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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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第25話:現場の声、データの声

「破壊者は、瓦礫の山を見て力を誇示する。

 建設者は、設計図を見て未来を創造する。

 株主オーナーたちが選ぶべきは、どちらの景色か。」

◾️ 水槽のサメ


 会場のスクリーンには、依然として「西芝崩壊」のシミュレーション映像が流れていた。

 真っ赤な警告ウィンドウが踊り、データが消失していく様は、まるでピラニアの群れに食い荒らされる巨体のようだった。

 だが、桐谷秀樹の「被害はゼロです」という宣言により、その映像の意味は一変した。

 それは恐怖の記録ではなく、檻の中で暴れる猛獣の見世物となったのだ。


「……嘘だ」

 後藤隆彦専務は、震える手で自身のスマートフォンを握りしめていた。

「そんなはずはない。私は確かに『実行』を押した。私の権限は本物だ。……なぜ、本番環境が消えていない!」

 後藤は錯乱し、周囲の役員たちに掴みかからんばかりの勢いだ。

 桐谷は、静かにステージの中央へと歩み出た。

「簡単なことです。貴方がアクセスしていたのは、私たちが昨夜構築した『鏡の世界』だったからです」


 桐谷は指を鳴らした。

 スクリーン画面が二分割される。

 左側には、先ほどの崩壊していくシステム画面。

 右側には、平穏無事に稼働している現在の西芝のシステム画面。

「左側は、貴方が放ったウイルス『ロジックボム』が暴れ回っている隔離環境サンドボックスです。私たちは、貴方のIDを検知した瞬間、通信をこの『水槽』へと誘導しました」

 桐谷は冷ややかに解説する。

「貴方のウイルスは、そこで思う存分データを破壊しました。……ですが、それは全てコピーされた偽物のデータです。本物の顧客情報も、設計図も、1バイトたりとも傷ついていません」


「ば、馬鹿な……」

 後藤は膝から崩れ落ちそうになった。

「西芝の全データを複製するだと? そんな膨大なリソース、どこにある! 本社のサーバーだけでは不可能なはずだ!」

 後藤はITに詳しくないが、物理的な限界があることくらいは知っている。

 その問いに答えたのは、舞台袖からインカムで指示を飛ばしていた夏川葵の声だった(会場のスピーカーには流れていないが、桐谷のイヤーモニターには届いている)。

『……教えてあげなさいよ、桐谷さん。私たちがどうやってこの巨大な水槽を作ったか』


 桐谷はスクリーンを切り替えた。

 映し出されたのは、日本地図だ。

 東京、府中、岩手、四日市、姫路……全国に散らばる西芝の工場や研究所が、光の線で結ばれている。

「グリッド・コンピューティングです」

 桐谷は宣言した。

「昨夜、全国の工場長たちが、自らの判断で工場のサーバーリソースを提供してくれました。『会社を守るためなら』と。……この『水槽』は、貴方が軽視し、切り捨てようとした現場の結束力によって作られたのです」


 会場がどよめく。

「現場が……会社を守ったのか?」

「経営陣の内紛を、社員たちが止めたっていうのか?」

 株主たちの間に、驚きと称賛の声が広がる。

 後藤は顔面蒼白で立ち尽くしていた。

 自分の放った凶刃が、現場の団結という盾に阻まれ、折れたのだ。

「認めん……! これは捏造だ! CGか何かで私を嵌めようとしているんだ!」

 後藤は往生際悪く叫んだ。

「私がウイルスを仕掛けた証拠などない! この男が勝手に作った映像だ!」


 桐谷はため息をついた。

「まだ言い逃れをしますか。……では、数字で語りましょう」

 桐谷は舞台袖に合図を送った。

「山藤くん。出番です」


◾️ 建設と破壊


 桐谷と入れ替わりに登壇したのは、DX推進部課長の山藤健太だった。

 彼は緊張した面持ちながら、堂々とした足取りでマイクの前に立った。

「DX推進部の山藤です。……後藤専務は『証拠がない』とおっしゃいましたが、デジタルの世界に完全犯罪はありません」

 山藤はタブレットを操作した。

 スクリーンに、複雑な文字列――ウイルスのソースコードが表示される。

「これは、先ほど隔離環境で捕獲したウイルスの署名データです。作成者の痕跡フィンガープリントを解析した結果、後藤専務が使用されている業務用PCのMACアドレスと完全に一致しました」

「なっ……」

「さらに」

 山藤は畳み掛ける。

「ウイルスの作成日は三月十五日。貴方が人事権を剥奪された直後です。……動機も、手段も、実行の事実も、すべてデータが証明しています」


 会場の空気は、完全に後藤への軽蔑に変わっていた。

 だが、山藤のプレゼンは終わらない。

「株主の皆様。どうか、こちらのグラフをご覧ください」

 画面が切り替わる。

 右肩上がりに伸びる青い折れ線グラフと、地を這うような赤いグラフ。

「青色は、この一年間の西芝の業績推移です。DXプロジェクトによるコスト削減、在庫最適化、そして新規受注の増加により、営業利益は前年比百五十%を達成しました」

 会場から「おお……」という感嘆の声が漏れる。

 具体的な数字の力は絶大だ。

「対して、この赤いグラフは……後藤専務が主導した旧体制下での『損失予測』です」

 山藤の声が厳しくなる。

「もし改革を行わず、後藤専務の方針通りに現場を疲弊させ続けていたら、西芝はあと半年で資金ショートしていました。……そして今日、彼が実行しようとしたウイルス攻撃。これによる被害想定額は、五千億円。西芝の時価総額が吹き飛ぶ規模です」


