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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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第5話:黒い霧

「予算を止めることは、思考を止める理由にはならない。

 制約こそが、イノベーションの母である。」

◾️ 料亭の密談


 七月の蒸し暑い夜。

 赤坂の高級料亭『松風』の一室は、外の喧騒とは隔絶された静寂に包まれていた。

 畳の上に正座しているのは、情シス部の中途採用社員、夏川葵だ。いつものラフなパーカー姿ではなく、窮屈そうな黒のスーツに身を包んでいる。

 彼女の正面に座っているのは、西芝電機専務の後藤隆彦。そして人事担当役員の吉田典正だ。

 後藤は静かに杯を傾け、穏やかな笑みを浮かべた。

「夏川くん。君の働きぶりは聞いているよ。中途採用ながら、非常に優秀なエンジニアだとな」

「……恐縮です」

 夏川は声を絞り出した。視線は、後藤の手元にある茶封筒に釘付けになっている。

「だが、優秀すぎるのも考えものだ。君の経歴書には『フリーランスのプログラマ』とあるが、その前は何をしてたんだっけ?」

 後藤は茶封筒から一枚の写真を取り出し、テーブルの上に滑らせた。

 それは、海外のニュースサイトのキャプチャ画像だった。見出しには『謎のハッカー集団、某国サーバに侵入』とある。そして記事の横には、パーカーのフードを深く被った人物の後ろ姿が写っていた。

 夏川の顔色が蒼白になる。

「『SummerAce』。君のハンドルネームだね」

 後藤の声は、甘く、そして冷たかった。

「君がかつて、若気の至りで正義感からハッキング行為を行っていたことは知っている。だが、世間はそうは見てくれない。犯罪者が、我が社の重要システムを触っているとなれば……株価はどうなるかな」

 夏川は震える手で膝を掴んだ。

「……何が、望みですか」

「簡単なことだ。君のスキルを、会社のために役立ててほしい」

 後藤は封筒の中から、USBメモリを取り出して夏川の前にポンっと転がした。

「これを、情シスのメインサーバに挿してくれればいい。中身はただの監視プログラムだ。桐谷くんが不正をしていないか、チェックするためのね」

 嘘だ。夏川の直感が警鐘を鳴らす。それは間違いなく、システムに致命的なバックドア(裏口)を開けるためのウイルスだ。

「……嫌です。そんなことできません」

「ほう? 断れば、この写真は週刊誌に送られることになる。君は職を失い、社会的な信用も失う。それでもいいのかね?」

 後藤は楽しそうに笑った。

「それに、これは『業務命令』だよ。君の上司である人事役員の吉田くんも承認している」

 隣の吉田は目を合わせずに、うなずいた。

 夏川は唇を噛み締めた。逃げ場はない。

 彼女は震える手で、USBメモリを手に取った。その冷たさが、心臓まで凍らせるようだった。


◾️ 兵糧攻め


 翌日。

 情シス部がある地下二階は、朝から蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

「おい、どうなってんだ! 発注システムが動かねえぞ!」

 辻がモニターに向かって怒鳴っている。

「クラウドの契約更新ができねえ。エラーコード……『予算超過』だと? まだ期首だぞ、ありえねえ!」

 他の社員たちも口々に不満を漏らす。PCの調達申請が却下された、保守ベンダーへの支払いが止まっている……。

 そこに、一枚の通達書を持った美冬が駆け込んできた。

「桐谷さん! これを見てください!」

 桐谷は美冬から紙を受け取った。

 『全社緊急コスト削減通達』

 発信元は経営企画部、決裁者は後藤専務となっていた。内容は、「業績悪化に伴うキャッシュフロー改善のため、今期の新規IT投資および外部支払いを一律凍結する」というものだった。

「……なるほど。兵糧攻めですか」

 桐谷は冷静に呟いた。

「一律凍結なんて無茶苦茶です! 社長は『全権を委任する』って言ったじゃないですか!」

 美冬が憤る。

「ええ。ですが、この通達には『全社一律』とある。情シスだけ例外にするには、取締役会の決議変更が必要です。次の開催は一ヶ月後。それまで手足をもがれた状態で待て、ということでしょう」

