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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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30/30

第30話:再起動(リブート)

「システムのリブート(再起動)は、終わりではない。

 それは、蓄積されたゴミ(キャッシュ)をクリアし、

 新たなプログラムを読み込むための、最初の儀式である。」

◾️ ラスト・メッセージ


 十二月某日。

 桐谷秀樹が去ってから数日が経った。

 西芝電機本社、DX推進部のオフィス。主のいなくなったCDO室は、ガラス越しに見ても寒々しいほどきれいに片付いていた。

 だが、フロアの熱量は変わっていない。むしろ、桐谷という防波堤がなくなったことで、メンバー一人一人が「自分がやらねば」という当事者意識オーナーシップを強く持つようになっていた。


「白雪課長、決裁お願いします!」

「美冬ちゃん、来期の予算案、確認して!」

 ひっきりなしに飛んでくる承認依頼。美冬は一つ一つに目を通し、判断を下していく。

 迷う時間は減った。判断基準クライテリアが自分の中に確立されているからだ。


 ふと、美冬は自分のデスクの引き出しを開けた。

 そこには、一冊の黒革の手帳が入っていた。

 『STノート』。

 桐谷が退職する日、こっそりと美冬のデスクに入れておいたものだ。

 以前、美冬が使っていたボロボロのノートではなく、桐谷自身が長年愛用していた「原本」だった。


 美冬は休憩時間に屋上へ上がり、そのノートを開いた。

 中には、びっしりと書き込まれた戦略論、組織論、そして数々の修羅場の記録。

 その最後のページに、新しい書き込みがあった。

 桐谷の端正な筆跡だ。


 『最終条』

 『去り際は美しくあれ。そして、次の設計図アーキテクチャを描け』


 その下には、こう続いていた。

 『システムは完成した瞬間から陳腐化が始まる。維持メンテナンスするだけでは、いずれ死ぬ。だから、常に破壊し、再構築し続けろ。……君たちの手で』


「……本当に、最後まで宿題ばっかり」

 美冬は苦笑した。

 彼は「答え」を教えるのではなく、「問い」を残していったのだ。

 「完成した」と思って満足するな。「西芝再生」という成功体験すら、明日には過去の遺物になる。だから壊せ。そしてまた作れ。

 それが、ITストラテジストとしてのラスト・メッセージだった。


「難しい宿題だなぁ……」

 美冬は空を見上げた。冬の空は澄み渡り、どこまでも高い。

「でも、やりますよ。私たちは、貴方の想像を超えるんでしょう?」

 美冬はノートを閉じた。その手触りは、温かかった。


◾️ 合格通知


 その日の夕方。

 夏川葵が、血相を変えて美冬の席にやってきた。

「ボス! 大変! これ見て!」

 夏川が差し出したタブレットには、フライト情報の画面が表示されていた。

「桐谷さんの出国情報、捕捉したわ。……今日の二十時発、JFKニューヨーク行きよ」

「えっ、今日!?」

 美冬が立ち上がる。

「どうする? 今から出ればギリギリ間に合うけど」

 夏川が悪戯っぽく笑う。

「……でも、桐谷さんは見送りを断ったし、迷惑かな」

「空港で待ち伏せするのは『業務の妨げ』にはならないわよ。今は定時後だし」

 山藤健太もジャケットを羽織りながら近づいてきた。

「行こう、美冬。……最後に一言、『合格』をもらわないと、気が済まないだろ?」

 美冬は二人の顔を見て、大きく頷いた。

「うん! 行こう!」


 成田国際空港、第一ターミナル。

 出発ロビーは、年末の旅行客でごった返していた。

「桐谷さん! どこですか!」

 美冬たちは息を切らして走り回る。

 広い。人が多すぎる。

「夏川さん、GPSは?」

「ここ(空港)に来てから切られたわ! さすが用心深い!」

 もう保安検査場を抜けてしまったかもしれない。

 諦めかけたその時。

 北ウィングの端、人混みの途切れたベンチに、見慣れた後ろ姿があった。

