第七話 アーシアの脱走 後編
遅くなりました。
『えーっと……アーシアだっけ?』
『そうよ』
アーシアが腰に手をあて、挑戦的な瞳で俺を見上げる。
『なんで……俺、お前と話せてんの?』
『また“お前”って言った! あたしはアーシアよ!」
『分かった分かった。そう怒んなよ』
俺はぷくーと頬を膨らますアーシアの頭をぽんぽんしてなだめる。アーシアは低い声で『ウー』と俺を威嚇するように唸りながらも、いまのところされるがままにしていた。
『んでだアーシア、俺はなんで急にアーシアと同じ言葉を話せるようになったんだ?』
『さっきも言ったでしょ。魔法よ、ま・ほ・う。まさか魔法も知らないの?』
『あいにくと俺の国にはそんなものなくってね』
『うわー……おっくれってるー』
アーシアが手で口元を隠し、こばかにしたように『ぷぷぷ……』と笑う。
俺はその態度に若干イラつきながらも年上として余裕をみせるため、やれやれとばかりに肩をすくめるだけにとどめる。
『なんつーか、アレだな。アーシアは“恩人”に対する態度がなってないな。まあ、ちんちくりんな小娘じゃあ礼儀がなくても当然かー』
俺は怒る代わりにそう言って、アーシアに負けじと口元に余裕の笑みを浮かべる。ついでに「ふっ」と笑いながら九条みたく前髪をかき上げて挑発することも忘れない。
『なによっ!? なんであんたが恩人なのよ!?』
あっさりと安い挑発にのったアーシアがプリプリと頬を膨らませる。ちょれーヤツだぜ。
『さっきオークに襲われてるのを助けてやったろ?』
『…………でもそこの変態があたしを襲おともした。そいつ、あんたたちの仲間なんでしょ?』
頬を膨らませたままのアーシアが、床に転がってるパンイチの西園寺をジト目で睨みつけながら指さす。
なかなか痛いとこを突いてくるな……この小娘。
『その変態は仲間じゃない!』
『うそよ!』
両手を広げ、声を大にして叫ぶ俺をアーシアが即座に否定する。
『いや、大きな意味では確かに仲間かもしれない、だがっ、個人的には仲間じゃない! 絶対にそんな変態とは仲間じゃないんだ!』
『そ……そうなの?』
『そうだっ!』
俺の勢いに押されたアーシアは納得のいっていない顔をしながらも、しぶしぶながら頷く。
『分かったわ。その変態はあんたの仲間じゃない』
『やっと分かってくれ――』
『でもっ、あたしはそこの変態のせいで怖い思いをしたんだから、それでおあいこよ!』
再びどーんと胸を逸らすアーシア。乳ねーんだから無理すんな。
てか、なんでこいつはこんなにも偉そうなんだよ?
『んー……でもよアーシア。俺はアーシアにパンをあげたよな?』
『うっ、』
『しかも四つも。あれ、俺の昼飯だったんだよなー』
『う~……あっ、そ、そうよ! だからそのお礼にあんたに魔法で言葉を焼き付けたんじゃない!』
『あー言えばこー言うね。お前』
『またお前って言ったー!』
俺とアーシアが互いに目から火花を飛ばしバチバチとにらみ合っていると、背後から不満そうな声が上がった。
「あー室生後輩、すまないが僕たちにも分かるように説明してくれないかな?」
「龍巳一人だけずるいー。ボクもその子とお話したいよー」
九条と鳴沢だ。
しばらくは静観してくれていた二人だが、俺がアーシアとのやり取りをいっさい説明も通訳もしないことで、ついに痺れを切らしたらしい。
二人は親指を下に向け、俺に向かって「ブーブー」とずっとブーイングし続けている。
『あー……、アーシア』
『なによ?』
『わりーんだけどさ、あっちの二人にも“まほー”とやらで話せるようにしてもらっていいか?』
『……なんであたしがそんなことしなくちゃいけないのよ?』
『甘いお菓子あげるから、頼む! このとーりだ!』
俺はパンと両手を合わせて頭を下げる。
すると、俺のお願いが効いたのか、はたまた『お菓子をあげる』という言葉が効いたのかは知らないが、アーシアは『しょ、しょうがないわねー』と言って鳴沢と西園寺のそばへ近づいていった。
『なるほどね。言語を焼き付ける魔法というわけか……素晴らしい!』
『うわー、すごーい!』
あのあと、鳴沢と九条の二人も“魔法”で謎言語を話せるようになった。
ちなみにパンイチ西園寺へ魔法をかけることだけは断固として拒否された。
まあ、あの西園寺がアーシアへやった行為を考えれば当たり前か。
『タツミ、あんたに言われた通り魔法かけたよ。だから……お、お菓子ちょーだい!』
アーシアが恥ずかしそうに手を出してくる。どうやらこいつはお菓子に釣られたらしい。
『おう。あんがとな!』
俺はアーシアの頭をぽんと優しく叩いたあと、パンと一緒に待ってきたチョコバーを袋から出してアーシアに手渡す。
アーシアは目をキラッキラさせながらチョコバーをほおばっていた。
