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高地の風と生きる者

初心者です。

 木陰に隠れ、息を整える。鳥を狙いに小さな湖に来た訳だが、この後の顛末は靫の中の一矢が握っている。これを外せば次なんてものは無く、誕生日だというのに虚しさに纏わりつかれながら、長い上り坂だらけの帰路につかなければならない。成人して五年。狩人として一人前とされる二十歳を迎えても、この緊張感は拭えない。父はそれでいいと言うけれど。


「よし、大丈夫。」


己を鼓舞して矢を番える。悟られぬよう静かに身を捩り、水辺に生える背の高い草、その切れ目に狙いを定める。風に靡く草の隙間に獲物を捉える。獲物は何も知らぬまま、悠々と水面を滑る。ぴたりと風が止む。草木の掠れる音すら止み、辺りは静寂に包まれる。獲物が草の切れ目に顔を出す。その瞬間、鋭い風切り音が響く。一筋の鈍色が、獲物の眉間を貫いていた。


「ふぅ、まず一匹。」


息を吐くと同時に緊張がほぐれる。当然の事ながら、今の一矢で鳥達は皆飛び去った。ただ、まだまだ時間はあるし、鳥は勿論他の獣も狙うつもりで来ている。実のところ、一発外した程度でその日の狩りが終わる、なんてことはない。ただ狙い澄ますその瞬間、それだけの緊張感が必要だというだけであり、自分を追い詰め集中するための、一種の自己暗示なのだ。実際それで狩りは成功しているし、やはり父の言うことは間違いない。初心は大切なのだと噛み締めつつ、移動の準備をする。軽く荷物を纏めて出発。獲物を探しながら、キノコや木の実、山菜を採る。ああでも、せっかく水辺に来たのだから、釣り竿ももってくればよかったな。


 思っていたより遅くなってしまった。ちょうど今は芽吹きの季節。山菜採りに夢中になってしまったのだ。時期的に水鳥も脂乗りがそれほど良くないだろうし、山菜を多めに採るのは間違っていないはず。うん。私悪くない。


「おかえり」


ただいま。と言う前に、母に先を越された。


「ただいま。今日は水鳥を三羽と、山菜をちょっと多めに採ってきたんだ。あとはそう、魚。大きいのが岸辺に居たから弓で射ってみたんだ。そしたら上手いこと獲れたんだ。」


「まぁ多いわね。そうね、うちだけじゃ食べきれないから、ダモスおじさんに一羽お裾分けしましょう。」


ダモスおじさんは集落の外れ、一番高いところに住んでいる。強面で頑固。この小さな集落ですら、人付き合いもあまりない。ただ、ここで一番の革職人だ。少し憂鬱だが、古びたドアをノックする。


「こんばんは。ダモスおじさん、いますか?」


「…誰だ。」


猪くらいなら逃げ出しそうな声がドア越しに響く。


「ミラです。お裾分けに来ました。」


「…ミラか。入れ。」


耳を疑った。じゃあ置いときますねという言葉を喉元に準備していたのに。


「…お邪魔します。」


中は五年前に見た時と大差なかった。ダモスおじさん含めて。


「鳥は台所辺りに適当に置いといてくれ。」


そう言って奥の部屋へ行ってしまった。とりあえず、鳥は袋のまま、台所の床、その特に目立つ所に置いた。


「ミラ、これを。」


部屋から戻ったダモスおじさんは、大きなリュックサックを持っていた。


「えっと、これは?」


「二十歳だろう。」


唐突な出来事に理解が及ばなかった。ただそんな私を見て、ダモスおじさんは口を開く。


「…初めて来た時。成人した日に言っていただろう。一人前になったら何か作って欲しいと。」


「あ…そうだった…」


「覚えてなくても構わん。代金もいらん。どうしてもというなら鳥でいい。」


「ありがとう!ダモスおじさん!」


「ええい、もういいもういい。帰った帰った。」


渡し終えたダモスおじさんは、あからさまに顔を背ける。それはきっと照れ隠しなのだろう。


 二度目のただいまに応えたのは父だった。父は荷物を色々と引っ張り出してきて、大掛かりな旅支度をしていた。


「お父さん、街へ行くの?今度はどれくらい掛かるの?」


この集落は街から遠く、また道も整備されていない。だから定期的に街へ行き、必要な物資を揃えなければならないのだ。大量の荷物を持って街と集落を行き来する重労働だ。


「ん?ああ、どうだろうな。もう春だしな、大して時間は掛からんだろう。」


作業の合間に顔を上げた父は、リュックサックに気がついた。


「良い物を貰ったな。ダモスはいつもお前を気にかける居たからな。約束を果たせて喜んでいるだろう。あとはそうだな、俺からはこれを。」


父から何かが渡される。柔らかな白色に滑らかにして堅牢な表面。幾つか空いた穴と刻まれた独特の紋様。それは高地に生きる人々の間で伝わる、風呼びの笛というものだった。


「この前獲れた大鹿の骨で作ったんだ。高地の狩人が、風の一つも呼ばずにどうする。」


これはきっと、父という師とのある種の別れであり、独り立ちの証なのだ。父は今日まで、一度たりとも私を狩人と呼ばなかったのだから。


「えっと…その…ありがとう。」


突然の事に思考が停滞する。その速度は恐らく、今日獲った水鳥が短い脚で歩くよりも遅かった。そして、さながら春先の氷柱をなぞり落ちていく水滴の様な、断続的なものであった。言葉は詰まり、身体は固まる私を見て、父は察して何も言わずに手を動かした。ただ、頬は少し緩んでいる様だった。


 以前よりも多くの荷物に息を切らす。今日は狩りの道具はあまり持たずに、というか弓と少しの矢だけ。あとは水と食料にいくつかの道具、簡単なテントと椅子を持ち、山道を歩く。軽いキャンプついでに何かあったら持って帰ろうという算段だ。今日は山奥の大池を目指す。少し遠いが、その分散策のしがいがある。


「お、いいのみっけ。」


道端に実ったベリーをつまむ。口いっぱいに甘酸っぱさが広がり、思わず頬が緩む。私は昔からベリーが大の好物なのだ。ここには食べられるベリーもあればそうでないものもある。見知らぬベリーの誘惑に勝てず、体調を崩したことは一度や二度では済まない。なんてことを考えている間に、大池まであと少し。そんな時だった。


「ん?なんだろう、これ。」


数輪の白い花が咲いていた。いや、そこまではいい。問題はその花が見たことのない花であるということだった。私はまだまだ未熟だ。だが、それでもこの地で二十年生きてきた。そんな私が、慣れ親しんだ場所で、初めて見るのだ。


「綺麗な花…不思議ないい香りがする。押し花にしてちょっと持ち帰ろう。」


少し変わった綺麗な花。それはこれから起こる大乱、その静かなる開幕であった。

以上、初心者でした。

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