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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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第7話:危機の予行演習

「危機は準備など待ってくれない。

 だからこそ、我々は日常の中で『崩壊』を演習リハーサルするのだ。」

◾️ 嵐を呼ぶ提案


 九月の定例役員会議。窓の外は台風シーズンの到来を告げる厚い雲に覆われていた。

 会議室だけ、やけにエアコンが効きすぎて寒いくらいだった。

 桐谷秀樹が提出した一枚の議案書が、役員たちの眉間しわを深くさせている。

『全社システム一斉停止訓練の実施について』

 口火を切ったのは、IT担当役員の瀬川康明だった。彼はハンカチで額の汗を拭いながら、甲高い声を上げた。

「き、桐谷くん! 本気で言っているのか? せっかく工場でIoTが稼働し始めて、現場の評判も上々だというのに。ここで水を差すような真似をしてどうする!」

 瀬川は典型的な事なかれ主義者だ。上手くいっている時は波風を立てたくない。

「水を差すのではありません。堤防の強度を確認するのです」

 桐谷は涼しい顔で答えた。

「現在、我が社のBCP(事業継続計画)は形骸化しています。マニュアルは五年前のままで更新されておらず、避難訓練といえば地震を想定して机の下に隠れるだけ。もし今、大規模なサイバー攻撃やシステム障害が起きたらどうなりますか?」

「そんな縁起でもないことを……。セキュリティ対策は君たちがやっているんだろう?」

 後藤専務が不快そうに口を挟む。

防御壁ファイアウォールは完璧ではありません。どんな堅牢な城も、いつかは破られる。重要なのは『破られないこと』ではなく、『破られた時にどう動くか』です」

 桐谷は北室社長に向き直った。

「社長。来週の土曜日、工場の半日稼働日に合わせて、基幹ネットワークを遮断します。予告なし(ブラインド)の抜き打ち訓練です」

「なっ、予告なしだと!?」

 瀬川が立ち上がる。

「現場は大混乱になるぞ! 納期遅延が起きたら誰が責任を取るんだ!」

「そのための土曜日です。影響は最小限に抑えます。それに瀬川さん、本番の災害が『今から行きます』と予告してくれますか?」

 桐谷の正論に、瀬川は言葉を詰まらせた。

 北室社長はしばらく目を閉じていたが、やがて静かに目を開けた。

「……リスクは大きいが。やらせよう。最近の西芝は、システムに依存しすぎているきらいがある。アナログでどこまで戦えるか、見てみたい気もするな」

「社長!」

「決定だ。ただし桐谷くん、万が一の時は即座に復旧させること。いいね?」

「承知しました」


 地下二階に戻った桐谷は、即座にチームを招集した。

「……というわけで、来週土曜、来週、地獄を見にいきます」

 桐谷の爆弾発言に、メンバーは絶句した。

「マジかよ……。せっかく俺と夏川で組んだネットワークを、自分たちで切るのか?」

 辻が呆れたように言う。

「切るのではありません。論理的に遮断するだけです。いつでも戻せるようにね」

 桐谷は美冬と山藤を見た。

「君たち二人には、現場への『アナログ・ワクチン』を配ってもらいたい」

「ワクチン、ですか?」

「システムが使えなくなった時、現場はどうやって動くか。伝票の書き方、連絡網、意思決定のフロー。それをまとめた簡易マニュアルのことです。ただし、訓練開始までは極秘で」

 美冬はSTノートを開いた。そこには『BCPの本質は、システム復旧ではなく、ビジネス復旧にある』と書かれている。

 システムが直るまでの間、商売を止めないこと。それがストラテジストの戦い方だ。

「わかりました。……でも、工場長の岩さん、激怒するだろうなあ」

 美冬は苦笑いした。先月やっと和解したばかりなのに、また喧嘩を売るようなものだ。

「怒られるのも仕事のうちです。覚悟を決めてください」

 桐谷は楽しそうに笑った。彼は、混乱を楽しんでいるようだった。


◾️ ブラックアウト


 九月某日、土曜日。午前十時。

 府中工場の第一ラインは、休日出勤の作業員たちで賑わっていた。

 先月導入された「手作りIoTシステム」は順調に稼働し、壁のスクリーンには生産状況がリアルタイムで表示されている。

「順調だな。このペースなら午前中でノルマ達成だ」

 工場長の岩が満足げにコーヒーを啜った、その時だった。


 フッ。


 突然、壁のスクリーンが暗転した。

 同時に、ラインの各所に設置された入力端末のLEDが消え、警告ブザーが鳴り響く。

「なんだ!? 停電か!?」

「いや、照明はついてます! ネットワークだけ落ちました!」

 現場がざわめく。作業員たちが端末を叩くが、画面には『Connection Error』の文字が出るだけだ。

 岩が事務所の受話器を取る。

「おい情シス! どうなってる!」

 しかし、受話器からはツー、ツーという無機質な音しか聞こえない。IP電話もネットワーク経由だからだ。

 完全に、孤立した。

 その時、工場内に放送が響き渡った。

『訓練、訓練。ただいま、西芝グループ全社に対し、大規模システム障害発生の想定でネットワークを遮断しました。これは訓練です』

 桐谷の冷静な声だ。

「……あんにゃろう、やりやがったな!」

 岩が顔を真っ赤にして怒鳴る。

『各現場は、直ちに代替手段アナログに切り替え、生産を継続してください。復旧予定は三時間後です』

「三時間だと!? ふざけるな!」

 現場は大混乱に陥った。

「おい、次の部品の指示書が出ねえぞ!」

「在庫がどこにあるかわからん!」

「誰か本社に連絡しろ! 携帯も繋がらねえぞ!」(※構内PHSもダウンしている)

