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病室321号室


 スライド式の扉の上が映される。

 そこには小さなプレートに『312』という部屋番号があり、その隣には患者の名前を書いた紙を嵌めるスリットが設けられている。

 スリットに紙は無い。個人情報保護の観点から言えば当然で、おそらくそれは昔の名残なのだと分かる。

 部屋番号にしても、一連の出来事を思い返せば櫻子氏が迷わずそこに向かったのは当然の帰結と言える。

 

 さすがの彼女も軽口は一切叩かない。

 押し殺した息の微かな音だけが、動画の中から聞こえてきて、見ているこちらまで気がつくと息を潜めていた。

 

 櫻子氏は意を決して、けれどもそっと慎重に扉を開く。

 

 それでもスライドがガラガラと不吉な音を立てた。

 

 一瞬だけ画面が廊下に移ったが、幸いなことにミミズの気配はない。

 

 再び画面が部屋の方へ移った時、僕は思わず息を呑んだ。

 櫻子氏もそうだったに違いない。

 

 ベッドの上に少女がいる。

 

 顔まで包帯で巻かれた少女が、上半身だけを起こしてこちらを見据えている。

 

 輪郭だけでも、包帯の下はさぞ美少女なのだろうと――あるいは美少女だったのだろうというのが伝わってくる。

 

 細い顎と形の良い鼻。そして眉の位置。

 

 そのどれもがおよそ完璧なバランスで配置されているのだ。

 

 親しみやすさすら感じてしまいそうな輪郭。

 

 そうだというのに、震えが止まらない。

 

 櫻子氏もそうなのだろう。

 

 その証拠に、画面がわずかに揺れている。

 

「はじめまして。私は櫻子。君と同じここに入院している患者だよ。看護婦さんから君の話し相手になってくれないかと頼まれてね」

 

 櫻子氏は怯えをおくびにも出さずに快活な声を出していった。

 

 けれどもそれが却って、彼女の警戒心の高さを物語ってもいた。

 

 普段なら絶対にしないような、小馬鹿にした態度の欠片も無い、誠実を強調した言葉選び。名前を名乗ったのがその証拠だった。

 

 名前を知られるリスクよりも、警戒され敵対されるリスクの方が大きいと判断したのだろう。

 

 まるで王の機嫌を損ねまいとするような慎重さと恭しさ。

 

 気がつくと僕まで脇の下に冷たい汗をかいていた。

 

「こんな時間に訪ねたことは許してほしい。入院が長引くとどうにも体内時計が狂ってしまってね。君も覚えはないかい?」

 

 無限にも思えるような、わずかな沈黙の後、包帯越しの少女の唇がわずかに動いた。

 

「閉めてもらえる?」

 

 ぞくりとするほど可憐な声だった。

 

 そして同時に、そのオーダーは殺人的にこちらの心をかき乱すものだった。

 

 逃げ道を自ら断てというのだ。

 

 僕は思わず、画面の前で「逃げろ逃げろ」と呟いていた。

 

「ああ。これはすまない」

 

 それなのに櫻子氏は、そう言って扉を閉めてしまった。

 

 少女の顔が包帯の向こうで笑ったのを見て、僕は息が止まりそうになった。

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