 山藤は、二つのグラフを並べて見せた。

 『建設』と『破壊』。

 『再生リブート』と『自滅シャットダウン』。

 その対比は、誰の目にも明らかだった。

「後藤専務。貴方は『経営陣に能力がない』と言いましたが、データを見る限り、会社を壊そうとしているのは貴方だけです」

 山藤は後藤を指差した。

「貴方が守ろうとしたのは、西芝の伝統でも、従業員の生活でもない。……ご自身の保身と、ちっぽけなプライドだけだ!」

 

 山藤の叫びが、会場に響き渡る。

 それは、これまで「数字だけの冷徹な男」と思われていた山藤が見せた、初めての感情的な怒りだった。

 後藤は反論できなかった。

 積み上げられた事実ファクトの山に押し潰され、言葉を失っていた。

「……ち、違う……私は……」

 後藤は助けを求めるように会場を見渡した。

 だが、彼が金で雇った総会屋たちでさえ、沈黙していた。勝ち目のない戦には加担しない。それが彼らの流儀だ。

 唯一、味方だと思っていたOB会の老人たちも、スクリーンの数字を見て顔を見合わせている。

「……わしらの年金が、紙屑になるところだったのか?」

「後藤くん……君を信じていたのに」

 信頼の崩壊。

 後藤は、孤独なステージの上で、ただ震えることしかできなかった。


 その時、議長席の北室社長が立ち上がった。

「……議論は出尽くしたようですな」

 北室の声は静かだが、重みがあった。

「ですが、最後に聞いていただきたい声があります。……この改革を最前線で進めてきた、若きリーダーの言葉を」

 北室は舞台袖を手で示した。

 そこには、白雪美冬が立っていた。

 彼女は深呼吸をし、STノートを胸に抱いて、光の中へと歩き出した。


◾️ 未来への宣言


 二千人の視線が、小柄な女性社員に注がれる。

 美冬は震えそうになる足を叱咤し、マイクの前に立った。

 一年前、地下二階で「辞めたい」と泣いていた自分は、もういない。

 ここには、西芝の未来を背負う覚悟を決めた、一人のプロジェクトマネージャーがいるだけだ。


「……DX推進部、白雪美冬です」

 美冬の声は、会場の隅々まで澄み渡った。

「私は、入社二年目の若輩者です。経営のことは分かりません。株価のことも、難しいことはまだ分かりません」

 美冬は正直に語り始めた。

「でも、知っていることがあります。……この会社には、すごい人たちがいるということです」

 美冬は振り返り、スクリーンを指差した。

 そこには、昨夜の「サンドボックス作戦」に参加した、全国の工場長やエンジニアたちの写真が映し出されていた。

 徹夜明けの疲れ切った顔。でも、どこか誇らしげな笑顔。

「彼らは昨夜、一睡もせずにサーバーを守り抜きました。自分の手柄になるわけでもないのに。『自分たちの作った製品データを、ウイルスなんかに食わせてたまるか』と」

 美冬は会場に向き直った。

「後藤専務は言いました。デジタル改革は伝統を壊すと。……違います」

 美冬は強く首を振った。

「デジタルは、伝統を守るための武器です。職人さんの技術をAIで継承し、古くなった設備をIoTで守る。……私たちは、先人たちが築いてきた百年の歴史を、次の百年に繋ぐために戦っているんです!」


 会場の空気が変わっていく。

 冷ややかだった投資家たちの目が、熱を帯びていく。

「一年前、この会社は沈みかけていました。みんな諦めていました。でも、今は違います」

 美冬はSTノートを開き、そこに挟んでいた一枚の写真を掲げた。

 それは、かつて祝勝会で撮った、情シス部のみんなと、岩工場長たちが笑っている写真だ。

「現場は変わりました。社員は前を向いています。……私たちは、もう過去には戻りません」

 美冬は宣言した。

「お願いです。私たちに、未来を作らせてください。……足を引っ張るのではなく、背中を押してください!」


 美冬の悲痛な、そして希望に満ちた叫び。

 一瞬の静寂の後。

 「……よく言った!」

 会場の後方から声が上がった。

 それは、後藤派として動員されていたはずの、一人のOBだった。彼は立ち上がり、涙を流しながら拍手をした。

「そうだ……わしらが作りたかったのは、こういう会社だ!」

 それを合図に、拍手の波が広がった。

 パラパラという音が、やがて轟音のようなスタンディングオベーションへと変わる。

「頑張れ若造!」「西芝を頼んだぞ!」

 野次は消えた。あるのは、再生への期待と、若者たちへのエールだけだ。

 桐谷の視界は、今や完全に、美しい青一色に染まっていた。

 一点の曇りもない、完璧な「正常稼働オールグリーン」の状態。


 後藤はその拍手の渦の中で、亡霊のように立ち尽くしていた。

 誰も彼を見ていない。

 彼はすでに、過去の遺物レガシーとして処理されようとしていた。


 舞台袖で、桐谷は静かにその光景を見ていた。

 隣には夏川と辻がいる。

「……やったな、ボス」

 夏川が鼻をすする。

「ああ。最高のプレゼンだ」

 辻が目をこする。

 桐谷は、STノートの最後のページ――美冬が書き込んだ『勝利のシナリオ』を思い出した。

 彼女はそこに、こう書いていた。

 『最後は、全員で笑って終わる』

 

 桐谷は、珍しく口元を緩め、小さく呟いた。

「……上出来です。合格パスだ」


 会場の熱気は最高潮に達していた。

 北室社長がマイクを握る。

「株主の皆様。……これより、採決に入ります」

 勝負は決した。

 あとは、巨悪に引導を渡す「チェックメイト」の手続きだけが残されていた。


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