 桐谷は通達書をデスクに置いた。

 後藤たちは、正面から桐谷と戦うことを避けたのだ。代わりに、大企業の最大の武器である「手続き(プロトコル)」と「全社ルール」を使って、桐谷の権限を無効化したのだ。

 実に官僚的で、効果的な妨害工作だ。

「どうするんですか……。PCも買えない、クラウドも使えない。これじゃ、工場のシステム刷新なんて不可能です」

 美冬の声に、絶望が滲む。辻も頭を抱えている。

 その時、フロアの隅で夏川が一人、青い顔をしてモニターを見つめていた。その手はポケットの中のUSBメモリを握りしめている。

 桐谷は彼女の様子を一瞥したが、何も言わずに全員に向き直った。

「皆さん。金がないなら、知恵を使いましょう」

「はあ? 知恵でPCが買えるのかよ」

 辻が呆れたように言う。

「買えません。ですが、あるものを使うことはできる」

 桐谷はニヤリと笑った。

「西芝には百年の歴史がある。つまり、百年分の『ガラクタ』が眠っているということです。お宝を探しに行きましょう」


◾️ ガラクタの逆襲


 桐谷の号令の下、前代未聞の「廃材回収作戦」が始まった。

 ターゲットは、本社ビルの地下倉庫や、工場の資材置き場に眠っている「廃棄予定資産」だ。

「うわっ、これWindows XP時代のノートPCじゃん。骨董品かよ」

 倉庫で埃をかぶったPCの山を見て、夏川が鼻をつまむ。

「OSは古くても、中のファンや筐体は使えます。Linuxを入れれば、簡易的なセンサー端末にはなる」

 桐谷は平然と言ってのけた。

「こっちはもっと凄いぞ。二十年前のFAファクトリーオートメーション用コントローラーだ。……待てよ、このインターフェース、今のIoT機器と繋げられるかもしれねえ」

 辻が目を輝かせてジャンクパーツを漁り始める。彼の職人魂に火がついたようだ。

「大森さん、これの減価償却はどうなっていますか?」

「とっくに終わっています。簿価は一円。つまり、使い放題です!」

 大森が電卓を片手に興奮気味に答える。

 美冬も負けじと、使えそうなケーブルやモニターを集めた。

 そして、地下二階のオフィスは「実験室」へと変貌した。

 最新のクラウドサービスが使えないなら、オンプレミス(自社運用)で組めばいい。高価なセンサーが買えないなら、スマホの加速度センサーと廃材を組み合わせればいい。

 夏川の指が、猛スピードでコードを記述していく。

「一台電源が死んでるけど、これで動くかな。廃材PC五台をクラスター化して、簡易サーバ構築完了。処理能力は低いけど、工場のデータ収集くらいなら余裕よ」

「こっちもだ。ジャンク品のWebカメラと、オープンソースの画像認識AIを組み合わせて、検品システムを作ったぞ。材料費、ほぼゼロだ!」

 辻が誇らしげに試作品を掲げる。

 それは、不格好で、継ぎ接ぎだらけのシステムだった。だが、そこには既製品にはない「工夫」と「執念」が詰まっていた。

 桐谷はその様子を見て、満足げに頷いた。

「素晴らしい。これぞ『ブリコラージュ(あり合わせの道具での創造)』です。制約がなければ、人は工夫をしない。後藤専務に感謝状を送りたいくらいですね」

 美冬はその言葉にハッとした。

 金がない、権限がない、人がいない。ずっとそれを言い訳にしてきた。

 でも、今目の前にあるのは、制約を跳ね返した結晶だ。

「桐谷さん……私たち、戦えますね」

「ええ。むしろ、ここからが本番です」

 桐谷は夏川の方を見た。

 彼女は、仲間たちが楽しそうに作業する姿を、複雑な表情で見つめている。ポケットの中のUSBメモリの重みが、彼女を現実に引き戻す。

(こんなに楽しそうな場所、壊したくない……)

 夏川の葛藤に気づいているのかいないのか、桐谷は彼女に声をかけた。

「夏川さん。君の作ったそのサーバ、セキュリティは万全ですか?」

「……え?」

「廃材を使っている分、脆弱性は多いはずだ。誰かに『侵入』されるかもしれませんよ」

 桐谷の目は、すべてを見透かしているようだった。

「……大丈夫です。私が、守りますから」

 夏川は、自分に言い聞かせるように答えた。

 桐谷は小さく微笑んだ。

「期待していますよ」


 その夜、夏川は一人、オフィスの片隅でUSBメモリをPCに挿した。

 だが、実行したのはウイルスではない。彼女自身が即席で書いた、ウイルスの挙動を解析し、無力化するための「ワクチンプログラム」だった。

(ごめんね、後藤専務。私、こっちの方が性に合ってるみたい)

 画面に『Complete』の文字が表示されると、彼女はUSBを抜き取り、ゴミ箱へと放り投げた。

 それは、彼女なりの宣戦布告であり、過去との決別だった。


 地下二階の灯りは、深夜まで消えることはなかった。

 金を使わない戦い。それは、知恵とプライドを賭けた、静かで熱い戦争の始まりだった。


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