『さて、アーシア君といったかな?』
九条のメガネがきらりと光る。
『なによ? このガリガリ?』
『ガリガ……ごほん。僕の名は九条だ。決してガリガリなんかではない』
『ふーん』
気を取り直すためか、九条はもう一度咳払いをしメガネを押し上げてからアーシアの方を向く。
『まあいい。さて、アーシア君にはいくつか聞きたいことがある。もし答えてくれるのであれば、いくらでもお菓子を進呈しようと思うのだが……どうだろうか?』
九条の言う、『お菓子』という言葉に反応したアーシアがコクリと頷く。
『ありがとう。では……いま君が使った魔法だが、例えばそれは我々の言語を君に焼き付けることも可能なのかな?』
『うん。できるよ』
『おお、そう――』
『でもあんたたちの誰かが魔法を使えるなら、だけどね』
アーシアの言葉に九条が考え込む。
『ふむ。その魔法をアーシア君が代行することはできないのかね?』
『あたしはあんたたちの言葉を話せないからむりよ。そんなことも知らないの?』
『なるほど……そういうことか』
九条はアーシアの挑発など気に留めずに一人頷く。
どうやら九条はいまの説明で理解できたらしい。
「ねーねー九条先輩。どーゆーことなんですか?」
「あ、俺も知りたいっす」
そう鳴沢が九条に質問し、ついでに俺もそれに乗っかる。
アーシアは急に日本語を話し始めた俺たちを怪訝そうに見ていた。
「む? なーに、簡単なことだよ二人とも。例えばだね、パソコンに入ってるデータ……撮影した画像でもいい。それをCD‐Rにでもコピーするとしよう」
俺と鳴沢がふむふむと頷き、先を促す。
「パソコンにはコピーしたいデータがあり、手元には新品のCD‐Rがある。……しかし、データの入っているパソコンには肝心のCDドライブが搭載されていない。データとCD‐Rがあっても、それではコピーすることができないよね? つまりはそれと同じことなんだよ。日本語を話せる者が魔法を使えない限り、アーシア君がやったように他者の脳に自分の言語を書き写すことはできないわけさ」
「なるほどー。九条先輩ったら、あったまいー!」
「ははは。それほどでもないよ、鳴沢後輩」
説明を聞いて理解した鳴沢が、感心したようにポンと手を叩き、九条は照れたように頭をかく。
まー、簡単にいえば、魔法を使えない俺たちには絶対に無理ってことだな。
俺と鳴沢が納得したのを見て、九条はアーシアへの質問を再開する。
『では次の質問だ。君の年齢を聞いてもいいかな?』
『十歳よ。文句ある?』
『ふむ。十歳か。なぜ十歳の君がこの森に一人でいたのかな? 見れば何日も食べていなかったようだし』
『それは…………』
九条の質問にアーシアが俯いてしまう。なにかアーシアの触れてはいけない部分に触れてしまったのかも知れないな。
だが、そんなのおかまいなしに九条の質問は続く。
『一緒に行動していた仲間はいないのかね? いかに君が魔法の使い手であっても、この森ではさっきのオークのようにモンスターに襲われる危険が高い。僕にはこの森に一人でいるのは危ないと思うんだがね』
『………………』
そしてついにアーシアは完全に黙り込んでしまった。
よく見れば肩を震わせ、なにかを堪えるように小さな手をぎゅっと握りしめている。
「九条先輩だめですよー。女の子にそんないっぱい質問しちゃー。この子が可哀そうです」
そう言いながら、鳴沢はアーシアをそっと自分の方に抱き寄せた。鳴沢は子供好きなのだ。
『ごめんねアーシアちゃん。このお兄ちゃんがいっぱい質問しちゃって。答えたくないことは答えなくていいからねー』
鳴沢は『よしよし』と言い聞かせながら、震えるアーシアの背をさする。アーシアはそれが嬉しかったのか、目にじんわりと涙が浮かんできていた。
「し、しかしだね鳴沢後輩。僕はただこのせ――」
「いいから九条先輩はもう黙っててください!」
「う、うむ」
鳴沢の気迫に気圧された九条が黙り込む。鳴沢は普段はのほほんとしているが、怒ると怖い。まあ、チェーンソーを振り回してる時点でそうとう怖いか。九条も下手に食い下がってバラバラにされたくないだろうしな。
『……げて……きたの……』
『え?』
俯いたまま震える声で何事か呟いたアーシアに、鳴沢が思わず聞き返す。
『……逃げて……きたの』
『だ、誰からっ、いったい誰から逃げてきたと言うのかね!?』
目に涙をいっぱいに溜めたアーシアの言葉を聞き、今度は九条が問いただした。
『奴隷商から……逃げてきたのよ……うぅ……』
ついにポロポロと涙を零して泣き出してしまったアーシアの震える肩を鳴沢が優しく抱きしめたまま、首を俺と九条の方に向ける。『奴隷商から逃げてきた』。アーシアの言ったその言葉を聞き、俺たち三人は困惑したまま顔を見合わせるのだった。