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第六話 アーシアの脱走 中編

「ふふふ。見たまえ二人とも。なんとも可愛らしい寝顔ではないか」


 まるで子犬を見るような弛緩した表情で翼の生えた――有翼人だっけ? 有翼人の少女を覗き込む九条。

 あの後、気を失ったままの少女を鳴沢が背負って洞窟前にある、かつて野球部用具室だった『こちら側』の部室へと戻ってきた俺たちは、部室内に無造作に置かれていた湿った布団へ少女を寝かせることにしたのだった。

 いまのところ、「う~んう~ん」と苦しそうに呻いているだけで目覚める気配はない。


「そっすかねぇ? なんか眉間にしわ寄ってるから、俺には苦しんでいるようにしか見えないんすけど」

「ふっ、あれだけのオークに囲まれていたのだ。それはそれは……怖かったことだろうよ」

「いや、どっちかってーと、全裸でにじり寄ってくる西園寺センパイにビビってたぽかったすけどね」


 ちなみに俺の投げたヌンチャクを喰らった西園寺は、全裸のまま俺がギターケースと一緒に背負ってきて、いまは洞窟の前に放置している。無論、いまも全裸のままだ。


「でもほっっっとにっ! この子可愛いよねぇ」


 鳴沢も九条同様、とろんとした目で少女を見つめ続けている。


「まあ……たしかにな」


 つられて視線を少女に移した俺も、その意見には同感だ。

 少女は痩せていて靴もなく、泥で汚れに汚れまくっているボロボロのワンピースを一枚着ているだけだったが、それを差し引いた上でもなお全身から可愛さが溢れ出ていた。

 歳は十歳ぐらいだろうか? 燃えるような赤い髪を腰まで伸ばし、肌は雪のように白い。目鼻立ちも整っていて、成長したらさぞかし美人さんになることだろう。


「んー、ボクせめてこの子の顔についてる汚れぐらいは取ってあげたいなー。ねぇ九条先輩。ここに水ってあります?」


 ハンカチを取り出した鳴沢が九条を見上げる。

 おそらくはハンカチを湿らして汚れを拭き取ろうとしているんだろうが、お前はその前に全身に浴びた返り血を洗い流せよ。


「ふむ。鳴沢後輩、残念ながらこの部室には備蓄してある水はない。しかし、洞窟を背に右手に行くと湧水がある。それでどうだろうか?」

「わっかりましたー。行ってきまーす!」


 九条の言葉を聞いた鳴沢が、凄い勢いで部室を出ていく。


「ははは、いやはやまあ……鳴沢後輩は元気だねぇ」

「あいつは昔っからあんな感じでしたよ。しっかし……センパイ、この女の子どーすんすか? なんか手から火ぃー出しますし」

「室生後輩、あれはおそらく『魔法』だよ。僕も初めて見たがね」


 いや、魔法を見たことある奴なんかいないと思うっすよ。という言葉を俺は飲み込み、取りあえず頷いておく。

 そうなのだ。この少女は『魔法(?)』を使うのだ。

 最初は本来の部室へと連れて行く案もあったが、三人で話し合った結果、木造作りの旧校舎で炎を出されても困るよねってことで、異世界こっちの方の部室へと少女を運んだわけだ。


