金神の滝
タクシーから降りて、僕たち夫婦は金神の滝へと続く登山道を上り始めました。
辺りはすでに薄暗く、影の中から不吉な蝉の声が聞こえてきます。
図らずも逢魔が時の境界線が曖昧になる時間が重なったためか、すでに取り込まれているからかは定かではありません。
持ってきておいたアウトドア用の強力なライトの明かりを頼りに、僕たちは必死で金神の滝へと向かいました。
岩の壁に彫られた四角い穴の中にお地蔵さまが鎮座しています。
朽ちて所々色の剥がれた鳥居が僕らを出迎えます。
その奥に、滝がありました。
垂直で平らな岩肌を舐めるように伝い落ちる滝は、夜の闇を吸って墨汁を垂らしているかの如き様でした。
視線を横に向けると、這って進むような洞窟がぽっかりと口を開けて暗黒の世界に繋がっています。
蝉の声が五月蠅さを増しました。
ジリジリジリジリと泣き叫びながら、僕らが仲間に加わることを待っています。
背中に強烈な痒みが襲いました。
見るとオヨメもしきりに手足を掻き毟っています。
僕はオヨメの手を引いてお地蔵様の前に向かいました。
そこで手を合わせ必死で艮金神に祈ります。
国常立尊様……どうぞ外国神からお守りください。
それが僕とオヨメの出した答えでした。
神に対抗するにはより強い神に依り頼むほかありません。
艮金神は少なくとも蝉様を異界に封じています。
格上なのです。
ですがそれに帰依することが僕たちの命を保証するわけではありません。
ましてや相手は最凶クラスの祟り神です。
どんな障りや神罰が下るかは想像もつきません。
ですがそれでも祈ることしか出来ません。
信じるほかないのです。
人はそれを信仰と呼ぶからです。
そうしているうちに現実の肉体から感覚が乖離を始めました。
手足が膨張する感覚に襲われ、眩暈がし、もはや立っているのか倒れ込んでいるのかもわからない状態になりました。
それでも僕はオヨメの手を握って祈り続けました。
背中の痒みが焼けるような痛みに変わり、何かが僕の身体を食い破って出てくるのを感じましたが、それでも祈りをやめてはいけません。
気が狂いでした。
いえ。すでに狂っていたのだと思います。
そんな時間が延々と続いたある時、ふと自分の足が堅い地面に触れるのを感じました。
どっぽん……
大きな水音がして、僕とオヨメは同時顔をあげました。
そこには滝壺の深みにはまる櫻子氏の姿がありました。
「やれやれ……生まれ変わった気分だよ」
彼女はそう言って水から這い上がってきました。
服はボロボロで、髪の毛は全て抜け落ちています。
「迷惑をかけたね。でも、おかげで助かったよ」
僕は何と声を掛けていいのか分からず黙っていました。
この女はマジでふざけてる。
それが素直な感想でした。
へらへらと笑っていた彼女でしたが、ふいに身体をぶるりと震わせました。
オヨメの殺気です。
僕も感じました。
櫻子氏はしばらくへらへらしながらよく分からないことを言っていましたが、やがて観念したらしくオヨメに頭を下げて小さな声で「すみません」と呟きました。
時計を見て驚いたのですが、永遠にも思えた祈りの時間はほんの10分足らずの出来事だったようです。




