第9話:逆襲のプレゼンテーション
「感情は人を動かすが、事実は世界を変える。
ストラテジストの武器は、情熱によって磨かれた冷徹な数字だ。」
◾️ 被告人席の反乱
九月下旬の定例取締役会。
西芝電機本社の大会議室は、重苦しい沈黙ではなく、明確な敵意に満ちていた。
長テーブルの上座には北室社長、その両脇には専務の後藤隆彦をはじめとする重役たちが鎮座している。
末席に座らされた桐谷秀樹は、まるで被告人のようだった。その隣には、資料抱えた山藤健太が緊張した面持ちで控えている。
「……以上が、先日のシステム停止訓練に関する報告だ」
IT担当役員の瀬川が、大袈裟にため息をついて報告を終えた。
「現場からは『生産活動を阻害された』『顧客への納期回答が遅れた』との苦情が殺到している。桐谷CIO補佐官の独断専行により、現場の士気は著しく低下したと言わざるを得ない」
瀬川は後藤の顔色を窺いながら、用意されたシナリオを読み上げた。
後藤がゆっくりと口を開く。
「社長。これ以上、この男に好き勝手させるわけにはいきませんな。半年で成果を出すとの約束だったが、出たのは『混乱』と『損失』だけだ」
後藤は卓上の資料を指で弾いた。
「即刻、特別チームを解散させ、情シスの指揮権を瀬川くんに戻すべきだ。これ以上、伝統ある西芝をオモチャにされてはかなわん」
他の役員たちも、無言で頷く。彼らにとって、桐谷のような異分子は排除すべきウイルスでしかない。
北室社長は苦渋の表情を浮かべている。彼自身、改革の必要性は感じているが、役員会の総意を無視してまで桐谷を庇う政治力はない。
「……桐谷くん。反論はあるかね?」
北室の問いかけに、桐谷は静かに立ち上がった。
「反論? いいえ、弁明することなど何もありません」
会議室がざわめく。認めるのか、と後藤が口元を歪めた。
「ですが、誤解があるようですので、訂正はさせていただきます。『損失』とおっしゃいましたが、具体的にいくらの損失が出たのか、数字で把握されていますか?」
桐谷の鋭い視線が瀬川を射抜く。
「え? あ、いや……現場が混乱したのだから、相当な額に……」
「感覚で経営を語らないでいただきたい」
桐谷は一喝した。そして、隣の山藤に目配せをした。
「始めよう。データ・デュエル(決闘)を」
山藤が弾かれたように立ち上がり、プロジェクターのスイッチを入れた。
スクリーンに映し出されたのは、美しいグラフと、生々しい現場の数値が並ぶダッシュボードだった。
「経営企画部の山藤です。今回の訓練、および過去一ヶ月のIoT実証実験により得られた『事実』をご報告します」
山藤の声は震えていなかった。
ここに来るまで、彼は美冬たちと共に泥まみれになり、夏川や辻が集めたデータを徹夜で分析し、STノートの理論で武装してきた。
今の彼の手にあるのは、上司への忖度で作られた作文ではない。
現場の汗と血が通った、本物の「武器」だ。
山藤はレーザーポインターを握りしめ、敵意に満ちた役員たちを見据えた。
(見てろよ。これが、俺たちの戦い方だ)
◾️ データ・デュエル
「まず、先日の訓練による『損失』についてです」
山藤がスライドを切り替える。
「確かに一時的にラインは停止しましたが、アナログ対応への切り替えにより、納期遅延はゼロ件。発生した追加コストは、残業代を含めても五十万円以下です」
「五十万だと? そんなはずはない!」
後藤が声を荒らげる。
「これは全工場の勤怠データと生産ログに基づく正確な数値です。対して、もし本番のサイバー攻撃でシステムが三日間停止した場合の想定損失額は……」
画面に『百五十億円』という赤い数字が叩きつけられる。
「今回の訓練により、このリスクに対する現場の対応力は数値化可能なレベルで向上しました。つまり、たった五十万円の投資で、百五十億円のリスクを軽減した。これほど費用対効果の高い施策はありません」
論理の刃が、感情論を切り裂く。後藤は口をパクパクさせている。
「次に、工場へのIoT導入成果です」
山藤は、美冬たちが「マクガイバー作戦」で設置したセンサーから得られたデータを提示した。
「廃材を利用したセンサー群により、設備の稼働率と故障予兆を可視化しました。その結果、突発的なライン停止は前月比で八十%減少。部品のロス率は五%改善。年間換算で約三億円のコスト削減効果が見込まれます」
三億円。その具体的な数字に、財務担当役員が身を乗り出した。
「そ、それは本当かね? 投資額は?」
「ほぼゼロです。社内の廃棄資産と、オープンソース技術を活用しましたので」
会場がどよめいた。
金を使わずに、利益を生み出した。それは、コストカットしか頭になかった役員たちにとって、魔法のような話だった。
「馬鹿な! そんなガラクタで……データの信憑性はあるのか!」
瀬川が喚く。
「信憑性なら、ここに証明があります」
山藤は、一枚の動画を再生した。