 システムに慣れきっていた現場は、画面が消えた瞬間に思考停止してしまったのだ。

 そこへ、黄色いビブスを着た美冬と山藤が駆け込んできた。

「工場長! これを使ってください!」

 美冬が差し出したのは、束になった紙のファイルだった。

「なんだこれは」

「『緊急時対応マニュアル(アナログ版)』です! 伝票の手書きフォーマットと、在庫の保管場所マップ、それに緊急連絡用のトランシーバーが入っています!」

 岩はファイルをひったくった。

「……チッ、用意周到なこった」

 岩は一瞬舌打ちをしたが、すぐに指揮官の顔に戻った。

「おいお前ら! いつまで呆けてる! 画面が消えたくらいで死ぬわけじゃねえ!」

 岩の怒号が響く。

「機械は動くんだろ! だったら手と足を動かせ! 在庫はマップ見て走って取りに行け! 指示は俺がトランシーバーで出す!」

 現場の空気が変わった。

 そうだ、俺たちは職人だ。システムが導入される前は、こうやって働いていたじゃないか。

「おう!」

 作業員たちが動き出す。

 美冬と山藤も走り回る。

「部品B-01、第三棚にあります! 取ってきます!」

「完成品の数はホワイトボードに正の字で書いてください!」

 一方、本社の役員室では、瀬川がパニックになっていた。

「メールが見れない! 私のスケジュールはどうなってるんだ! 秘書、秘書はどこだ!」

 情報端末を奪われただけで、無能な役員はただの置物と化していた。

 対照的に、現場は汗と声で繋がり、泥臭くも確実に動き続けていた。


◾️ 生存確率1%


 午後一時。

 再び放送が入り、ネットワークが復旧した。

 壁のスクリーンに再び光が戻り、緑色の稼働ランプが点灯する。

「……終わったか」

 岩はその場にへたり込んだ。作業着は汗でぐっしょりと濡れている。

 他の作業員たちも床に座り込んでいるが、その表情は晴れやかだった。

「……なんとかなったな」

「久しぶりに大声出してスッキリしたよ」

 三時間の「暗闇」を、彼らは自分たちの力だけで乗り切ったのだ。生産量は通常の六割程度だったが、ラインを止めずに完走した。

 美冬が冷たいスポーツドリンクを配り歩く。

「お疲れ様でした! 皆さん凄いです!」

 岩が美冬を受け取り、ニヤリと笑った。

「はん。あのアナログマニュアル、意外と使えたぞ。……だが、桐谷には言っとけ。『二度とやるな』とな」

「あはは……伝えておきます」


 その頃、地下二階の情シス部では、夏川と辻がログの解析を行っていた。

「驚いたわね。現場の混乱、最初の三十分で収束してる」

 夏川がモニターを見ながら口笛を吹く。

「岩さんの統率力と、美冬たちが配ったマニュアルのおかげだな。逆に、本社側の管理部門はボロボロだ。瀬川さんのとこなんて、三時間何もできずにフリーズしてたみたいだぜ」

 辻がニヤニヤしながら報告する。

 桐谷は静かに頷き、ホワイトボードの『西芝・生存確率』という数値を書き換えた。

 10%から、11%へ。

「たった1%ですか?」

 戻ってきた山藤が尋ねる。

「ええ。所詮は訓練です。ウイルスの攻撃もなければ、悪意ある内部犯行もない。本番の危機は、もっと残酷で、理不尽に訪れます」

 桐谷の言葉に、場の空気が引き締まる。

 そう、これはあくまでリハーサル。

 後藤派の妨害はこれからさらに陰湿化するだろうし、夏川が懸念している外部からのサイバー攻撃の予兆もある。

「ですが」

 桐谷は美冬の方を見た。彼女は泥だらけの作業着のまま、充実した顔で立っている。

「現場は自信を取り戻した。『何が起きても、自分たちは動ける』という自信レジリエンスを。これは、どんな高性能なサーバよりも強力な武器になります」

 美冬は胸を張った。

「はい。岩さんたち、すごく頼もしかったです。システムなんてあくまで道具なんだって、改めて教えられました」

「その通りです。道具が壊れても、人は壊れない。それが最強のBCPです」


 桐谷は窓のない地下室の天井を見上げた。

 上の階では、瀬川が桐谷の解任を叫び回っている頃だろう。だが、種は蒔かれた。

 いつか来る「本当の闇」の中で、今日の汗が彼らを救う灯火になるはずだ。

「さて、報告書の作成に取り掛かりましょうか。タイトルは『アナログの逆襲』とでもしましょう」

 桐谷の冗談に、チーム全員が笑った。

 地下の結束は、この「予行演習」を通じて、より一層強固なものになっていた。


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