プロローグ後半 Into "Wistaria"
ウィスタリアの作成は今も続いている。アップデートにテストプレイ、デバッグを繰り返し行いつつ、プラットフォームを移行する準備を進めていた。
「あと半年ちょっとで中学生も終わりか、なんかあっという間だったよな」
6年が経ち、レンは背が伸びてがっしりした身体付きになっていた。一方ミレイは髪が伸び、それを束ねて大きなポニーテールにしていた。
「レン、大事な話がある」
「なんだよ、改まって」
ミレイは歩を止めて、重い口を開く。
「急な話だが、私は中学を卒業したら海外の学校に行く」
「……はっ!? 海外ってどういうことだ!? ミレイ、それってホントかよ!?」
突然の通達にレンは声を張り上げる。
「本当だよ。計画はしばらく頓挫してしまうが、自身へのインプットも兼ねての決断だ。それに日本じゃ手に入らないものだって色々ある」
「……どのくらい日本を離れるんだ?」
「予定では3年だ。レンが高校を出る頃には私も帰国するつもりだ」
「そうか……じゃあ、俺はミレイを待つ」
「3年だぞ? それだけあれば色々目移りする事もあるだろう?」
「ウィスタリアの完成はミレイだけじゃなくて、俺の夢でもあるんだぞ。だからミレイの帰りを待ってるよ」
レンの”待ってる"という言葉にミレイはほんの少し、誰にも気づかれないくらいに微笑んでいた。
「そうか、口だけならなんとも言えるが……レンの言葉なら信じよう。やっぱりレンにデバッグを頼んだのは正解だったみたいだね」
「おうよ! そっちは俺に任せとけ!」
「高校に行っても、留年やら退学やらするんじゃないぞ。この私がレンの勉強の監修をしてあげたんだ。私の顔に泥を塗ってくれるなよ?」
「……へへ、ミレイこそ『世界には私より天才がいたんだ〜』とか言って尻尾巻いてくるなよ?」
「私が? あり得ない」
「だろうな」
「ああ、そうだ。レンに餞別でも渡そうと思っていてね。今日学校終わったらレンの家に行っていいかい?」
「……えっ? 家? い、いいけど、ミレイが俺んち来るのなんて初めてだな」
「なんだ、戸惑っているのか? 如何わしいものでもあるのかな?」
「なんでそうなるっ!!」
「とりあえず部屋散らかってたら片付けといて。作業に支障をきたすから」
「作業……? 一体何を……?」
「ふふ、ミレイ様特製のパソコンでも作ってやろうと思って」
こんなやりとりもあと少し。
そして来たる、ミレイが渡航する日。
「別に、わざわざ見送りに来なくても良かったろう。今はスマホもパソコンもあるんだからやろうと思えば連絡は取れるだろう」
「そう言うなよ、何だかんだ人生の半分近くの時間一緒にいる相方が海外行くって言ってんだから見送りには行くさ。……それに、ギリギリになっちまったけど、これ」
レンはミレイに小さい包みを渡す。
「俺からの餞別だ。パソコン貰いっぱなしなのは流石に悪いしな」
「へぇ、開けてみてもいいかい?」
「ああ」
ミレイはリボンを解き包みを開ける。
「これは……? ネックレス?」
「その……俺も女の子に何かプレゼントするの初めてだからあんま自信ないけど……」
「このトップの石、タンザナイトか」
ミレイの手の上で光に当たったタンザナイトが群青色に反射する。
「さすがだな、合ってるよ。その石には知性とか希望とか、あと問題解決って意味もあるみたいなんだ。あと、ミレイがアクセサリー付けてるところ見たことなかったからどうかなって……」
「……綺麗じゃないか。ありがとう、レン」
彼女は満面の笑顔を見せる。中学生になって多少感情が柔らかくなったミレイだが、今見せた笑顔はレンが今まで見たミレイの笑顔で一番嬉しそうで輝いていた。
「じゃあ、行ってくる」
「身体冷やすなよ」
「ああ」
そして、ミレイは日本を発った。
——3年。彼女のいない、人生で1番長い3年がついに終わり、彼女が帰国する日が来た。
「レン」
ざわざわとした空港内に混ざる懐かしい声。名前を呼ばれレンは振り向く。
「こうして顔を合わせるのは久しぶりだな」
ミレイはサングラスを外す。3年の月日で大人びた顔付きになり、ポニーテールも伸びていた。レンに見せた柔らかい表情はかつてよりも垢抜けており、昔の様な仏頂面が嘘の様に感じるほどだった。
