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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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3/9

第3話:チーム・ストラテジー

「優れた戦略は、共通言語を持たない者同士を、一つの生き物に進化させる。」

■ エリートの憂鬱


 五月の風が吹く頃、西芝電機本社の二十五階にある経営企画部は、重苦しい空気に包まれていた。

 窓の外には東京の絶景が広がっているが、室内の空気は澱んでいる。ここには「現場の汗」の匂いはない。あるのは、上質なコーヒーの香りと、出世競争という名の見えない毒素だ。

 山藤健太は、自分のデスクで膨大な資料と格闘していた。

『次期中期経営計画策定に向けた基礎資料』

 タイトルこそ立派だが、その中身は空虚だった。各事業部から上がってきた、実現性の薄いバラ色の売上予測を合算し、前年比プラス五パーセントに見えるように数字を「調整」するだけのパズル。

「……こんなことのために、俺はMBAを取ったのか」

 山藤は小さく溜め息をつき、ネクタイを緩めた。

 ハーバードで経営学を学び、意気揚々と入社した。老舗企業を変えるのは自分だという自負もあった。だが、現実は冷酷だった。

 隣の席では、先輩社員たちが囁き合っている。

「聞いたか? 田中部長、とうとう辞令が出たらしいぞ」

「子会社のシステムズに出向だってな。実質的な左遷か」

「後藤専務に盾突くからだよ。『今の西芝に必要なのはリストラではなく、投資だ』なんて正論を吐くから……」


 山藤の手が止まった。

 田中浩。経営企画部長であり、山藤が心から尊敬していた上司だ。無口で職人気質だが、常に部下を守り、数字の裏にある「現場の想い」を大切にする人だった。

 その田中が、今朝、荷物をまとめて出ていった。

『健太、腐るなよ。場所が変わっても、仕事の本質は変わらん』

 去り際に掛けられた言葉が、胸に突き刺さっている。

 田中を追い出したのは、保守派の筆頭である後藤専務だ。自分たちに都合の悪いデータを出す人間を排除し、イエスマンだけで周りを固める。それがこの会社の「経営」の実態だった。


(俺も、いずれあっち側に取り込まれるのか。それとも、田中さんのように弾き出されるのか)

 

