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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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20/30

第20話:決戦前夜

戦略ストラテジーとは、

 起こりうる最悪の事態を想定し、

 それを逆手に取って勝利への布石とすることである。」

◾️ プロキシファイト


 三月三十一日。年度末の最終日。

 西芝電機本社は、異様な緊張感に包まれていた。

 桜は満開を迎えていたが、社員たちの表情は硬い。社内イントラネットの掲示板や、休憩所のテレビからは、不穏なニュースが絶えず流れていたからだ。


 『西芝・後藤専務、疑惑を完全否定。「ハッカーによる捏造だ」と反論』

 『西芝OB会、現経営陣の退陣を要求。「伝統を破壊するDXに未来はない」』


 情シス部の大型モニターには、株価の乱高下グラフとともに、ニュース映像が映し出されていた。

 画面の中で、無数のマイクを向けられた後藤隆彦は、悲劇の英雄のような顔で語っている。

『私が脅迫したという音声データは、最新のAI技術で作られたディープフェイクです。警察にもそう説明し、理解していただきました。これは、外部から入り込んだコンサルタントと、犯罪歴のあるハッカーによる、会社乗っ取りの陰謀なのです!』


「……よくもまあ、ぬけぬけと」

 山藤健太が拳を震わせて画面を睨む。

「警察から証拠不十分で釈放された途端、これだ。あの人、心臓に毛が生えてるどころじゃないですね」

「毛だらけの剛毛よ」

 夏川葵が吐き捨てる。彼女の「スパイの証言」は警察を動かしたが、後藤は敏腕弁護士を雇い、「音声データ自体の証拠能力」を争点にして時間を稼いだのだ。逮捕状が出るまでの数ヶ月、彼は自由の身だ。

 そして、その猶予期間を利用して、彼が仕掛けたのが『プロキシファイト(委任状争奪戦)』だった。


「状況は芳しくありません」

 桐谷秀樹が冷静に分析する。

「後藤専務は、西芝OB会と大口の個人株主を抱き込みました。彼らの持ち株比率は合計で30%強。対して、北室社長を支持する安定株主は35%。……残る35%の浮動票をどちらが取るかで、六月の株主総会の勝敗が決まります」

「もし負けたら?」

 美冬が恐る恐る聞く。

「株主総会で『取締役解任動議』が可決され、北室社長と武田COOはクビ。後藤専務が社長に就任し、我々のDXプロジェクトは即日凍結。情シス部は解体され、全員懲戒解雇でしょう」

 最悪のシナリオだ。

 社内政治ソフトの戦いは終わったと思っていたが、敵は資本の論理ハードを使って、盤面ごとひっくり返しに来たのだ。


「現場も動揺しています」

 美冬はタブレットを見た。岩工場長からのメールだ。

 『OBの連中が工場に来て、「今の経営陣は現場を軽視している」「AIに仕事を奪われるぞ」とデマを吹き込んで回っている。若手はともかく、ベテラン連中が動揺し始めているぞ』