「ミレイ! 待たせやがって! 体調崩してないか? 学校は卒業出来たのか?」
レンは思わず涙腺が弛むがミレイにいじられると思ってクシャクシャの笑みでごまかしていた。
「あぁ、見ての通りだ。博士号も取得して大学課程まで終えてきたよ」
「それは良かった! ……んっ? 大学って言ったか? 高校じゃなくて?」
「飛び級という言葉くらいは知ってるだろう? まさか私が高校を卒業した程度で戻ってきたとか思ってないだろうね?」
(さ、さすが過ぎる……)
「早くウィスタリアの続きをやらなければならないからね。と、その前に3年も空けてしまったからな。挨拶くらいはしっかりしておくか。——ただいま、レン」
ミレイはレンのことを抱きしめた。
「ちょっ……!? 公共の場だぞ!? というかミレイ、しばらく見ない内に随分とアクティブになったな!」
「なんだ? 照れてるのか?」
「——!! こ、この辺人多いんだから、行くぞ!」
レンはそそくさと歩きだし、ミレイは少しニヤつきながらレンの後を追った。ミレイの胸元にはあの日渡したタンザナイトが今も輝いていた。
ミレイの家に帰宅して、手持ちの荷物を少し整理すると、以前の様にキーボードを叩き始める。
「自己研鑽の為とはいえ数年空けてしまったからな。一刻も早く進めないと遅れた分を取り返せないぞ。それにコレをウィスタリアに反映させたいからな」
「コレ?」
ミレイは小さいデータチップの様な物を取り出した。
「これは……?」
「成長型人工知能。これをNPCに反映させる事でよりリアルな世界観を形成する事が出来る」
「何かネーミングからしてとんでもないもの持ってきたな!?」
「そうだね、これを導入する事によってNPCが感情に近いものを得ることが出来る。そしてあらゆる会話、事象から推測する返答パターンを各個体にラーニングさせる事が可能だ。それでも、本当の人間に比べれば遥かに劣るものにはなるけど」
「本当に、新しい世界みたいになるんだな……」
「そしてこの人工知能は新たなプログラムを自己形成する事も出来る。スクリプトにないプログラムだって作れるんだ」
「スクリプト……?」
「大雑把に言えばこちらで意図していないプログラムを形成出来るということだ」
「ここまで来るとSF感がすごいな」
「因みにあと一年くらいで全工程が概ね終了する。なんならウィスタリア自体はほぼ完成している。あとは私達がウィスタリアへログインする為のインターフェースの用意と、皮膚から伝わる感覚のレセプターと電気信号のサンプルが欲しいんだが、こっちはレンに頼んでもいい?」
「おう、任せとけ! ……ってレセプターって何?」
「さすがレン頼りになるよ!」
「スルーされた!?」
ミレイは別の部屋から台車を転がして大量の備品を持ってくる。それだけでは到底プログラミングに関係無さそうな部材ばかりだった。
「あの……ミレイさん。なんか拷問器具みたいのがいっぱいあるんだけど何をするつもりなんだい……?」
「ちょっと痛覚を刺激したり熱や冷気、電流に対しての筋肉の反応や脳への電子信号のデータを取りたいんだよ」
「嫌な予感……」
「これはレンにしか頼めないんだ。毎回じゃないから安心してくれ、都度必要なデータは違うしな。小学生の時にこの手の実験に協力してくれるって言ってたもんね?」
「はっ!? そういえば言質って……」
データを取り始めて2時間、数々の実験を終えて、疲弊したレンの姿があった。
——それから更に1年程経過し、19歳の夏へ。
「今日来てくれたのは他でもない。ついに長年の努力が実りそうなんだ」
レンはミレイのメールで招集をかけられて、人体実験の終わりが近いことと同時にゲームが完成する目前という事を告げられる。
人類最先端の技術をも超え、全ての準備は整いつつあった。後はウィスタリアへのログインを残すのみ。
「コツとしては、余計な事をあれこれ考えない事だ。脳波が乱れてリンクに時間がかかる。ゲームに入り込めば後はインターフェースを通じて各信号を安定化・定着させる事によって、覚めない夢をよりリアルに見ているような状態になるんだ」
