました」
粘ったるい、下卑た声だった。不快さのあまり、俺は顔を歪めてしまう。
「おや? 何かご不満でも?」
わかっているだろうに。ふざけた奴だ。
鞭とは、主に四国で確認されている妖怪であり、風を操る妖怪だ。おそらく、行き場がなくて来たというわけはないだろう。鎌鼬のように、本来こいつらはどこでも生きられる種族なのだから。
奴は俺に構わず、矢継ぎ早にべらべらと喋り出す。
「いやですね。今回私はこちらに観光に来たのですよ。田舎を離れてね。そうしたら、ここに強い妖怪……いいえ、正確に言うなら半妖がいると言うではありませんか。興味が湧いてきたんですよ。何せ、半妖はかなり稀有な存在であり、しかもあなたは九尾の半妖! これはぜひお会いしたいと思ったのですよ!」
「……つまり、他の奴らは俺をおびき出す餌だったってわけか?」
「とんでもない! まぁ、それもなかったと言えば嘘になりますが、私が襲ったのは比較的強い妖怪たち。彼らも襲撃対象だったのですよ。まぁ、予期せぬ邪魔が入ったり、何回か殺されかけましたが、私にかかればどんな妖怪もいちころですよ」
そう言って、鞭はワイングラスを持つような仕草をして手をクルクルと回しだした。
刹那、手のひらを中心に黒い風が渦を巻く。
「ご存知ですよね? この風は呪いの風。同系統の妖怪である鎌鼬などには切れ味の面で劣りますが、一回当たればそれだけで大抵の妖怪たちは昏倒してしまう。と言っても流石に高位の妖怪ともなるとそれなりに攻撃を当てる必要がありますが」
その例は野槌だろう。あいつの体はズタズタに切り裂かれていた。
対して、魍魎などは一撃のみ。妖怪としての格の違いがあるとはいえ、それでも一撃で倒すというのは至難の業だ。
さらに調子を取り戻したらしき鞭は大げさに身振り手振りを交えながらまた喋り出す。
「いやぁ、この街はいい。人と妖怪が見事に共存し、その上あなたを頼って全国から妖怪たちが訪れる……その中には当然強い者たちも混ざっている。私は存外この街が気に入ってしまいましたよ。畏れを集めるのに最適と言ってもいい。人と妖怪、その両方からの畏れをここならば得ることができる」
「そろそろ本題に入れ。お前は何故この街に来た」
鞭は肩を竦めながらも、すっと目を細めてまた口を開く。
「決まっているでしょう。貴方と戦うためですよ。ああ、ご安心ください。殺しはしません。ただ貴方を打ち負かし、ここの妖怪たちに知らせてやるのです。私こそが支配者だと。そうすれば、畏れは狩り放題だ」
ゲラゲラと哄笑を上げる鞭。
なるほど。わかっていたが、こいつは腐っている。いや、ある種妖怪らしいとでも言うべきか。自己中心的で、傲慢。妖怪にとってのスタンダードだ。
が、俺は半妖。そういうのが……どうも気にくわない!
俺は両手を翼のように広げ、同時に尻尾を九本展開する。
それを受け、鞭は楽しげに風を纏いだした。
「面白い! 尻尾を出すと妖気が跳ね上がった! これは興味深い!」
「ごちゃごちゃとうるせえんだよ!」
俺は瞬時に両手に炎を纏わせ、鞭へと殴りかかる。だが、奴はその進行は阻むように風を放ってきた。
――マズイッ!
一気に跳躍し、風をやり過ごす。だが、空中で身動きが取れない俺に向かって鞭は再度風を放ってきた。
「チッ!」
両手を打ちあわせ、炎を放つ。それで何とか風を打ち消すことができた。
しかし、その様子を見て鞭はげらげらと高笑いを響かせる。
「その程度ですか!? 最強の妖怪の一匹と名高い九尾の血を引いていても、所詮は半妖。純粋な妖怪には及ばないということですねぇ!」
さらに調子を良くした鞭はなおも吠える。
「ああ、可愛そうに。人間風情と交わったせいで、その程度の力しか出ないとは。言え、それ以前に人と妖怪が交わるなどと……何とおぞましい!」
「……あ?」
「おや、気を悪くされましたか? ですが申し訳ありません。やはり思ったことはすぐ口にしてしまう性質でして、どうにも抑えが利かないのです。本来風というものは自由で気まぐれ、誰にも捉われないものですからその名残りかと……」
「いいからそのきたねえ口を閉じろ。クソ野郎」
「……はい?」
首をかしげる鞭に向かって、俺は言ってやる。
「お前は一つ大きな罪を犯した。それは何だかわかるか?」
「さぁ? ああ、あなたのお仲間をやったことですか? それとも貴方をわらったことですか?」
「ちげえよ……俺の親父とお袋を侮辱したことだ!」
俺は頭の上に葉っぱを乗せ、印を結び吠える!
「さぁ……覚悟しやがれ!」
刹那、俺の体を激痛が襲う。肉が裂け、骨が割れる感覚。それと同時に、視界が歪んできた。しかしそれでも、鞭の怯えた表情は見て取れる。
「何なんですか……その力は!」
今までの余裕はどこへやら、鞭が焦燥を露わにしながら叫ぶ。
だが、それも当然だろう。何故なら今の俺は、人の形をした九尾となっているのだから。
お袋と違って、俺は四足獣の九尾にはなれない。けれど、力をコントロールすることで九尾の力は引き出すことができる。今は、せいぜい五割といったところだ。
それ以上は、俺の身が危ない。
「いやぁ……すさまじい妖気だ。先ほどとは比べ物にならない。ですが……それを倒してこそ拍が付くというもの!」
鞭は両手をクロスさせ、一気に振り下ろす。それと同時、交叉した風の刃が俺めがけて放たれた。
だが、今の俺にとっては無意味に等しい。
「狐火……業火!」
俺の尻尾から九つの炎が舞い、風を打ち消した。しかしそれだけではなくその奥にいた鞭の身体さえも焦がしていく。
「があああああああああっ!?」
「狐火……猛火!」
悲鳴を上げる鞭に向けてもう一度火力を強めて狐火を放つ。すでに鞭は全身火だるまになり地面を転がりまわっていた。
「ひ、ひいいいいいいっ!」
逃げようとしても無駄だ。俺はもう一度狐火を放ち、奴の足を撃ちぬく。
「ま、参りました。ですから命だけは。命だけは……」
「ダメだ。お前はそれだけの罪を犯した。それとな、お前を生かしておくとダメなんだよ。親父とお袋が理想とした人と妖怪が共存できる世界に、お前はふさわしくない」
「や、やめてください……も、もう……」
「狐火……猛火」
「ぎ、ああああああああああああっ!」
火に包まれ黒こげになっていく鞭に背を向け、俺は術を解いた。
流石にこの状態を維持するのは難しい。額に流れる汗をぬぐいながら、俺はもう一度鞭の方へ視線をやった。
だが、そこに鞭の姿はなく、焦げ跡と肺だけが残っていた。俺はそれを一瞥してから、ポツリと呟く。
「悪いな……」
気づけば、風は止み、元の静かな町へと戻っていた。