 チャコールグレーのコート。膝の上には、銀色の薄型ノートPC。

 彼は出発直前まで、キーボードを叩いて仕事をしていた。


「桐谷さん!」

 美冬が叫ぶ。

 桐谷が手を止め、ゆっくりと振り返った。銀縁眼鏡が照明を反射して光る。

 彼は驚いた様子もなく、PCを閉じて立ち上がった。

「……やれやれ。私のGPS遮断スクリプトを破るとは。夏川さん、腕を上げましたね」

「貴方が教えたんでしょう!」夏川が言い返す。

「見送りは不要と言ったはずですが」

「見送りじゃありません!」

 美冬は桐谷の前に立ち、呼吸を整えた。

「報告に来ました。……本日付で、来期のDX戦略計画書、社長決裁が下りました」

 美冬は持ってきたタブレットを掲げた。

「グローバル展開の加速、新規AI事業の立ち上げ、そして……若手人材育成のための『桐谷アカデミー』の設立」

「アカデミー?」

 桐谷が眉をひそめる。「勝手に人の名前を使わないでください」

「いいじゃないですか。貴方のメソッドを残すための学校です」

 山藤が笑う。

「私たちは、止まりません。貴方がいなくなっても、もっと遠くへ行きます」

 美冬は真っ直ぐに桐谷を見つめた。

「だから……見ていてください。私たちの『再起動』を」


 桐谷は、美冬、山藤、夏川、そして後ろに続く辻や大森たちの顔を一人一人見た。

 そして、ふっと表情を緩めた。

 それは、今まで見たことがないほど、優しく、穏やかな笑顔だった。

「……見事です」

 桐谷は短く言った。

「君たちはもう、私の手を離れました。……合格です」


 その一言を聞いた瞬間、美冬の目から涙が溢れた。

 ずっと欲しかった言葉。

 厳しい師匠からの、最初で最後の肯定。

「ありがとうございます……っ!」

 美冬は深々と頭を下げた。

 

 『まもなく、ニューヨーク行き、NH10便の搭乗を開始いたします』

 アナウンスが流れる。

「行きます」

 桐谷はキャリーケースを引いた。

「お元気で。……私の自慢の生徒たち」

 彼は背を向け、保安検査場へと歩き出した。

 一度も振り返らなかった。

 その背中は、「過去」を断ち切り、「未来」へと進む意志に満ちていた。


◾️ 新しい煙


 桐谷を乗せた飛行機が、夜空へと吸い込まれていった。

 展望デッキで見送った美冬たちは、寒空の下、白い息を吐いていた。

「……行っちゃったな」

 辻が呟く。

「寂しくなるわね。あの嫌味な説教が聞けないと思うと」

 夏川が強がりを言う。

「でも、僕たちには残されたものがある」

 山藤が美冬を見た。

 美冬は涙を拭い、夜空を見上げていた。

 飛行機のライトはもう見えない。でも、その軌跡は心に残っている。

「うん。……帰ろう。私たちの会社へ」


 翌日。

 西芝電機本社、DX推進部。

 いつもの朝礼が終わると、北室社長が一人の男を連れてフロアに入ってきた。

 その顔を見て、山藤が驚きの声を上げた。

「た、田中部長!?」

 そこに立っていたのは、かつて美冬たちを陰ながら支えてくれた、元経営企画部長の田中浩だった。子会社に出向していたはずの彼が、なぜここに。

「やあ、みんな。久しぶりだね」

 田中は人懐っこい笑顔で手を振った。

「今日付で本社に呼び戻されたよ。……新しいCIO兼CDOとしてね」


「ええっ!?」

 フロア中がどよめく。

「田中さんが後任なんですか?」美冬が駆け寄る。

「ああ。まったく、桐谷くんには参ったよ」

 田中は苦笑しながら頭を掻いた。

「彼、辞める前に社長に推薦状を置いていったんだ。『後任は田中浩氏しかいない』ってね。おかげで隠居生活の夢はお預けさ」

 田中は、主のいなくなったCDO室を見つめた。

「桐谷くんは言っていたよ。『現場の指揮官としては、白雪さんは合格だ。だが、経営者としてはまだヒヨッコだ』とね」

 田中は美冬に向き直り、ニヤリと笑った。

「だから、君が一人前の部長、そして役員になるまでの『繋ぎ』として、私が防波堤になろう。……その代わり、覚悟しておきたまえ。これからは予算折衝に根回し、株主対応まで、経営のイロハを徹底的に叩き込んでやるからな」


