一件目
突然だが、皆さんは妖怪というものの存在をご存じだろうか?
そう。あの妖怪だ。不気味な外見と能力を持つ超常の存在。
古いものでは神話の時代から存在するものもいる。
では、その妖怪が現代にいると言ったらどう思う?
たぶん、信じてもらえないだろう。
だが、言わせてもらおう。
彼らは存在する。今もなお、存在する。
俺はそういった妖怪向けの、いわば相談所のようなものを構えているのだ。
ここ、埼玉県春日部市に俺の事務所『あかしや相談所』は存在する。
何故東京でないか? 決まっている。
埼玉とは都会でもなければ田舎でもない、いわば中間的な場所だ。つまり、妖怪と人間のバランスがいい具合にとれているのである。その上交通の便も発達しているので、全国からの依頼者がやってきやすい。事務所をこの場所に建てたのはこう言った理由だ。
「あ、楓さん。おはようございます」
ふと、俺の鼓膜を揺らす誰かの声。俺は視線を天井の方に向けながら、口を開く。
「よう、幽華。相変わらず元気そうだな」
俺がそういうと、幽華は天井に張り付いたままにっこりとほほ笑んできた。
彼女の名は細川優香。いわゆる、地縛霊である。俺が事務所を買い取った時からいて、しかも俺の助手になりたいと言ってきたのだ。
何でも、生前は誰かの役に立ちたいと思っていたのにもかかわらず、病で早世してしまったらしいのだ。断れば祟ると言われてしまったのもあるが、ちょうど助手が欲しかったというのもあるので彼女を採用している。
「今日は暇ですねぇ。お茶、淹れましょうか?」
「おう、頼む」
彼女はそれだけ言って台所の方へと向かっていった。
そこでまた俺がため息を漏らしたのとほぼ同時。事務所のドアが誰かによってノックされた。
「は~い」
幽華がふわふわとそちらに寄り、ドアを開けた。
するとそこに立っていたのは――巨大な河童のような妖怪『髪切り』だった。
背丈は大体二メートル弱。顔つきは天狗のようにも見えるが、肌の色は灰色。腰にはポンチョのようなものを巻いており、どことなく古臭い。極めつけは、手が鋏になっており、しかもでかい。俺の胴体ですら真っ二つにできそうなほどである。
そんな彼は、身を低くしながら中へと入ってきた。
「あのぅ……急な訪問でしたが、大丈夫でしたか?」
かなり渋い声だ。声優でも当てているのではないか?
しかしそんなことは言えず、
「ああ、大丈夫ですよ。どうぞ、ここのソファーにおかけください」
と、無難な答えを返すことしかできなかった。
「失礼します」
「では、お茶を淹れてきますね」
幽華がまたふわふわと台所へと戻っていき、ガスコンロの火を入れる。そちらをチラと眺めてから、俺は目の前の髪切りの方に視線を戻した。
「さて、今日は一体どういったご用件で?」
「実は……最近髪を切っていませんで妖力が足りなくなってきているんです」
「それは、どうしてでしょうか?」
「ほら、最近は戸締りを厳重にするお家が多くなってきているでしょう? 昔みたいに入ることはなかなかできませんで……」
基本的に、妖怪たちは実体を持っている。地縛霊である幽華ならばオートロック付きの厳重な警備が敷かれているマンションにも入ることは可能だろうが、実体のある妖怪たちではそうはいかない。
しかも、髪切りにとって髪を切ることは一種の存在価値のようなものだ。それができなくなれば、当然人々からの畏れが勝ち取れず、妖力が切れていずれは消滅してしまうだろう。
「本当どうすればいいのか自分でもわからなくなって……昔はよかったなぁ」
しみじみという髪切り。まぁ、その気持ちはわからなくもない。
「まぁまぁ、とりあえずこれでも飲んですっきりしてください」
場の雰囲気を和ませようと、幽華があえて軽く言いつつ、お茶を俺たちの前に置いた。髪切りは鋏の腕で器用にそれを持ちながら、口元まで運び安堵のため息を漏らす。
「ああ、おいしいです。ありがとう、綺麗なお嬢さん」
「い、いやですねぇ。褒めても何も出ませんよ? 楓さん。クッキーまだ残っていましたよね?」
バッチリ懐柔されているではないか。しかしこの髪切り。自然とそんなセリフが吐けるとは、只者ではない。
「で、話を戻しますと、最近は髪を切るのにも一苦労なわけです。ですから、ここで何か助言を頂けたらなぁ、と思いまして」
「なるほど。では、髪切りさん。ひとつ質問いいですか?」
「はい。何ですか?」
「もし、髪を好きなだけ切れるとしたら、あなたは人間社会に溶け込むことを望みますか?」
「もちろん! 髪さえ切れれば何でもしますよ!」
力強く答える髪切り。よしよし、それが聞けて安心した。
俺は温かいまなざしを彼の方に向けながら、
「では、これをどうぞ」
一枚の名刺と、数枚の葉っぱを差し出した。
「この名刺の住所に向かってください。きっとあなたの力になります。それと、この葉は『変化の葉』と言って、人間に化けることができるものです。向かう前には、ちゃんと変化してから行くように。お願いします」
すると彼はそれを嬉しそうに持ち、
「ありがとうございました! 早速行ってみます!」
足早に去っていった。
「あれ? もう帰っちゃったんですか?」
クッキーの箱を持ちながら幽華がそんなことを言う。どうにも残念そうな様子だ。
「ああ、まあな」
「で、あの人にはどこを紹介したんです?」
「決まってるだろ? 天職とも呼べる場所さ」
「?」
「わからないって様子だな。じゃあ、一週間後案内してやるよ」
俺はそれだけ言って、彼女から視線を外した。
――さて、それから一週間後。俺と幽華は二人してある場所へと向かっていた。
「まだなんですか? あまり事務所から離れすぎると辛いんですが」
「そう言うなって。ほら、見えてきたぞ」
俺の指差した場所を見て、幽華は「ああ」と一人頷いていた。
俺はその横顔を見ながらその店の前へと向かい、ドアをゆっくりと開く。
「いらっしゃ……って、あ! お二人とも、来てくれたんですね!」
そこにいたのは身長二メートル近い大男。無精ひげを生やし、両手には鋏を持っている。
「よう。元気にやっているみたいだな」
「はい! 私にとっては天職みたいですよ!」
自信満々に言う髪切り――いや、今は神木と名乗っている男が答える。
そう。彼に紹介したのは顔なじみの美容室。以前店長が人手不足で困っていると言っていたので彼を紹介したのだ。
髪切りとは髪を切ることだけに特化した妖怪。ならば、ここ以上の場所はないだろう。
おまけにそのキャリアは折り紙つきだ。しかも、店長から聞いた限りではかなり話術に長けているらしく客からの評判もいいという。
彼は嬉しそうに頬を綻ばせながら、俺たちに向かって告げた。
「あ、よかったら髪切っていきませんか? サービスしますよ?」
「じゃあ、お願いします!」
そそくさと待合席に向かう幽華を見ながら、
「俺も、お願いするよ」
俺も同意を示すのだった。