第十四話 教室の脱出
やかましいベルの音に起こされ、眠い目をこすりつつ目覚まし時計にダンクをかます。
時刻は朝四時。
欠伸を噛み殺しながら胴着に着替え、階段を下りて一階の道場へと行くと、既にじーさんが正座して待っていた。
「遅いぞ龍巳!」
朝から元気なことだ。
年寄りは朝が早いと聞くが、なにもお日様より早起きしなくてもいいだろうに。
「じーさんが早すぎんだよ。だいたいさ、俺じーさんより強いわけだからさ、もう鍛錬とかしなくてもよくない?」
目の前にいるじーさんとは俺が十四の時に立ち合い、勝利して以降、一度たりとも負けていない。
にも関わらず、こうして毎朝無理やり「朝稽古」とやらに付き合わされるのだから勘弁してほしいもんだ。
「馬鹿者! 武を高めるのに終わりなぞない。日々の欠かさぬ修練こそが己を鍛え、より上へと押しあげるのじゃ!」
「へーへー、わかったよ。んじゃま、今日の分ちゃちゃっとはじめようぜ。俺、今日は早めに学校行くからさ」
「ほう。不真面目な貴様が勉学にでも目覚めたのか? どちらにせよ良いことじゃな。貴様は我が室生家に代々伝わる善女竜王流の後継者なのだから、その名に恥じぬよう、武も勉学もせいぜい励めよ」
「じーさんがもうちょい強けりゃ、俺ももちっと真面目に鍛錬すんだけどね」
「ふんっ、ぬかせ」
じーさんが立ち上がり、構えをとる。
善女竜王流は常在戦場。そこいらのスポーツ格闘技なんかと違い、準備運動なんかありはしない。
俺も腰を落とし、左腕をだらりと下げ、右腕を顔の横に持ってくる。
「んじゃ……いくぜ!」
先手必勝。
俺は床板を蹴り一気に加速すると、じーさんとの間合いを詰める。
「はっ、くるがよい龍巳!!」
じーさんが獰猛な笑みを浮かべて応じ、肉と肉がぶつかる炸裂音が道場に響いた。
「いつつ……」
俺はじーさんに打たれたわき腹を押さえながら、足を引きづるようにして学校へと向かう。
今日のじーさんはいつもより気合が入っていたせいか、ぶっ倒すのに時間がかかってしまった。
渾身のかかと落としをキメてやったら、なんかぐったりして動かなくなってたけど、三途の川の向こうへ送っても自力で泳いで帰ってきそうなじーさんのことだ。きっと生きているに違いない。
たぶん……。
「いらっしゃいませー」
登校途中にあるコンビニに立ち寄って、アーシアと約束したお菓子と自分用にパンとおにぎりを適当にカゴへと入れ、会計を済ます。
「ありがとうございましたー」
笑顔がステキなお姉さんに見送られコンビニを出る。
さて、学校へと向かいますか。
校門をくぐり旧校舎へと向かうと、まだ七時過ぎだってのに校庭では運動部が額に汗を輝かせていた。
朝練ごくろーさんです。
旧校舎へと入り地下へ下りていく。
昨夜、九条から預かった鍵を使って部室へ入ると、俺は自分のカバンをソファにぶん投げてからコンビニ袋片手に黒いロッカーへと入っていった。
『タツミ!』
洞窟を出た瞬間、アーシアが体ごとぶつかるように抱きついてきたので、受け止めてから頭をガシガシ撫でる。
ついでに高い高いしてやったら、羽をパタパタ動かしながら嬉しそうに笑っていた。
「おや、室生後輩も来たのか」
「あ、九条センパイちーっす……って、センパイ、なんでタキシードなんか着てんすか?」
アーシアを地面に下ろしながら声をかけてきた九条の方を向くと、そこにはタキシードに身を包んだ九条が立っていた。
なんか知らんが長い髪を整髪料で無理やりオールバックに整え、蝶ネクタイまで締めている。こう言っちゃなんだが、まったく似合っていない。
九条の隣に立つルーファさんが持っている花束は、まず間違いなく九条が贈ったものだろう。
「はっはっは、やだなぁ室生後輩。コレは僕の普段着じゃないか。決してルーファさんのためにおめかししてきたわけじゃないよ。なんせ、コレは僕の普段着なんだからねぇ」
そう笑いながら乱れてもいない蝶ネクタイの位置を直し、ルーファさんに見えるようタキシードを強調する九条。きっとそのタキシードに値札が付いたままなことに九条は気づいていないのだろう。
ひょっとしてこいつは、タキシードが勝負服のつもりなのだろうか?