「この女の子……ガリガリっすね」

「ああ。きっと何日もろくに食べてないのだろう。そう思うとなんて……なんて可哀そうなんだ……」


 その言葉と共に九条の目に涙が浮かぶ。

 この男は頭がパッパラパーだが、人並み以上の人情は持ち合わせているようだ。この手のタイプ、俺は嫌いじゃない。


「たっだいまー!」

「デュフフ……拙者、目覚めたでござるよ」


 ばたんと扉を開けて鳴沢が部室に戻ってくる。その後ろには西園寺もいた。幸い、ちゃんと服は着てくれたようだ。


「九条先輩、それに龍巳も、その子きれいにするからそこどいてー」

「うむ。分かった」

「あいよ」


 鳴沢の言葉に九条と俺が少女から離れ、代わりに鳴沢が少女のそばへ行き、濡れたハンカチで汚れを優しく拭き始める。

 まずは手、その次に足、最後に顔。

 鳴沢の持っていたハンカチはすぐに真っ黒になり、そのたびに新しいタオルを取り出してきては水筒に汲んできたであろう水で濡らし、再び拭き始める。


「ン……」


 鳴沢が頬を拭いていた時、少女の瞼が薄く開く。

 エメラルドグリーンの瞳が重いまぶたからこちらを覗き込み、ゆっくりと左右に動き始める。


「…………ンンッ!?」


 そして、やっと自分の置かれている状況に気づいたのか、少女は鳴沢の手を払いのけてがばりと起き上ると、なんかよく分からない言葉を叫びながら部室の隅へと転がるように移動する。

 部室唯一の出入り口である扉は俺たち男子の背後にあるから、逃げる先が隅っこしかなかったのだろう。


「お、落ち着いて!」

「待て! 我々は敵ではないっ!」


 鳴沢と九条が慌てたようにそう言うが、少女はお構いなしに両手のひらをこちらに向け、なにか叫ぶ。


(まずい――これさっきの魔法じゃないか!?)


 俺は鳴沢を庇おうと前に出る――しかし、少女の手から炎が噴き出ることはなかった。


「…………」


 少女が不思議そうに自分の手のひらを見つめたあと、もう一度こっちに向けて同じような言葉を叫ぶ、が……やっぱり炎が飛び出してくる様子はない。


「むう、魔力切れか……」

「デュフフ、おそらくは……」


 九条と西園寺はしたり顔でなにか頷き合っているが、俺には何のことかさっぱり分からない。まあ、手から炎が出せないってことだけは分かったけどね。

 次に少女が選んだ手段は物理攻撃であった。

 部室に転がっている物を掴んでは、先ほどと同じように容赦なく投げつけてくる。


「待ってよー! 落ち着いてよー!」


 鳴沢が手をバタバタさせながら声を上げるが、少女には残念ながら通じてはいないようだ。これ確実に言語が違うだろ。

 少女は迷い込んだ猫のように警戒心マックスであっちこっち狭い部室を逃げ惑う。


「あー、めんどくせー」


 俺はそう呟き、一人部室を出る。

 洞窟をくぐって旧校舎にある本来の部室に戻った俺は、自分のカバンから昼食に用意していたパンを取り出す。

 部室内を見回すとなぜか電子レンジが置いてあったので、パンを温めてからまた異世界へ。


「ふえーん。落ち着いてよー。ボクたちは君の敵じゃないのー」


 戻ってきてもまだ騒ぎの真っ最中だった。

 それどころか、少女の暴れっぷりが増している。


「鳴沢殿の言う通りでござるよ。拙者たちは味方でござる。ほ~ら怖くな――グハァッ」


 取りあえず西園寺がまたパンイチとなりクロスアウツしかかってたので、首筋にチョップして意識を刈り取っておく。すると……少女とバッチリ目が合った。少女が最大の敵と認識していた西園寺を俺が倒したことで、なにか思うことがあったのかも知れない。

