第三十四話 とらわれたエルフ その2
『ほっほっほ。それは困りますなぁ』
その声に、エルフたちから視線を外し、ふり返る。
澱んだ双眸と、目が合った。
『“それら”はわたしの私の所有物です。いくら客人といえどわたしの断りもなしに手を振れるなど、とてもとても……赦しがたい狼藉ですぞ』
そう言ってきたのは六十歳ぐらいの初老の男。
高そうな服で着飾ってはいるが、大きく膨らんだ腹にたるんだ頬。なにより常に顔に張り付いている嫌らしい笑みが、見る者すべてに不快な印象を与えている。
『あんたは?』
『わたしはペトゥグリー。この屋敷の主ですよ、お客人。いや、もはや“盗人”と呼んだほうがよろしいですかな?』
俺の問いに返ってきた答えは、予想通りのものだった。
『貴様が……ペトゥグリー』
背後で九条が怒りに震え、
『この人が……』
鳴沢が息を呑んだのが俺にまで伝わってくる。
『んで、おっさんは盗人の俺たちをどーするつもりなのかな?』
俺はわざと挑発気味に小ばかにしたような声を出す。
ペトゥグリーを守るようにして数人の男たちが囲んでいるが、ぱっと見大したことはなさそうだ。ただし、“ひとりを除いて”だけどな。
俺はペトゥグリーの背後に控える、その男に目を向ける。
緑の髪をした、中肉中背の男。意識しないと気付けないほど存在感が薄い。
おそらくは……気配を殺しているんだろう。この中で唯一、実力が読めない男だ。
『わたしの屋敷で狼藉を働いたのです。もちろん……生かして帰しませんぞ』
『そりゃあおっかないねぇ』
『ほっほっほ。なんとふてぶてしい。ですが……“コレ”を見てもまだそんな態度を取ってられますかな?』
ペトゥグリーが指を鳴らすと、通路の奥から拘束された西園寺たちが連れられてきた。
やっぱり……侵入がバレた時点で捕まっていたか。
『すみませんみなさん。捕まってしまいました……』
『デュフフ、すまぬ……すまぬ……』
悔しそうに顔を伏せるルーファさんと、まったく反省の色がない西園寺。そして、
『えーい放せ! 話さぬかっ!! ペトゥグリー殿、エルフを奴隷にするなどいったい何を考えておられる!? エルフ種との戦争でも起こす気なのですかっ!?』
手を後ろに回され、苦痛で顔を歪めながらも、ペトゥグリーを激しく詰問するトムルックさん。
『……黙らせなさい』
『ひぃッ』
ペトゥグリーの言葉に頷いた男たちが、トムルックさんの首筋にナイフを突きつける。
『ご覧の通りです。わたしを騙したお三方は人質に取らせて頂きました。抵抗してくれても構いませんが……その場合は非常に心苦しいのですが、こちらも自衛のため手段は選びませんぞ。ほっほっほ』
ひとしきり不快な笑い声をあげたあと、
『さあ、武器を捨てなさい』
と言った顔は、笑っていなかった。
『くっ……致し方ないか……』
『……くそー』
九条と鳴沢が持っていた改造銃とスタンロッドを投げ捨てる。
『いけません! 私たちのことは構わずに!!』
『デュフフ、できれば拙者たちのことを大いに気にかけてほしいでござる!』
どっちだよ。
西園寺のとても正直な言葉に心が萎えかけてしまうが、ペトゥグリー的には大満足だったみたいだ。
『ほっほっほ。ご友人がこう申しておられますよ』
『拙者まだ死にたくないでござる! 絶対に死にたくないでござる!!』
『西園寺センパイ……あんた……』
『助けてほしいでござる! 助命を申し出るでござる! ペトゥグリー殿ぉぉ! どうかお慈悲をッ! お慈悲をぉぉぉぉぉ!!』
『ほーっほっほ!!』
体を震わせ、涙やら鼻水やらその他もろもろを飛ばす西園寺の姿が滑稽なのか、ペトゥグリーが心底おかしいとでもいうように手を叩いて嘲笑する。
俺は小さく「チィッ」と舌打ちして無様な西園寺から視線を外そうとして――足元に散らばっていく“それ”を見つけた。
西園寺の上着やズボンの裾からポロリとこぼれ落ちてくる、小さな丸い玉。
記憶の奥底から引っ張り出してきた想い出と照らし合わせ、その丸い玉が『かんしゃく玉』だと気づいた瞬間だった。
パンッ!!