 美冬は、その言葉に胸が熱くなった。

 桐谷は、去り際まで美冬たちのことを考え、最強の「守護者」であり「教師」である田中を配置してくれたのだ。

「……はい!」

 美冬は背筋を伸ばし、最敬礼した。

「ご指導、よろしくお願いします! 新しい師匠!」

「師匠はやめてくれよ。……これからは『パートナー』だ」

 田中が差し出した手を、美冬は力強く握り返した。


 昼休み。府中事業所。

 美冬と山藤は、工場の屋上に立っていた。

 眼下には、広大な敷地と、その向こうに広がる街並みが見える。

 工場の煙突からは、真っ白な蒸気が力強く昇っていた。

 かつては「時代遅れの象徴」に見えたその煙が、今は「生きている証」に見える。

 デジタルで制御され、最適化された、クリーンで力強い産業の息吹。


「見て、山藤くん」

 美冬が指差す。

「煙が、空に溶けていく。……新しい形になって」

「ああ。西芝も同じだ。形を変えながら、この空の下で生き続ける」

 山藤は美冬の横顔を見た。

 一年前、ここで絶望していた彼女は、今は誰よりも頼もしいリーダーの顔をしている。

「……なぁ、美冬」

「ん?」

 山藤は少し真面目な顔をして、美冬に向き直った。

「これから、忙しくなるぞ。田中さんは厳しい人だ。……だが、安心していい」

 山藤は一呼吸置き、静かに告げた。

「補佐官の補佐として、僕が支える。……公私ともに、な」

「えっ?」

 美冬はキョトンとして山藤を見た。

「公私って……どういうこと? 仕事外でも残業するってこと?」

 本気で分かっていない様子の美冬に、山藤はガクッと肩を落とした。

「……いや、なんでもない。そういう翻訳は苦手なんだな」

「なによ、はっきり言ってよ」

「そのうち分かるさ。……そのうちな」

 山藤は苦笑いし、空を見上げた。


 美冬は首を傾げたが、すぐに笑顔に戻り、ポケットからSTノートを取り出した。

 白紙だった最後のページの次に、新しいページを開く。

 ペンを取り出し、彼女は書き込んだ。


 『Reboot Complete. (再起動完了)』

 『Next Mission: Update System to Version 2.0 (次なる任務:バージョン2.0へのアップデート)』


 風が吹き抜け、ノートのページをめくった。

 そこにはまだ、たくさんの白紙が残されている。

 これから私たちが描く、未来の設計図のために。


 「よし!」

 美冬はノートをパタンと閉じ、青空に向かって伸びをした。

 太陽が眩しい。

 絶好の、再起動リブート日和だ。


「行こう、山藤くん! 会議の時間だよ!」

「はいはい、ボス」


 二人は並んで歩き出した。

 その足取りは軽く、力強い。

 彼らの背中を、新しい風が押していた。


 巨大なシステムは動き続ける。

 人の想いを乗せて、時代を超えて。

 再起動の物語はここで終わるが、彼らの挑戦は、永遠に続いていく。


(完)

 『再起動のストラテジー』を最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。


 本作のテーマである「ITストラテジスト」。

 国家資格である情報処理技術者試験の一つ「ITストラテジスト試験」の合格者です。

 独立行政法人 情報処理推進機構(IPA)によると、「高度IT人材として確立した専門分野をもち、企業の経営戦略に基づいて、ビジネスモデルや企業活動における特定のプロセスについて、情報技術 (IT) を活用して事業を改革・高度化・最適化するための基本戦略を策定・提案・推進する者」とされています。


 実は私自身、十数年前にこの試験に合格して以来、名刺にこの肩書きを刻んで活動しています。

 正直に告白しますと、かつての私は「資格試験なんて、実務には何の役にも立たない」と高を括っている側の人間でした。現場で培った勘と経験こそが全てだと信じていたのです。

 そんな私の背中を押した(あるいは、谷底へ突き落とした)のは、妻の一言でした。

 「役に立たないと言うなら、サラッと取ってきなさいよ」

 その挑発に乗せられ、約半年間の猛勉強の末に合格した時、私はあることに気づかされました。それまで約20年近く、泥臭い実戦の中で経験や勘として学んできたことが、知識として体系化され、一本の線で繋がったのです。それは非常に有意義な体験でした。今では、言い訳をして逃げていた私に引導を渡してくれた妻に、心から感謝しています。


 しかし、残念なことに「ITストラテジスト」という資格の認知度は、IT業界以外ではまだまだ低いのが現状です。グローバルでも同種の資格が存在しないため、その価値が伝わりにくい側面もあります。

 けれど私は、経営者やCIO(最高情報責任者)を名乗る方々にこそ、この資格を取得してほしいと強く願っています。

 この物語の舞台は、西芝電機という老舗の大企業でした。ですが、ITストラテジストが必要とされているのは、大企業だけではありません。むしろ、リソースの限られた中小企業にこそ、いて欲しい人材です。

  

 企業が風邪をひいた時、病をこじらせた時、あるいは基礎体力をつけてもっと強くなりたい時。そんな時に一番近くで診察し、適切な処方箋を出して治療してくれる「医者」のような存在。それこそが、私の考えるITストラテジストの理想像であり、主人公・桐谷秀樹に込めた願いでもあります。

 本作の中で桐谷はITストラテジストに求められている主な役割「事業戦略策定」「業務改革(BPR)」「事業エコシステム設計」「データガバナンスと活用」「変革マネジメント」を実行しています。現実社会でこんなに上手くはいきませんが、ITストラテジストという人材像の一例としてイメージして頂けたなら嬉しいです。

 

 そしてもう一つ、蛇足ながら私自身の話をさせてください。

 私もかつて、老舗大企業の情シス部門に新人として配属され、入社二年目でプロジェクトリーダーとしてチームを引っ張る、少々(いや、かなり)生意気な若造でした。

 必死に勉強もしましたが、それ以上に、多くの素晴らしい同僚や先輩たちに出会い、彼らに支えられ、助けられたからこそ、幾つものプロジェクトを成功させることができました。

 本作のもう一人の主人公・白雪美冬が、桐谷や山藤、そして現場の人々に支えられて成長していく姿には、そんなかつての自分自身の姿を重ね合わせています。

 彼女が流した涙も、最後に掴んだ自信も、形は違えど私自身が現場で味わったリアルな感情の欠片です。

 この物語が、全国の企業で戦う「医者」たちへのエールとなり、また今まさに現場で奮闘している「かつての私や美冬のような若者たち」の背中を押すきっかけになれば、著者としてこれ以上の喜びはありません。


 最後になりますが、本作の執筆を支えてくださった全ての方々と、美冬たちの成長を最後まで見届けてくださった読者の皆様に、心より感謝を申し上げます。


 ありがとうございました。


 アルテミス

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