 思考が暗い淵に沈みかけた時、不意に同期の顔が浮かんだ。

 白雪美冬。入社式で隣に座り、緊張で震えていた地味な女子社員。

 彼女は今、「掃き溜め」と呼ばれる地下の情シス部にいる。配属が決まった時、彼女は絶望していた。だが、給湯室で誰かが言ってた噂が気になる。

 ――『情シスの新人が、工場の頑固親父たちと渡り合ってるらしい』

 ――『なんか、地下の連中の目の色が変わったとか』

 まさか、と思った。あの美冬にそんなことができるはずがない。だが、もし本当なら……。

 山藤は衝動的に席を立った。

「ちょっと資料室に行ってきます」

 嘘をついてフロアを出る。足は自然と、業務用エレベーターへと向かっていた。


 地下二階。

 そこは相変わらず、カビ臭く薄暗い場所だった。だが、以前訪れた時とは何かが決定的に違っていた。

 紙の山の横に、ホワイトボードが無理やり立てかけられていた。そして何より、以前は死んだように静かだったフロアに、活気のある怒鳴り声が響いていた。

「だから! 現場のこの手順は無駄なんですけど、職人さんのプライドに関わるから、システム側で吸収するしかないんです!」

 声を張り上げているのは美冬だった。作業着姿で、髪を振り乱しながら、ベテラン社員の辻に食って掛かっている。

「バーロー、それをやるとサーバ負荷が倍になるんだよ。安直な仕様書くんじゃねえ!」

 辻も負けじと言い返す。だが、その顔は笑っていた。議論を楽しんでいる顔だ。

 山藤は呆然と立ち尽くした。

 そこには、二十五階にはない「熱」があった。本音でぶつかり合い、何かを作り出そうとするエネルギー。

「……見学者ですか? 入場料は高いですよ」

 背後から声を掛けられた。

 振り返ると、長身の男が立っていた。仕立ての良いスーツに、鋭い眼光。新しく来たというCIO補佐官、桐谷秀樹だ。

「経営企画部の山藤です。……同期の様子を見に来ました」

「山藤健太。MBAホルダー。意気揚々と入社したけれど、もう辞めたいって顔してますね」

 桐谷は山藤の顔を見て言い当てる。

「な、なぜそれを……」

 桐谷は山藤の前に立ち、彼を見下ろした。

「きっと君は優秀なのだろう。数字を読む力も、論理構成力も申し分ない。だが、その武器スキルを、誰のために使っている?」

「それは……会社のために……」

「違うな。上司の顔色を伺うためだ。忖度という名のフィルターを通して作られた資料に、何の意味がある?」

 痛いところを突かれた。山藤は言葉に詰まる。

「君の元上司、田中さんは現場の話をちゃんと上に持って行けた人だ。君は田中さんから何を学んだ?」

 桐谷の言葉に、山藤の目が大きく見開かれた。この人は、田中のことまで知っているのか。

「……ここでなら、使えるんですか。俺の武器は」

「保証しますよ。ここでは誰も君の数字を歪めない。事実は事実として扱われる」

 桐谷は右手を差し出した。

「来ませんか。沈みゆく船の甲板でバイオリンを弾くより、機関室で油まみれになる方が、君の性には合っているはずだ」

 山藤は美冬の姿を見た。彼女は今、とても生き生きとしている。

 一瞬だけ、二十五階のデスクが頭をよぎるが、迷いは消えていた。山藤は桐谷の手を握り返した。

「……喜んで。泥舟の修理を手伝わせていただきます」


■ 劇薬と職人


 山藤が秘密裏にチームに加わった数日後。地下の「掃き溜め」に、さらなる異分子が投入された。

「今日からここで働くことになった、夏川葵です。よろしくー」

 気だるげな声と共に現れたのは、派手なメイクに茶髪、そしてラフなパーカー姿の女性だった。中途採用枠での配属だというが、その風貌は堅い電機メーカーには明らかに不釣り合いだ。

「おいおい、ここはキャバクラじゃねえぞ」

 インフラ担当の辻正一が眉をひそめる。彼は現場叩き上げの職人肌で、チャラチャラした人間を最も嫌う。

「あら、おじさん臭い部屋ね。加齢臭?」

 夏川は悪びれもせずに鼻をつまんだ。辻の額に青筋が浮かぶ。

「てめえ……! 新人研修からやり直してこい!」

「研修? 時間の無駄でしょ。それより部長さん、私の席どこ?」

 夏川は桐谷に向かってガムを噛みながら言った。美冬と山藤はハラハラしながら見守る。この空気を読まない新人は、間違いなくトラブルメーカーだ。

 だが、桐谷は動じなかった。

「一番奥の席を使いなさい。ハイスペックマシンを用意してあります」

「話が早くて助かるわ」

 夏川は席に着くと、持参したノートPCを開き、恐ろしい速度でキーボードを叩き始めた。その指の動きは、まるでピアノの名演奏家のようだ。

 カタカタカタカタ……ッターン!

 数分後、彼女は大きなあくびをした。

「ねえ部長。この会社のセキュリティ、ザル過ぎない?」

「どういうことだ?」

「外部からの侵入テスト(ペネトレーションテスト)してみたけど、三十分で管理者権限取れちゃった。ファイアウォールの設定、初期値のままだし。パスワードなんて『password123』とか、ありえないんですけど」