「いや、俺はセンパイと知り合ったの昨日なんすから、センパイの普段着なんか知らないっすよ」
「おっと、そう言われてみればそうだったね。これは失礼した。まあ、コレは僕の普段着なのだから、室生後輩も見慣れてくれたまえ」
「……俺としては、なんというか……いっつもタキシード着ている人なんかとお友達になりたくないっすけどね」
「はっはっは。なあに、自分の制服姿を恥ずかしがることはないさ。まあ、タキシードを着こなす僕といると、制服であるがゆえに若さが目立ってしまうとは思うがね」
「んー……どっちかってーと、悪目立ちすんのはセンパイだと思うんすけどね」
「やめたまえ室生後輩。男の嫉妬は見苦しいぞ。悔しかったら君もタキシードを着こなせる大人な男になりたまえ。そう、僕のようにね」
そう言うと九条はルーファさんの方を向き、俺が来る前からしていたのだろう談笑を再開する。
その顔が若干引きつっているように見えるのは、きっと気のせいではないはずだ。
『またクジョーが一人で話してるよ。ルーファも嫌なら嫌って言えばいいのになー』
一人で盛り上がる九条を見たアーシアの口が尖りはじめる。
九条の様子を見る限り、アーシアは完全に放置されていたみたいだな。
『まー、なんだ。不器用なヤツってどこにでもいるからさ。どーせ叶わぬ恋なんだから、大目にみてやってくれよ』
『タツミ、それはルーファに言う言葉だよ』
『だな。んじゃ後で言っとくよ。それよりほれ、約束のお菓子持ってきてやったぞ』
『うわぁ! ありがとタツミ!!』
俺がコンビニ袋からお菓子を取り出しすと、アーシアは両手を合わせて目をキラッキラさせる。
『よく見ておけ、こーやって袋をあけるんだよ』
『う、うん!』
そんで包装用の袋の開け方を伝授してやると、アーシアは自分で袋を開けれるようになり、次々と頬張っていった。
『開けた袋はまとめておくんだぞ。後で捨てるから』
『ふん。わきゃらった』
『口の中のもの飲み込んでからしゃべれよ』
『ん、くっと……うん! わかったよタツミ。ちゃんとまとめとく!』
『よっし。んじゃー俺はそろそろ行かなきゃだな』
俺は立ち上がると、携帯を取り出して時間を確認する。あと十五分でHRが始まる時間だ。
『え!? タツミまたどっか行っちゃうの?』
『おう。これから俺はおベンキョーしに行くんだよ』
『勉強? この森に学院でもあるの?』
『うーん……なんつーのかな、その辺の説明はこんどやっからさ。またあとで来るから待っててくれよ』
『そう言うなら……待ってるけどさぁ』
アーシアが上目づかいに俺を不満げに睨む。膨らんだ頬が可愛らしい。
俺はその膨らんだ頬をプニプニしながら笑うと、
『そう睨むなよ。出来るだけ早く戻って来るから』
と言って、頭を撫でる。
アーシアの頬は膨らんだままだったが、しぶしぶ了承してくれたようだった。
『ん、待ってるよ。でも早く戻ってきてね!』
『おう!』
俺は親指を突き立て頷くと、次に九条へと声をかける。
「センパイ。九条センパイ」
『――いやー、ルーファさんが豆腐を気に入ってくれて良かったですよ。いやね、僕もルーファさんは豆腐が好きじゃないかなーって――――むう、何事だい室生後輩?』
饒舌に語っていたところを俺に邪魔されたからか、九条はやや不機嫌そうに振り返った。
「九条センパイ、そろそろ学校戻らなきゃまずくねーっすか? HR始まる時間すよ」
「おっと、もうそんな時間だったか……」
九条は自分の腕時計を悔しそうに一瞥すると、再びルーファさんに向きなおる。
『ルーファさん。残念ですが……僕はそろそろ行かねばなりません』
『え? 本当ですか?』
残念そうな九条とは対照的に、嬉しそうな表情を浮かべるルーファさん。
『はい。でも安心して下さい! あとで必ず戻ってきますから!』
『あ、……そ、そうですか。わかりました……』
喜んだのもつかの間、またルーファさんの表情に影が落ちた。
『ええ! ですから待っていて下さい!』
でもそんなことにすら九条は気づかない。その上なんか変なスイッチでも入ってしまったのか、やたらと積極的になった九条はルーファさんの手を取り、なんとその手の甲にキスをしたではないか。
『きゃっ!?』
突然の行為に、驚きの声を上げるルーファさん。
九条は自分が騎士にでもなったつりなのか知らないが、突然そんなことをされたら普通は驚くって。
『では、行ってきます!』
九条は名残惜しそうに洞窟へと入ると、俺の方を向く。
「室生後輩、戻ろう」
「……うーっす」
俺は頭をボリボリかきながら九条の後に続いた。
振り返ると、俺に向かって手をぶんぶんと振っているアーシアと、キスされた手の甲を服でごしごしこすっているルーファさんの姿が見えた。
「けっきょく着替えんじゃないすか」
「我々は学生なのだから、当然だろう?」
部室へ戻った九条は、タキシードから制服に着替えている真っ最中。
この人は、ルーファさんにタキシード姿を見せるためだけにわざわざ持ってきていたのだ。
「んじゃ、俺自分の教室行くっすね」