西園寺がかんしゃく玉を踏みつけ、破裂音が響く。
この場にいた誰もが突如として鳴り響いたその音に驚いた、一瞬の隙をつき、
『デュフフッ!!』
西園寺がトムルックさんにナイフを突きつけていた男に全体重をかけたぶちかましをしかけ、吹き飛ばす。
『九条殿!!』
『任せたまえ!』
叫ぶ西園寺に応える九条。
九条は腰のホルスターからエアガンを素早く抜き、男たちに向かって引き金をひいた。
『グアッ!!』
『アヅ!?』
『いてぇ!』
手で顔を押さえる男たち。
男たちから解放された西園寺たち三人がこっちに駆けよる。
『ナイス判断だ西園寺!』
『デュフフ、そう言う九条殿も素晴らしい射撃でござるな』
『ふっ、このエアガンは無改造の市販品に過ぎないが、中のペイント弾は特注品でね。塗料の代わりに消毒液を入れてあるのさ。顔で弾ければ目を開けられんよ!』
『先輩たちすごーい!』
ポンコツコンビのまさかの活躍に鳴沢が驚きの声をあげた。
『よーし! これで形勢ぎゃくてんだー!』
足元に転がしたスタンロッドを拾いあげ、構えながら鳴沢が叫ぶ。
『小賢しい。なにが形勢逆転なものかっ。お前たち、さっさと始末をつけなさい!』
『させねーよ』
ペトゥグリーの命令を受けた男たちが動くより早く、俺は大きく足を踏み出す。
地を滑るように特殊な歩法を使い一瞬で距離を詰めると、まず手前の男の腕を掴んで関節を極め、迷わずへし折る。
ゴキッ、とにぶい音がするが、俺はそのまま腕を捻じりあげ、床板へと叩きつける。
『貴様ッ!!』
『死ねっ!』
左右から剣を抜いた男たちが切りかかってくる。
『ばーか。遅いよ』
同時に攻撃してきた男たちに対して、俺はまず右手側の剣を振り上げた男を前蹴りで吹き飛ばしたあと、左の男の顔面に裏拳を叩き込み、顔をしかめてる間に右掌底を打ち込んで意識を奪う。
ここで、やっと男たちは俺が只者じゃないことに気づいたのか、距離を取って様子を伺い始めた。
しかし――
『下衆どもめ! 報いを受けるがいい!』
『がっ!?』
『グッ』
九条の銃弾が距離を取った男たちをうちすえる。
致命傷にはならなかったものの、心を折るには十分な威力だった。
『そこをどいてタツミ! そいつら……燃やしてやる!』
『ダメだアーシア。お前さんの魔法はこいつらにゃもったいない』
『でもっ――』
『デュフフ、室生殿の言うとおりでござるよアーシア殿。そんなことよりも、いまは転移魔法でここから脱出するのが先決でござるよ!』
『……うん。わかった……よ』
口惜しそうにしながらも、なんとか自分の感情を抑えたアーシアは、深呼吸してから鞄から折りたたまれた布地を取り出す。
あの布地には魔法陣が描かれていて、脱出用にアーシアが作ったものだ。
『九条センパイ、それにアーシア、早くエルフを脱出させるんだ』
『心得た。さあ、エルフのみなさん! 我々と一緒に逃げましょう!!』
アーシアが奥の部屋で魔法陣を広げ、九条がエルフに呼びかける。
そんなことを、ペトゥグリーが黙って見逃すはずがなかった。
『の、逃しはせんぞ! おいグリーゼ、なにをしているのです。貴方には高い金を払っているのですよ。はやくあの者たちを仕留めなさい!』
ペトゥグリーが自分の隣にいる男を見やり、叫ぶ。
だが、男は静かに首を横に振る。
『断る』
『な、なんですと!?』
『おれへの依頼はあんたの護衛だけだ。侵入者の排除は契約に含まれていない』
『か、金は出しましょう。だから早く――』
『なら契約書を作り直してくるんだな。それまでおれの仕事は護衛のみだ』
『ききき……貴様ッ……』
ペトゥグリーが歯ぎしりしながら、“護衛の男”、グリーゼを睨み付ける。
しかしグリーゼは、そんなペトゥグリーを歯牙にもかけやしない。
ただ静かに、俺からペトゥグリーを護るようにさり気なく立ち位置を変えるのみ。
『タツミ、準備できたよ!』
『おっし、ならちゃっちゃっとみんなを送ってくれ』
『わかった! タツミも早く――』
『俺はいかねぇよ』
『……え?』
俺の言葉に、みんなが不思議そうな顔をする。
『悪者は問答無用でぶっ飛ばすのが、俺の正義だ。ここで一緒に転移したらこいつをぶっ飛ばせなくなるからな。だから俺をおいて先にいってくれ』
『で、でも、』
『アーちゃんの言うとおりだよ龍巳! バカなこと言ってないで行くよ!』
狼狽えるアーシアの言葉を鳴沢が引き継ぐ。
『いんや、俺は残る』
『辰己のバカ! こんな時まで冗談言っている――』
『よしたまえ鳴沢後輩』
『九条先輩……』
鳴沢の肩に手を置いた九条が、俺に顔を向ける。
『室生後輩、』
『なんですか九条センパイ?』
『この場は任せても問題ないかね?』
多くの意味が込められた、九条の問い。
俺はにぃと口の端をあげると、親指を突き立てて応える。
『まったく問題ないですよ。悪者をぶっ飛ばしたら戻るんで、先に行っててくださいよ』
『ふっ、了解した。ならば我々は先に行っておこう』
『頼みます』
『ああ。それと室生後輩、大事なことを言っておこう』
『ん? まだなにか?』
グリーゼから意識を外さぬまま、横目で九条を見やる。
九条はメガネを押し上げながら不敵に笑うと、ペトゥグリーを指さして言い放つ。
『部長命令だ。その“悪”を決して赦すな! 異世界部の一員として正義を執行するのだ! いけ室生後輩、断罪開始だ!!』
『へっ、異世界部の平部員、室生辰巳! 部長命令により断罪を開始します!』
『任せたぞ!』
そう言い残して、エルフを含めた全員がアーシアの魔法で転移していった。
もう、この場に立っているのは、俺とペトゥグリーと、グリーゼの三人のみ。
『へっ、覚悟しろよ悪者』
俺は拳を鳴らし、グリーゼへと向き直った。