「ゲームから現実に戻るには?」
「ゲーム内でログアウトすればゲーム側からの信号が止まるから、戻る事が出来るぞ。細かい説明はログインしてからでも出来る」
ログインの説明を受け、レンとミレイが共にセットアップしている最中、ミレイがある異変に気付く。
「なんだ、これは……?」
「どうかしたのか?」
「システムエラーだ。おかしいな、さっき見た時は何事も無かった気がするんだが……」
ミレイが表情を曇らせながらキーボードを叩く。いつもならどんな問題もすぐに解決出来るミレイだが、何度やってもエラーとなってしまった。
「マジか、ログインはどうするんだ?」
「仕方ない、明日にしよう。直してからでないと危険が及ぶ可能性もある」
気構えていた手前、出鼻を挫かれてしまった。『また明日』と、お互いその日はお開きにした。帰り際、レンはミレイにメールを送ったがしばらく返信がなかった。
夜中の1時頃。ようやくミレイからの返信が来た。
「一通り確認したがおかしい所は見受けられない。だが一向にシステムエラーが直らない。これは時間がかかりそうだ」
「マジか……何か協力出来そうな事があったらいつでも言ってくれ。すぐミレイんちに行くから」
「わかった、ありがとう」
ミレイなら時間がかかっても、最終的に何だかんだ直してしまうだろうと、そう考えていたレンだったが予想だにしない事態が起こる。
"お掛けになった電話番号をお呼びしましたが——"
「だめだ……出やがらねぇ」
謎のシステムエラーから2日が経っていた。レンはミレイにメールや電話を数回、パソコンやゲームからもメールを送ったが、どれも反応がなく音信不通となっていた。
「ミレイ、いるか!?」
レンはミレイの家まで行って、インターフォンを押すが、呼び出し音のみが響き出て来る気配がない。
「今までこんな事なかったのに……」
ミレイが姿を消して3日目。手がかりも掴めないまま時間だけが過ぎていった。
(いくらなんでもおかしい……仮に居なくなるにしても一言くらいあっても良くないか?)
レンは自分の部屋のベッドに座り込み頭を抱える。昨日今日と家まで行ってみたが留守の様子だった。
「はは……何やってんだ俺は、これじゃまるでストーカーみたいじゃねえか……」
途方に暮れているレン。いよいよ警察への通報も視野に入れ始めたその時、スマホに一通のメールが届く。
「えっ……? このアドレスって……」
レンに届いたメールの送り主は、登録はされていないが、文字の並びから推測するにミレイが持つ、別のアドレスだと判断した。レンは即座にメールを開いた。
『このメールは特定の条件のもと、自動で送信される様に設定している』
「自動送信!? ミレイのやつ、やっぱりなんかあったのか……!?」
レンはメールを読み進めていく。
『私は例のシステムエラーの解消を試みたが、外部からの操作では解消できなかった。しかもこれは、自動形成されるプログラムにも発生していて、放っておけば取り返しのつかない非常に危険なバグであると判断した』
「取り返しのつかないバグだと……!?」
『よって、すまないが一足先に私がログインして、ゲームマスター権限を使って内部から原因を探ることにした。万が一に備えて、私はインターフェースを別の場所で使用している可能性が高い』
「じゃあ……ミレイのやつ、もうウィスタリアの中にいるってことなのか……!」
『予定では一日で戻る予定だが、このメールが送られてなお、私がいない場合、何らかの理由でログアウトできなくなっていると考えて欲しい。その場合、私はもう戻って来れないかもしれない』
「はっ? 戻れない!? そ、そんな……嘘だろ!?」
メールの内容に困惑していたその時、知らない番号からの着信があった。
「この電話……誰からだ?」
レンは数コールほど迷った後、半信半疑で電話に出た。
「もしもし、私です。高木です! 蓮君の携帯電話で間違いないですか?」
数年ぶりだが聞き覚えのある声。かつてミレイの世話役だった、「高木」からの電話だった。
「はい、俺です、折原です!」
「海玲様からメールが届いてませんか!? 自動で送られてくるって……」