それは、工場長の岩がインタビューに答えている映像だった。強面の岩が、カメラに向かって少し照れくさそうに、しかし力強く語っている。
『……最初は俺も馬鹿にしてたよ。でもな、こいつらが持ってきたデータは、俺たちが長年肌で感じてきた感覚とピタリと一致したんだ。いや、俺たちが気づかなかった小さな異常まで教えてくれた。こいつは使える。現場の俺が保証する』
現場の主である岩の言葉。それはどんな監査法人のレポートよりも重い、真実の証言だった。
山藤は動画を止め、会場を見渡した。
「これが現場の声です。役員の皆様が『混乱』と呼んだものは、現場では『進化』と呼ばれています」
山藤は、かつての上司・田中浩の教えを思い出していた。
『数字は言葉だ。現場の叫びを、経営に届けるための』
今、自分は翻訳者になれただろうか。
山藤は、自信を持って最後のスライドを表示した。
それは、西芝の未来の成長曲線を描いたグラフ。
「我々リブート・スクワッドは、単なるシステムの修繕屋ではありません。データを武器に、西芝を再び成長軌道に乗せる『経営のパートナー』です。……以上、報告を終わります」
山藤が深く一礼すると、一瞬の静寂の後、会議室の空気が変わった。
敵意が、驚嘆と困惑に変わっている。反論の余地がないのだ。あまりにも圧倒的な「事実」の前には。
◾️ 羅針盤の指す方へ
「……素晴らしい」
沈黙を破ったのは、海外事業担当常務の武田一志だった。
彼はゆっくりと拍手をしながら立ち上がった。
「君たちの武器は言葉ではない。事実だ。我々経営陣が今まで議論してきたのは、机上の空論と派閥の論理だけだったと、痛感させられたよ」
武田は、西芝の中でも数少ない改革派であり、次期社長候補とも噂される実力者だ。彼が動いたことで、日和見を決め込んでいた役員たちが一斉になびき始めた。
「確かに、数字は説得力があるな……」
「コストゼロで三億の利益か。無視できない」
後藤は顔を真っ赤にしてテーブルを叩いた。
「騙されるな! こんなものはデータの切り貼りに過ぎん! そもそも、情シスの分際で経営に口を出すなど……」
「後藤さん」
北室社長の静かな、しかし芯の通った声が響いた。
「彼らは、私が指名した特命チームです。彼らの提案を否定することは、私の経営判断を否定することと同義ですが……それでも反対されますか?」
後藤は息を呑んだ。北室の目には、今までに見せたことのない強い光が宿っていた。
これまでのお飾り社長ではない。桐谷という懐刀を得て、覚悟を決めた経営者の目だ。
「……チッ」
後藤は舌打ちをし、書類を握りつぶして立ち上がった。
「好きにするがいい。だが、失敗した時の責任は、全員で取ってもらうからな!」
捨て台詞を残し、後藤は荒々しく会議室を出て行った。腰巾着の吉田と瀬川も、慌てて後を追う。
保守派の完全な敗走だった。
北室は山藤と桐谷に向き直った。
「山藤くん。素晴らしいプレゼンだった。君のような若手がいることに、希望を感じたよ」
「あ、ありがとうございます……!」
山藤は感極まって頭を下げた。今まで「上を見るな」と言われ続けてきた彼が、初めて「上」から認められた瞬間だった。
「そして桐谷CIO補佐官。……いや、正式な手続きは後になるが、『CIO(最高情報責任者)』と呼ぶべきかな」
北室は微笑んだ。
「本日をもって、君たちのプロジェクトを全社最優先事項として承認する。予算凍結も解除だ。思う存分、やってくれたまえ」
「承知いたしました。ご期待以上の成果をお見せしましょう」
桐谷は恭しく一礼したが、その表情は崩さなかった。勝って兜の緒を締める。ここまではあくまで「準備運動」だと言わんばかりだ。
会議室を出ると、廊下の窓から夕日が差し込んでいた。
山藤は大きく息を吐き出し、壁に背を預けた。膝が震えている。
「……やったな、山藤」
桐谷が、珍しく柔らかい声で言った。
「はい。……死ぬかと思いました」
「君の分析とロジックは完璧だった。あの後藤を黙らせたのは、君の力だ」
「いえ、みんなのおかげです。美冬が現場の信頼を得て、夏川さんと辻さんがシステムを作って、お荷物と言われた人たちがデータを集めてくれた。俺はそれを並べただけです」
山藤は素直にそう思った。チーム全員のリレーが、最後のゴールに繋がったのだ。
「それを『戦略』と呼ぶのです。個々の力を束ね、一点に集中させて突破する。君も立派なストラテジストだ」
桐谷に肩を叩かれ、山藤は胸が熱くなった。
ふと、廊下の向こうを見ると、エレベーターホールに美冬たちの姿があった。
心配して待っていたのだろう。山藤の姿を見つけると、美冬がパッと顔を輝かせ、大きく手を振った。
辻が親指を立て、夏川がVサインを送る。
山藤は、こみ上げる笑みを抑えきれず、ガッツポーズで応えた。
西芝という巨大な船は、今、ゆっくりと回頭を始めた。
目指す先は、過去の栄光ではない。データと情熱が指し示す、未知なる未来だ。
その舵を握っているのは、かつて地下の掃き溜めにいた彼らだった。




