第三十六話 とらわれたエルフ その4
十四で爺さんを越えた俺は、世界中の猛者が集まる裏の武闘大会へと招待された。
金を持て余し、頭のネジが何本も外れた連中が開いた大会だ。
飛び道具を使わなければどんな武器を使用してもいい、というイカレたルールのその大会で、俺は優勝を果たす。
それが十五の春。すなわち学園入学前の出来事だ。
『いくぜ!』
『ふん。……いっぱしの口を利く』
世界最強ってやつを目指してがむしゃらに修行をしてきたけど、その場所に至るのは思っていたよりもずっと簡単だった。
好敵手が存在しない世界。
そう考えるだけで、人生が酷くつまらなく感じた。
だからだろうか?
この場所に、この異世界ってとこに足を踏み出した瞬間、俺は確かに自分の胸の高鳴りを感じたんだ。
目のまえに広がる世界に、途方もない可能性を感じたんだ。
『せあぁぁぁぁっ!!』
『ちぃッ!!』
あの時の直感は間違いなんかじゃなかった。
事実、いま目の前には好敵手がいて、全身が総毛立つほどの殺気を惜しみなく俺にぶつけてくる。
『……お前、なぜ笑っている?』
一度距離を取ったグルーゼが、静かに問う。
『へっ、気ぃ悪くしたんなら謝るぜ。なんせ……あんたと闘うのが楽しすぎてよ。自然とにやけちまうんだよ』
『ほう。命がかかっていながらか?』
『ああ。スリルがあってたまんないねぇ』
『……おかしな奴だ』
『よく言われる……よっと!』
俺は低い姿勢のまま突進し、直突き――のフェイントを交えてから足を刈るように回し蹴りを放つ。
グルーゼはフェイントには釣られず床を蹴って跳躍し、俺の蹴りを躱す。
『まだまだぁッ!!』
すぐさま体勢を戻し跳躍中で移動できないグルーゼに向かって拳を撃ち込む。
グルーゼは手に握ったナイフで俺の腕を切り払おうとする。
しかしそれは織り込み済みだ。
右手で右のナイフを。左手で左のナイフを。
『ふっ』
俺は小さく息を吐くと手首の返しだけでナイフの腹を払い、軌道を逸らす。
そして眼前にあらわれた正中線目がけ、
『善女竜王流が初伝奥許、牙竜連槍撃!!』
ひとつ、ふたつ、みっつ。
つま先から手の指先までを一本の槍に見たてて放つ貫手三連撃。
ズドドォンッ!!
高速で放たれた三つの貫手が、ひとつの音と成って響く。
『ぐふっ』
牙竜槍連撃を受けたグルーザは顔を苦悶に歪めながらもなんとか距離を取る。
『浅かったか……でも――』
俺の指先は赤く濡れている。
グルーゼの……血の色だ。
『ちゃんと効いたみたいだな』
俺がそう言うのと、グルーゼが片膝をつくのは同時だった。
『……このおれに傷を負わせる、か。おれもずいぶんと弱くなったものだ』
『弱い? 冗談はよしてくれよ。あんたは十分強いぜ。なんせ――』
『ふん。陳腐な賛辞など聞きたくもない。己の衰えは自分自身が一番よくわかっているさ』
グルーゼは自虐的な笑みを浮かべ、傷口を押さえながら立ち上がる。
『……衰えだって?』
『ああ、そうだ。己の研鑚を止めこんな仕事に身を置いているんだ。俺の技も、肉体も、少しづつ錆びついていくに決まっている』
『…………』
『もう何年も前の話だ。どう足掻いても届かない存在と対峙し敗れたおれは、自身を高めることを捨てた。それでも……それでも、だ』
グルーゼがナイフを構えなおし、鋭い眼光を向けてくる。
『かつてこの国の第八席まで登りつめたんだ。人を殺す覚悟も持たないお前にまで敗れるわけにはいかない!』
『あんたほどの使い手で八番目かよ。ほっんとこっちの世界は俺にとって――』
腰を落としてから一歩踏み出し、続ける。
『天国だな』
『ほざけ!』
豹のように素早く突進してくるグルーゼ。
目のまえに迫るグルーゼのナイフを紙一重で躱した俺は、素早く跳躍すると腰をねじっておかえしとばかりにひざ蹴りを出す。
グルーゼは顔面を狙ったひざ蹴りをスウェーでよける――が、これは“見せ技”だ。
本当の狙いはナイフの間合いの内に入り、超接近戦に持ち込むことにある。
『はぁッ!!』
密着するほどの間合いから肘と寸勁を連続で撃ちだしていく。
グルーゼが距離を取ろうと後退してもくっつくようにして間合いを詰め、それをさせない。
やがてグルーゼは距離を取ることを諦めたのか、強引に前へと出てきた。
『頭に乗るなよ小僧ぉ!』
防御をかなぐり捨てたグルーゼがしかけてきた、肩口からぶつかるような体当たりを俺はもらってしまう。
僅かにできた空間――ナイフの刃分の僅かな距離を無理やりに作ったグルーゼは、左手に持つナイフを投げつけてくる。
『っぶね!』
腹部を目がけて投げられてナイフを間一髪躱す。
更に距離が生まれる。
強引に距離を作ったグルーゼは踏み込むと同時に、迷うことなくナイフを振り下ろしてきた。
構えもなにもあったもんじゃない。ただの、がむしゃらなだけの斬撃。
しかしその一振りには、グルーゼの意地や誇りを筆頭に、ヤツの全てが込められている。
だからだろうか、その斬撃は恐ろしほどに鋭く、そして速かった。
『もらったぁッ!!』
極限まで集中しぴんと引き伸ばされた時間のなか、貰えば致死の刃が頭上に迫る。
――ここだ!
