シーボルトミミズの怪
幼いときによく父と釣りに行きました。
近くの山に巨大なミミズが住んでおり、それを捕獲するところから釣りは始まります。
父はそのミミズをドバミミズと呼んでいましたが、正式名称はシーボルトミミズというのだそうです。
本当に大きなミミズで、父の指ほどの太さがあり、長さは30センチ差しほどある大物もいました。
捕まえようとすると噴水のように水を吐くものもありました。
私はこれが恐ろしくて、いつもおっかなびっくり捕獲していたのですが、父はそんな私を見て笑っていました。
土嚢袋に腐葉土とドバミミズを放り込み、私達は近くの池に向かいます。
対岸が天然の岩壁になっている山中の綺麗な池なのですが、少し物寂しいというか、不気味な池でもありました。
静寂というにはあまりにも静かで、時折ゴイサギが「ギャ」と鳴くと、私は思わず身体を跳ねさせたものです。
そんな池で、釣る魚はブラックバスやブルーギル、そして大きな鯉や鮒です。
水がとてもきれいでしたから、魚籠に入れて流れのある場所に置いておけば、泥抜きが自然と出来て食べることも出来ました。
ある日のことです。
父が魚籠の中の魚をその場で焼いて食べようと言いだしました。
バーベキューのようで嬉しくなった私はもちろん賛成します。
流木を集めてくるように言われて父から離れた場所を散策していると、ゴムが焦げたような妙な臭いに気付いて顔を上げました。
振り返ると父はまだ火をつけていません。
臭いはどこからするのだろうと見回してみても、辺りには誰もおらず、煙も見えませんでした。
その時です。
「じゅっ……」と何かが溶けるような音が聞こえました。
音の方に目をやった私は、恐怖で流木を全て放り出してしまいました。
対岸の岩壁にそれはいます。
巨大なシーボルトミミズです。
3メートルはあろうかという、巨大なミミズが、何かを岩壁に吐き出して溶かしているのです。
声を上げることも、身じろぎ一つもできずに見つめていると、ソレはにゅるにゅると溶けた岩壁の中に潜っていきました。
後にはわずかに変色し、形が変わった岩壁が残るだけでした。
慌てて流木を拾い集めて父の所に駆け戻り、私はそのことを父に報告しました。
「ええ?」そう言って父は岩壁の方に目をやると、大きく目を見開きました。
私も振り返ろうとしたのですが、父は私を抱きかかえて車に向かって猛然と走り出したのです。
父の顔には脂汗が玉になって滲みだしていました。
本当に恐怖を感じた時に、人はこんなふうに汗をかくんだと思い、私はとても驚いたのを覚えています。
釣り道具も何もかも放り出して帰って以来、私達がその釣り場に行くことは二度とありませんでした。
成人してから、ふとこの事を思い出し父に尋ねたことがあります。
「パパもあの時、巨大ミミズを見たの?」
すると父は一瞬だけ顔を強張らせてから、グラスに入った日本酒をあおってこう答えました。
「ミミズは見なかった。でもな、逆さづりの女の人が、池の上に浮かんでたんだよ」