ソファに置いてある自分のカバンを掴み、部室の扉を開ける。
「うむ。では室生後輩、また放課後会おう」
「うーす」
着替え途中であるため、パンイチ姿になっている九条に返事をしてから自分の教室へ向かう。
「ズルイよ龍巳、ボクを置いていくなんてさ! おかげで遅刻するところだったじゃん!」
教室に入ったとたん、仁王立ちの鳴沢に出迎えられてしまった。
鳴沢は朝に弱い。
俺は毎朝じーさんとの鍛錬のため早起きしているので、ガキんちょの頃から隣の家に住んでる鳴沢を迎えに行き、寝ている鳴沢を起こすのは俺の役目になっていた。
しかし、今日は早めに登校してアーシアにお菓子を渡すため、鳴沢を起こしてこなかったのだ。
だもんだから、いま目の前で頬を膨らまして唇が突き出てる鳴沢はこうして俺に怒っているんだと思う。
「もう高校生なんだから、そろそろ鳴沢も自分で起きろよな」
「なんだよー。家が隣なんだから起こしてくれてもいいじゃないのよー」
唇を突き出したままの鳴沢が、恨めしそうに見上げてくる。
「今日は早く家出たからな。起こしちゃ悪いと思ったんだよ」
「だったら昨日のうちに教えてくれてもいいじゃない。ボク、朝時計を見てびっくりしたんだからね」
「でも、けっきょく遅刻しなかったじゃん。えらいえらい」
鳴沢の頭を「いいこいいこー」とばかりに撫でていると、その手を払われてしまう。
「お兄ちゃんにバイクで送ってもらったの! もうっ、お兄ちゃんがいなかったら完全に遅刻してたよ」
「おー、満臣さんに送ってもらったのか。久しぶりに俺も会いたかったな」
「昨日お兄ちゃんにその……“部”のこと聞かれて、なにがあったか説明するのに遅くまでかかっちゃったから、そのお詫びに送ってもらったの」
「へー。そーなんだ」
「うん。お兄ちゃん、ルーファさんとアーシアちゃんに会いたがってたよ。あと、『卒業しちゃって悔しい』って本気で泣いてた」
「まー、異世界部の前部長だったらしーからな」
「だからね、いまはなんとかして学校に戻る手段を探しているみたい。ボクもお兄ちゃんと一緒に“あっち”行ってみたいなー」
満臣さんと異世界に行っていることでも想像しているのか、鳴沢の頬が緩む。
まー確かに、九条や西園寺のようなへっぽこな先輩方と行くよりは、満臣さんと行った方がよっぽど頼りになりそうだ。
「席につけー。出席とるぞー」
教室に担任のなんちゃら(名前忘れた)がそう言いながら入ってきて、クラスのみんなが自分の席へと戻っていく。
「じゃあ龍巳、またあとでね」
ウィンクして鳴沢は自分の席へと戻っていくと、その後ろ姿を見送りながら俺も席へと戻り、出席確認を始めた担任に対しやる気のない返事を返すのだった。
そして昼休み。
親睦を深め、友達作りにやっきになっているクラスメイトの皆様方。
なんせ昨日入学したばかりだ。今後の学園生活をよりよくするためにも、友人作りが欠かせないのは分かる。こういうのはスタートダッシュが大事だしな。これに失敗するとどこのグループにも所属することができず、ぼっちな高校生活がほぼ確定してしまう。
さえない奴らは少しでも“良い”グループに所属しようと躍起になり、人生が楽しそうなルックスがイケメンな男子に無理して話しかけては適当にあしらわれていたりする。
そのさえないヤツらの涙ぐましい努力は称賛に値するが、だいたいの場合、最終的には自分と同じようなさえないヤツとグループを組むことになるのは想像に難くない。
モテるヤツ――すなわち“イケてる”グループ所属できるのは、やはりイケてるヤツだけなのだ。
一週間もすれば、ある程度グループ別けも終わり落ち着くだろうが、それまでクラスは騒がしいままだろう。
だがここで、ひとつ疑問がある。
なぜ……その親睦を深めたい対象に、俺が選ばれているんだ?
「なーなー室生君……って、クラスメイトなんだし室生でいいよな? おれは宮本ってんだよろしくな!」
と、素敵な笑顔と一緒に握手を求めてくる宮なんとかくん。
「オレは後ろの席の吉田ってんだ。ところで……室生ってさ、その……鳴沢さんと付き合ってたりするのか?」
「あっ、それおれも気になるなー」
「おいおい、なんか楽しそうな話してるじゃん。まぜてくれよ!」
吉なんとかくんの言葉をきっかけに、俺の周りに集まってくる男子たち。
「で、どうなんだよ室生。鳴沢さんと付き合ってるのか? 友達なんだから教えてくれてもいいだろー」
と、肘でぐいぐいつつきながらそう聞いてくる吉なんとかくん。俺がいつお前と友達になったんだよ。
周りの男子たちも黙りこみ、俺の言葉を待っているみたいだ。
……なるほど。つまり俺を囲むこの男子たちは、別に俺とお友達になりたいわけではなく、俺を通して鳴沢とお友達になりたいわけなのか。
すげーめんどくさいな、それ。
俺はこのめんどくさい状況から速やかに脱出するべく、
「ちょっと飯買ってくるわ」
と言って、席を立つのだった。
なんとか3月中に間に合いました……
今回は主人公の日常回で、まったく話が進みません。
もっとテンポ上げていきます。