 フロアが静まり返った。辻が顔色を変えて立ち上がる。

「お前、勝手に本番環境に触ったのか!?」

「触っただけじゃん。壊してないよ。むしろ穴を教えてあげたんだから感謝してほしいくらい」

 夏川はモニターを指差す。そこには、社内システムの脆弱性リストがずらりと表示されていた。

「これじゃあ、中学生のスクリプトキディでも侵入できるわよ。よく今まで無事だったわね」

 美冬は息を呑んだ。彼女の言っていることは専門的すぎて分からないが、とんでもないスキルを持っていることだけは分かる。

「……SummerAce」

 桐谷がポツリと呟いた。

 夏川の肩がピクリと跳ねた。彼女がゆっくりと振り返る。その目から、先ほどまでのふざけた色が消え、鋭い警戒心が宿っていた。

「……何のことですか?」

「以前、某国政府機関のサーバーに侵入し、痕跡を一切残さずに去った伝説のハッカーのハンドルネームです。もうその名前を知っている人はほとんどいないと思いますが」

 桐谷は試すような目つきで夏川を見据えた。

「……人違いじゃないですか? 私はただのPCオタクですよ」

 夏川は飄々とシラを切るが、その指先は震えていた。

「まあ、いいでしょう」

 桐谷は追及をやめ、辻に向いた。

「辻さん。彼女の指摘は事実ですか?」

「……ああ、ぐうの音も出ねえ。古いシステムとの互換性を保つために、ポートを開けっ放しにしてた箇所だ。まさかそこを一瞬で見抜くとはな」

 辻は悔しそうに舌打ちをしたが、同時にその目には技術者としての敬意も芽生えていた。口は悪いが腕は確かだ、と認めたのだ。

「夏川さん。その穴、塞がないでください」

 桐谷の意外な指示に、夏川が目を丸くする。

「は? 馬鹿なの? 攻撃してくださいって言ってるようなもんじゃん」

「ええ、そうです。そこを『ハニーポット(囮)』にします」

 桐谷はニヤリと笑った。

「脆弱性をあえて残し、攻撃者を誘い込む。そして侵入してきた奴の正体や手口をログに記録する。君なら、そういう『罠』を仕掛けるのもお手の物でしょう?」

 夏川は一瞬呆気にとられ、やがて楽しそうに吹き出した。

「……あはは! 面白い。セキュリティ担当ってのは守るだけの地味な仕事だと思ってたけど、あんた、性格悪いわね」

「最高の褒め言葉です」

 夏川はモニターに向き直った。その背中からは、先ほどまでの気だるさは消え、ハンターの殺気が漂っていた。

「OK、ボス。最高にエグい罠、張ってあげるわ」


■ 地下室の設計図


 メンバーは揃った。

 戦略家の桐谷。現場と経営を繋ぐ翻訳者の美冬。論理と数字の参謀・山藤。物理層の守護神・辻。そして、天才的な技術を持つ劇薬・夏川。さらに、大森や佐久間といった一芸に秀でた「お荷物社員」たち。

 これ以上ないほどバラバラで、個性の強い集団。

 桐谷は全員をフロアの中央に集め、ホワイトボードの前に立った。

「さて、始めましょうか。西芝再生プロジェクト、通称『リブート』のキックオフです」

 桐谷はマジックを握り、ホワイトボードの左側に現在の西芝の状況を描き出した。

 縦割りの組織図。分断されたデータ。スパゲッティのようなシステム。

「これが現状(As-Is)です。一言で言えば『動脈硬化』。情報は流れず、判断は遅れ、現場は疲弊している」

 全員が黙って頷く。誰もが肌で感じていた閉塞感だ。

「では、我々は何を目指すのか」

 桐谷はボードの右側に、新しい図を描き始めた。

 それは、組織の壁を取り払い、データが血管のように全社を巡るシンプルな構造図だった。工場、営業、経理、経営。すべての機能がリアルタイムのデータで繋がり、一つの有機体として動く姿。

「これが未来(To-Be)です。データドリブン経営。現場の『気づき』が瞬時に経営判断に繋がり、経営の『意思』が即座に現場に伝わる。俊敏で、しなやかな組織」

「要するに、今はぐちゃぐちゃ。未来は少しマシにしたいってこと」

 山藤が息を呑む。「……理想的ですが、実現できるんですか? 今のウチの会社で」

「できます。そのために君たちがいる」

 桐谷はメンバー一人ひとりの顔を見た。

「辻さん、物理的なインフラを整備し、血液の通り道を作ってください。夏川さん、外部のウイルスという病原菌から免疫システムを構築してください。山藤くん、この変革がもたらす利益を数字で証明し、経営陣を納得させてください。正直、どこまでできるかはやってみたいとですが」

 そして最後に、美冬を見た。

「白雪さん。君の役割は『通訳』だ。STノートを使いこなし、現場のアナログな言葉をデジタルの論理に翻訳する。君が現場の信頼を勝ち取らなければ、この計画は絵に描いた餅で終わります」

 美冬は背筋を伸ばした。「……はい!」

 大森や佐久間たちも、自分たちに向けられた期待の眼差しに、戸惑いながらも顔を上げている。今まで「お荷物」扱いされてきた彼らに、初めて「役割」が与えられたのだ。

「我々はシステムの『管理者』ではありません」

 桐谷はホワイトボードに大きく書き殴った。


 『Architect(設計者)』


「この会社の未来を描き、実装する設計者です。ここ地下二階が、西芝の新しい心臓になるんです」

 その言葉が、フロアの空気を変えた。

 澱んでいた空気が熱を帯び、バラバラだった個性が一つの方向を向き始める。

 辻がニヤリと笑い、レンチを回した。「へっ、心臓外科医ってわけか。悪くねえ」

 夏川もフンと鼻を鳴らす。「ま、退屈はしなさそうね」

 山藤は手帳を開き、メモを取り始めた。「具体的なスケジュールに落とし込みます」

 そして美冬は、STノートを胸に抱きしめた。

(私たちが、会社を変える……)

 武者震いがした。それは恐怖ではなく、これから始まる戦いへの高揚感だった。


 地下の掃き溜めから、反撃の狼煙が上がる。

 外はまだ曇り空だが、ここには確かに、小さな、しかし決して消えることのない火種が灯っていた。


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