グルーゼの握るナイフの刃が額に触れようとしたその瞬間――
カアァンッ!!
竜気を巡らした右腕で手刀を放つようにナイフの腹を叩き、回し受けの要領で軌道を僅かに逸らす。
『なにぃ!?』
耳元に振り下ろされたナイフの空気を引き裂く音を共に、グルーゼの驚愕した声が届く。
そして、俺の瞳に腕を振りおろし、無防備な姿となったグルーゼの姿が映る。
『終わりにしようぜ』
俺は左肘でグルーゼの顎を打ち上げ、腰を捻り右掌打を側頭部に叩き込むと同時に髪を掴み、膝を打ち込む。
膝蹴りで宙に浮いたグルーゼに対し、床を蹴って追撃の回し蹴りを放つ。
『ゴホォッ』
回し蹴りを受けて更に浮いたグルーゼに向かって跳躍すると、左の裏拳、右の直拳、そしてくるりと身体を回転させ踵落。
『善女竜王流中伝、四頭牙龍』
連撃を受けたグルーゼが激しく床に叩きつけられ、衝撃で何度も跳ねながら転がっていく。
やがて、壁にめり込むようにしてぶつかり、やっとその動きを止めた。
床に降りた俺は、眼を細めてグルーゼを見る。
『ぐ……ぐぅ……』
驚いたことに、まだ立ち上がる気でいるらしい。
『……まだやる気かい?』
『ぐ……く、くくく……そうしたいの、だが……な、どうやら、もう体がい、言うことを……聞かないらしい……』
しばらく起き上ろうと足掻くが、やがて諦めたのか、ゆっくりと壁に背を預ける。
『小僧……タツミとかいったか。……お前の勝ちだ。おれにとどめを刺すがいい』
『とどめをさせだって? 冗談はよしてくれよ』
『……なに? 小僧……お前おれに情けをかける気か!?』
グルーゼの眼に怒りの色が浮かぶ。
だが俺は、頭をぽりぽりかくと、ぶっきらぼうに答える。
『そんなめんどくさい理由じゃねぇよ。俺は自分より弱いヤツにはとどめをささないことにしてんだ。グルーゼ、あんたが俺より強かったらきっちりとどめさしてたかもな。なんせ、俺はいままで自分より強いヤツと戦ったことがなくってね。命のやり取りなんざ、やったことすらないんだよ』
『……自分より弱い奴には……だと? お前、それじゃ自分より強い奴が現れたらどうするつもりだ? おれより強い奴などこの国にいくらでもいるぞ。大陸に出ればもっとだ! 決して適いようのない猛者があらわれた時、お前はいったいどうするつもりだというんだ!?』
グルーゼの叫びを、俺は正面から受け止める。
『どうするかだって? 決まってんだろ、』
自然と、口元に笑みが広がっていくのが自分でもわかった。
『そん時は、死んでも倒すさ』
『…………』
俺の答えを聞いたグルーゼが、ぽかんと口を開けている。
『……くっくっく、こいつは傑作だ。おれはとんでもない馬鹿野郎に出会っちまったらしい』
『おいおい、なに人をバカ呼ばわりしてんだよ。もう一発ぶっとばすぞ』
『遠慮願おう。……おれの負けだ。あとはお前の――タツミの好きにするがいいさ』
『そうかい。んじゃあ悪者のおっさんを――って、あれ? おっさんがいねぇな』
俺はキョロキョロと周囲を見回すが、さっきまで通路の奥でガタガタと生まれたての子ヤギのように震えていたペトゥグリーの姿が見えない。
『おおかた逃げ出したんだろうさ。まあ、おれがこの様なんだ。逃げるのも当然だがな』
『まじかよー。あんたとの闘いに夢中になりすぎてて気づかなかったぜ。……まずったな。このままじゃ先輩や鳴沢に怒られる……』
きっとあの先輩方のことだ。「詰めが甘い」だの「失望したよ」だの好き勝手言ってくるに違いない。
俺が腕を組んで『うんうん』うなっていると、それを見たグルーゼが苦笑する。
『囚われたエルフは無事に逃げたのだろう? なら役人共も動かざるを得んさ。ほっといてもあの男は失脚する。少なくとも……もうこの街にはいれんだろうな』
『おー! それ本当か!? 良かった! 危なかったぜー。鳴沢にどやされるとこだった』
『ふっ、おれなんかより仲間のほうがよっぽど恐ろしいと見える。おかしな奴だ』
グルーゼはひとり『くっくっく』と笑うと、真面目な顔をこちらに向けた。
『もうすぐここにも衛兵が踏み込んでくるだろう。面倒事が嫌いならもう行くことだな』
『そうだな。そうするよ』
俺は屋敷から出るべく歩きはじめ――グルーゼを振り返る。
『グルーゼ、あんたはどうするんだ?』
『あいにくとお前にやられたダメージが酷くてな。しばらくは動けそうにない。だが気にするな。所詮おれは雇われの護衛。ペトゥグリーに金で雇われただけさ。捕まっても重い罪にはならんだろう。もっとも、』
グルーゼが顔をあげ、ニヤリと笑う。
『衛兵に捕まるほどおれも落ちぶれてはいないがな』
『……なるほど、ね』
釣られて笑うと、俺は今度こそ出口に向かって歩き始めた。
『またな、グルーゼ』
『ああ。またな、タツミ』
背中越しに、再会の約束をかわしながら。
 