 警戒心マックスなままで、少女は俺をじっと見ている。

 俺が持ってきた焼きそばパンの袋をあけると、たちまち狭い部室に食欲をそそる匂いが充満して、それに呼応するかのように少女のお腹が可愛く「ぐー」と鳴った。


「ほら、食べるか?」


 少女に向かって焼きそばパンをさし出す。


「………………」


 眉根を寄せるその顔からは、空腹感と警戒心が争いを繰り広げているのがありありと伝わってくる。


「……ほら」


 そう言ってもうちょっとだけ手を伸ばす。

 どうやら空腹感が勝利したらしい。

 ちょっとずつ少女は近づいてくると、俺の手から奪うようにして素早く焼きそばパンを掴み、部室の隅っこに戻ってすげー勢いで食べ始める。


「――んんッ!? んーッ!」


 どうやら喉に詰まったらしい。苦しそうにまっ平らな胸をどんどんと叩き始めた。


「慌てすぎだってーの」


 俺はパンと一緒に持ってきていた水のペットボトルをあけ、少女に手渡す。近づいたら睨まれたが、警戒しながらも受け取ってくれた。

 水をぐびぐびと飲み、焼きそばパンをもぐもぐと食べ終わると、再び少女が俺を――より正確には俺の持っているメロンパンをじーっと見ている。


「なるほど……“餌付け”か。考えたものだね、室生後輩」

「龍巳やさしーねー」

「そんなんじゃねーよ。ただ、なんか食べれば落ち着くんじゃないかと思ってね。ほらよ」


 俺は少女に近づいてからメロンパンの袋をあけ、さっきと同じように手渡す。

 おそるおそるメロンパンを受け取り、大きな口をあけてかぶりつく少女。

 メロンパンを口に入れた瞬間、少女の目が大きく見開かれ、その瞳が驚きと喜びで輝く。


「……センパイ、この子、なーんか目がキラッキラしてんすけど……?」

「ふむ。おそらくはメロンパンの美味しさに驚いているのではないかな? 女の子は甘いものが好きな生き物だからねぇ。それが幼い子供なら、なおさらだ。それに我々の住む世界とは違い、異世界こちらでは甘い菓子などそうそう口にする機会もなさそうだからねぇ」

「まあ、武器持ったブタがいる世界っすからね。この子の身なりからしても……あんまお菓子とかとは縁がなさそーっすね」


 目をキラッキラさせたままの少女に視線を戻し、その頭をぽんぽんと優しく叩く。

 ぎろり睨まれてしまったが、いまはメロンパンを食べることの方が大事らしく、手を振り払われることはなかった。

 その後、更に二つのパンを少女に献上することによって、少なくとも俺だけは敵ではないと分かってくれたらしい。俺が頭を撫でても不満そうな顔をするだけで、大人しくしている。


「見事だ。室生後輩」

「たつみ面倒見いーねー」


 そう称賛を背に受けながら、俺はしゃがみ込み、少女と目線を合わす。


「俺の名前は龍巳だ。た・つ・み。……分かるか?」


 自分を指さしながら「龍巳」を何度も強調する。自己紹介はコミュニケーションの基本だからな。


「…………タ、ツ……ミ……?」


 小首を傾げる少女に頷き、「そう龍巳だ」と答える。

 少女はなにか考えこむしぐさをしたあと、なにかを決意したのかひとつ頷き、おそるおそるといった感じで手を俺の頭に伸ばしてきた。


「ん? なんだ?」


 少女の両掌が俺の頭に振れる。

 俺が少女の頭を撫でていたから、そのお返しなのだろうか? こっちの世界での握手的な挨拶なのかも。

 とか俺が考えた瞬間――


「いつッ!?」


 俺の頭にピリっとした小さな電気みたいなものが走った。

 驚いた顔をしている俺から少女が手を離す。


『……もう、共通語も話せないなんてどこの田舎者なのよ』


 少女が口を開いた。その言葉は相変わらずどこの言語かも分からなかったが、なぜか俺にはその言葉の意味が分かる。


「は……はぁッ!?」

『仕方ないからあなたの頭に言葉を焼き付けてあげたわ。感謝しなさいよね!』


 どーんと得意げに胸を逸らす少女。


『や、焼き付けるってどーいう意味…………って、なんで俺が不思議言語話せてんだよ!?』

『なによあなた、こんな初歩の魔法も知らないの? いったいどんな田舎出身なのよ?』


 突然自分が少女の言葉を理解し、話せるようになったことに戸惑う。


「な、なんと……室生後輩が少女と同じ言葉を……」

「龍巳すげーい」


 後ろでは九条と鳴沢が驚きの声をあげるが、いまはそれどころではない。


『ちょ、ちょっと待て、お前……これはいったいどーいう――』

『アーシア』


 混乱している俺の言葉に、少女は自らの言葉を重ねる。


『…………は?』

『あたしの名前よ。お前じゃなくてアーシアっていうの。憶えておきなさい、タツミ』


 これが俺と翼を生やした少女、『アーシア』との出会いだった。

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