「届いてます! もしかして高木さんの方にも?」
「はい、海玲様に何かあったら蓮君の話を聞いて欲しいと、あと蓮君の携帯番号がメールに……」
「俺に送られて来たメールと文面がちょっと違う……?」
「文面が違う?」
レンは、自分と高木のメールの文面をわざわざ分けていた理由、違和感に一つの仮説に辿り着く。
「そうか——高木さん! 今すぐミレイの家に来れませんか!?」
「海玲様のご自宅へ……? わ、分かりました!」
しばらくして、ミレイの家の前で待つレンの元に、見覚えのあるワゴン車が止まった。
「蓮君!」
「高木さん! お待ちしてました! 早速で申し訳ないんですが、合鍵って持ってませんか!?」
世話役であり、ミレイが海外に行っていた際も掃除でたまに家に来ていたという話を聞いていたレンは、合鍵の存在に賭けた。
「合鍵……? それなら車に……でも海玲様はここに居ないのでは?」
「いや、ここで合ってます! 厳密に言えば確かに本体はいませんが、ミレイの意識はここに居ると思います」
「意識が? ど、どういうこと!? そんなことあり得るの? それによく私が合鍵持ってるってご存知でしたね」
「高木さんが掃除とかをしに来てるなら、合鍵を持ってる可能性があると踏んだんです」
「確かに、その通りです」
「ミレイんち、セキュリティもそれなりにしっかりしてるもんだから、モタモタしてたら警察も来るだろうし……お願いです! 鍵を開けてください!」
「わ、わかりました」
鍵を開けて、二人は家の中に入る。家の中には誰もおらず、物静かな空間にパソコンの駆動音だけが響いていた。レンは一目散にミレイが居るであろう場所へ向かう。
「ここは海玲様のお部屋では……」
「高木さん、電子ロックを解除する事ってできませんか!?」
「私の指紋と静脈は登録してありますが、パスコードまでは…… いつも海玲様の方から開けてくれてましたから……」
厳重なロックが予想外の形で2人の壁となる。だが——
「いや、充分です」
レンの中では既に鍵は揃っていた。
「えっ……?」
「10年前からお前がパスコード入力するところ視界に入ってんだぜ。なめんな!!」
レンはミレイの押していたボタン、手の動きを思い出してテンキーで打ち込んでいく。「unlock」の表示とともにロックの解除音が聞こえた。
「俺も案外天才かもな」
驚愕する高木とともにレンは一目散にウィスタリアの前に立つ。
——レンに送られたメールにはさらに続きがあった。
『ここからの内容は、レンだけにしか送っていない。非常に危険な話になってしまうが、それでもレンが来てくれるなら。ウィスタリアに閉じ込められた私を助けて欲しい。もし、助けに来てくれるなら、私のデスクにバグプログラムをリカバリーするパッチを用意してある。手順書マニュアルをみてインターフェースにインストールしてウィスタリアにログインして欲しい』
ウィスタリアを写していた画面は不気味なブルースクリーンに包み隠されている。ミレイの机には残りのインターフェースと1枚のディスクが置いてあった。
「——そこにいるんだな? ミレイ」
「蓮君、それは……?」
「高木さんがどこまでご存知かは分からないですけど、ミレイは、ミレイの意識はウィスタリアの中にいます」
「さっきも言ってましたけどそんな事有り得るのですか……?」
「嘘みたいかもしれませんが、本当なんです。だから俺も、これからミレイの後を追います」
レンはミレイの残した手順書に沿って修正パッチのインストールを始める。
「え……でも、もしその話が本当なら蓮君まで戻れなくなるんじゃ!?」
「戻ります。ミレイを連れて必ず帰ってきます。ログインしたら、ミレイの話通り『こっちの世界』では意識が無くなると思います。何かあったらお願いしたいです」
「……わかりました。気をつけてね、蓮君」
一抹の不安こそあったが、レンはインターフェースのLink start接続開始ボタンを押す。
「待ってろミレイ、お前を縛る何かを俺がデバッグしてやる」
インターフェースの起動と読み込みが終わり、本格的に稼働を始める。そして、レンの意識はウィスタリアの中へ融けて行った——




