第三十五話 とらわれたエルフ その3
『小僧……お前は行かなくてよかったのか?』
グリーゼが静かに俺を見据えたまま、口を開く。
俺はその問いに、肩をすくめながら答える。
『あん、俺か? 俺まで行ったら誰がそこの悪者のおっさんぶっ飛ばすんだよ』
『なるほど、な。いちおう忠告しておくが……この男はおれの護衛対象だ。それに手を出すというのなら……おれはお前を排除せねばならん』
ゆらり、と幽鬼のように俺とペトゥグリーの間に割って入るグリーゼ。
『それを分かったうえで言ってんだよ。それより、一個だけ質問していいか?』
『なんだ?』
『あんたさ、そんなクズを護ってて恥ずかしくないのかよ?』
『この男がどんなヤツかは関係ない。おれにとっては金を出すかどうか、だ。そしてお前があくまでもこの男に危害を加えるというのなら――、』
言い終わらぬうちにグルーゼの姿が掻き消え――いや、前に倒れ込むようにして体を沈めたため、そう見えたんだろう。
油断もしなかったし隙も見せたつもりはない。
それなのにグルーゼは一瞬だけ俺の視界から消えると、凄まじい速度でもって間合いを詰め俺の死角から――ほぼ真下から逆手に握ったナイフを切り上げてきた。
斬撃は鋭く速い。
『死ね』
『んにゃろッ』
しかし俺はその一撃を――首を狙った命を刈り取る刃を寸でのところで躱し、大きく跳びのいて距離を取る。
『……苦しまぬよう一撃で楽にしてやろうとしたんだがな。まさか避けられるとは思わなかったぞ』
『へっ、あんた速いね。俺もまさか斬られるとは思わなかったよ』
赤い雫が、俺の首から流れ出る。
完璧に避けたつもりだったけど……どうやらかすっていたみたいだな。
『安心しろ。次は外さん』
グルーゼはそう言うと、ナイフを構えて再び体を沈める。
きっと力を溜めているんだろう。さっきの一撃は予備動作がなかった。
となると……俺も気を引き締めなくてはいけないな。
『そっちこそ安心しろよ。もう当たらねーからさ』
俺は腰を落として構えをとる。
『この期に及んで無手を貫くか……だが隙がない』
『遠慮なくかかってきていいぜ。剣でも槍でも、なんでも使ってなぁ』
『そうか。では遠慮なく使わせてもらおう。……〈筋力強化〉』
その力ある言葉と共に、グルーゼの体が淡い光に包まれる。
よく分からないけど、魔法ってやつか。アーシアかルーファさんがいたらどんな魔法か教えてもらえたかも知れない。
『いくぞ』
光の尾を引きながらグルーゼが突っ込んでくる。さっきとは比べ物にならない速さだ。
来る、と分かっていながらも、躱すことができないほどの速さ。
ならば――
『フッ!』
俺は体内に竜気を巡らすと、
右手に竜気を集める。
そしてグールゼが持つナイフに狙いを定め、自分から踏み込んでいく。
『善女竜王流が初伝――竜鱗!』
竜気を纏った右拳を、コークスクリューブローのように回転させながらナイフに撃ち込む。
甲高い音が響き、グルーゼのナイフが握りだけを残して砕け散った。
『チッ』
握りだけになったナイフを捨て、距離を取るグルーゼ。
『いま……なにをした?』
『見ての通りさ。あんたのナイフをぶん殴って壊したのさ』
『……刀工ラッズが打った業物を素手で……。なるほど、おれの認識が甘かったようだ。お前は強い』
『そーゆーあんたも相当だな。二撃目を撃ち込もうとしたのに下がられちまった。速さに鋭さ、それに状況判断。どれをとってもピカイチだぜ。この俺もあんたクラスの相手と闘ったことは……そうはねぇ』
『ずいぶんと舐められたものだな。無手で、そのうえ殺意の欠片も持たない小僧にこうも舐められるとは……な』
グルーゼが懐から新たなナイフを取りだす。
それも、こんどは二本。
『これ以上時間をかけてしまっては、今後の仕事にかかわるのでな。悪いが本気を出させてもらう』
『いいねー。是非ともそうしてくれ』
『ふっ、ぬかせ』
グルーゼの姿が掻き消え、瞬間移動でもしたってのかぐらいの速度で眼前に現れる。まるで縮地だ。
『おれの連撃凌げるか小僧! ハァァァッ!!』
神速ともいえる踏み込みから、左右の手に握られたナイフが意思を持ったかのように迫る。
一本は首へ。もう一本は右脚へ。
考えるよりも早く体が動く。スウェーで首への斬撃を紙一重で避けると同時に右脚も引く。僅かに切られた。
『ハァッ!』
グルーゼは止まらない。
ナイフの光が弧を描く。上、右、右、左、突き。
縦横無尽にはしるその刃に少しづつ削られながらも耐え忍ぶ。
『ほう。こうも躱すか』
『いちちち……好き勝手切ってくれんね』
俺の両腕と両脚は傷だらけ。
竜気を纏っているにもかかわらず、グレーゼが持つナイフはそれをやすやすと切り裂く。
刀身が淡く光っているところをみると、あのナイフにも魔法ってやつがかかっているのかも知れないな。
『せいぜい気を抜かないことだな。隙を見せればこの刃がお前の首を切り裂く』
『へっ、そいつぁーおっかないねぇ』
『見上げた胆力だな。この期に及んでもまだ笑みを浮かべるか』
『気を悪くしたんなら謝るよ。いかんせん、俺は戦闘狂なもんでね』
『その若さで殺し合いに喜びを見出すか?』
『いんや、俺は殺し合いをしてるつもりはないぜ』
『……なに?』
『俺がやってんのは死合じゃねぇ。ただの試合さ。どっちが強いか比べっこしてるだけだよ』
『……おれを愚弄するか?』
『さてな。この俺のスタイルをどう感じるかはあんた次第さ。でもな、』
俺はそこで一度区切ると、自分でも分かるぐらいに口の端をつり上げる。
『いかんせん、俺は十四になってから負け知らずでね。それ以降、自分より強いヤツには出会ったことがないのさ』
『ずいぶんと面白いことを……ほざくじゃないか』
グルーゼから発せられる気当たりが、二段階ばかり強くなった。『本気を出す』なんて言ってたわりには、この男にはまだ余力も引き出しも切り札も残っているんだろう。
俺は構わず続ける。
『だからさ、俺はあんたには期待してんだよ。俺をここまで好き勝手切ってくれちゃったんだ。ひょっとしたら……本当にひょっとしたらだけど、“俺より
強いんじゃないか”ってねぇ』
『まるで武の頂に立ったかのような物言いだな』
『……そうだな。そうだよ。強いヤツがいなくなった“てっぺん”ってとこは、ひどくつまらない場所だったよ』
『……お前、いったい何を言っている?』
『あんたに話しても分からないだろうがな、俺はこことは違う世界で“最強”ってやつになってまったんだ。だからこそあんたには期待してんだ。あんたにっ、この世界にっ! 俺より強い何者かに期待してんだよ!』
俺は力強く踏み出すと深く腰を落として構えをとる。
右手は天を、左手は地をさす善女竜王流が四の型、『咢』。
左右の腕を竜の咢に見立てた、攻撃重視の型。
そしてグルーゼを見据え、不敵な笑みを浮かべたまま言い放つ。
『善女竜王流が正当後継者、室生龍巳。推して参る!』