 後藤は、徹底した「分断工作」を行っていた。

 デジタル対アナログ。若手対ベテラン。外部対内部。

 組織の裂け目に杭を打ち込み、不安を煽る。それは、極めて政治的で、醜悪だが効果的な戦略だった。


「……どうすればいいんですか」

 辻が頭を抱える。

「システムなら直せるが、株主の心なんて俺たちにはどうにもできねえぞ」

 沈黙が落ちる。

 桐谷は、静かにコーヒーを啜った。

「株主が見ているのは『未来』ではありません。『現在』の安心と、『過去』の栄光です。後藤専務はそこを巧みに突いている」

 桐谷は美冬を見た。

「美冬さん。君なら、彼らにどうやって『未来』を見せますか?」

「私……?」

「明日、全社員向けの期首方針説明会があります。実質的な、改革派の決起集会です。そこで北室社長が話す予定でしたが……」

 桐谷は少し間を置いた。

「君が話しなさい」

「ええっ!?」

 美冬は飛び上がった。「無理です! 全社員の前でなんて!」

「社長の言葉は、どうしても『経営者の言葉』になります。ですが、今、一番説得力があるのは、現場で血を流し、汗をかいてきた人間の言葉です」

 桐谷はSTノートを指差した。

「君はもう、ただの新人ではありません。この激動の一年を駆け抜けた、プロジェクトリーダーです。……言葉を持ちなさい。人を動かすための」


◾️ 決起集会


 四月一日。新年度の始まり。

 西芝電機本社の講堂には、五百人の社員が集まっていた。オンライン配信を含めれば、全世界で一万人が視聴している。

 ステージの袖で、美冬はガチガチに緊張していた。心臓が早鐘を打っている。

「大丈夫だ、美冬」

 山藤が背中を叩く。

「原稿は完璧だ。僕と大森さんで数字の裏付けはチェックした。あとは読むだけだ」

「読むんじゃないわよ」

 夏川が美冬の髪を直しながら言う。

「あんたの言葉で喋るの。……ほら」

「う、うん……」


 『次は、DX推進部、白雪美冬さんです』

 アナウンスが流れ、美冬はステージへと歩き出した。

 スポットライトが眩しい。客席には、不安そうな顔をした社員たちが並んでいる。その中には、OB会の息がかかった批判的な視線も混じっていた。

 マイクの前に立つ。

 美冬は深呼吸をした。

 用意していた原稿を見る。そこには、立派な経営用語や数値目標が並んでいた。

 ……違う。

 これじゃ、伝わらない。

 美冬は原稿を閉じた。そして、マイクを握り直した。


「……一年前、私はこの会社のことが嫌いでした」

 会場がざわめく。

「古臭くて、カビ臭くて、誰もが疲れた顔をしていて。配属された地下二階の情シス部は、『掃き溜め』と呼ばれていました」

 美冬は素直に語り始めた。

「でも、違いました。そこには、宝物が埋まっていました」

 美冬は客席の一角、作業服を着た集団を見た。岩工場長たちがいる。

「現場には、百年の技術と誇りがありました。経理には、一円の誤差も許さない執念がありました。……ただ、それが『繋がっていなかった』だけなんです」

 美冬の声に、熱がこもる。

「私たちは、新しいシステムを導入しました。でも、本当に変えたかったのは、コンピューターではありません。……『諦め』です」

 「どうせ変わらない」「言っても無駄だ」。そんな空気を変えたかった。

「今、会社は揺れています。批判もあります。でも、聞いてください」

 美冬は前を向いた。

「私たちはもう、昨日の西芝ではありません。工場ではAIと職人が協力し、営業と開発がデータで議論し、誰もが『より良くしよう』と知恵を絞っています。……私は、今のこの会社が、大好きです」

 美冬の目から、一筋の涙がこぼれた。

「株主総会がどうなるか、私には分かりません。でも、私たちは止まりません。……だって、やっと動き出したんですから。やっと、面白くなってきたんですから!」

 美冬は叫んだ。

「一緒に、未来を作りましょう! 私たちは、必ず蘇ります!」


 一瞬の静寂。

 そして、パチ、パチ……と拍手が起こった。

 最初は岩工場長だった。次に辻や大森たち。そして、若手社員、中堅社員へと広がり、最後は会場全体を包む万雷の拍手となった。

 OB会の息がかかったベテラン社員たちも、気まずそうに、しかし確かに拍手を送っていた。

 「理屈」ではなく「熱」が、分断された心を溶かした瞬間だった。


 袖で見ていた桐谷は、満足げに頷いた。

 「……合格点ですね」

 隣にいた北室社長も目を細めている。

 「ああ。彼女は、新しい西芝の象徴アイコンだ」


 だが。

 その熱狂の裏で、孤独な悪意が静かに増殖していたことに、まだ誰も気づいていなかった。


◾️ バックドアの罠


 同日深夜。

 西芝電機本社から数キロ離れた、港区の高級マンション。

 その一室にある書斎で、後藤隆彦は一人、酒を煽っていた。

 部屋は暗く、デスクの上のノートPCだけが青白い光を放っている。

 画面には、昼間の決起集会のニュース映像が流れていた。

 拍手喝采を浴びる白雪美冬。

 そして、その背後で自信に満ちた表情を浮かべる桐谷秀樹。


「……おのれ……おのれぇぇ!」

 後藤はグラスを壁に投げつけた。ガラスが砕け散り、琥珀色の液体が壁を汚す。

 誰もいない。

 腰巾着だった瀬川は辞任し、逃げ出した。

 裏金を渡して雇っていた半グレのハッカーたちも、「西芝のセキュリティはヤバい。あの『SummerAce』がいる限り手出しできない」と言って、全員連絡を絶った。

 今、後藤の周りには誰もいない。

 あるのは、過去の栄光と、増幅していく憎悪だけだ。


「なぜだ……。なぜ誰も分からん!」

 後藤はPC画面を睨みつけた。

「私は会社を守ってきたんだ! 汗をかいて、泥水をすすって、人間同士の付き合いで契約を取ってきた! それを……データだのAIだの、冷たい機械に置き換えて何になる!」

 彼の目には、涙が滲んでいた。

 彼にとっての西芝は、義理と人情、そして熱気のある「人間臭い」場所だった。それが、桐谷たちによって無機質な「システム」に書き換えられていくのが、我慢ならなかったのだ。

「こんなものは西芝じゃない。……私が、元に戻す」

 後藤は、震える手でキーボードに手を伸ばした。

 ITなど大嫌いだった。キーを打つのも一本指だ。

 だが、今の彼にはこれしかなかった。


 画面には、怪しげなダークウェブのサイトが表示されている。

 英語のマニュアル。翻訳ソフトにかけながら、必死に読み解く。

 『LogicBomb Generator(論理爆弾生成ツール)』。

 高額なビットコインを支払って購入した、最後の凶器。

「ええと……ターゲットIPは……実行日時は……」

 老眼鏡をかけ、脂汗を流しながら、たった一人で破壊工作の準備をする専務取締役。

 その姿は滑稽で、そして哀れだった。

 彼は、会社を破壊したいのではない。「自分の愛した過去の西芝」を取り戻すために、「現在の西芝」を殺そうとしているのだ。

 歪んだ愛。狂信的なノスタルジー。


 『Enter Key to Generate (生成キーを押してください)』

 画面に表示が出る。

 後藤は、震える人差し指をEnterキーの上に置いた。

 これを押せば、もう後戻りはできない。

 だが、美冬たちの笑顔が脳裏をよぎるたび、彼の心は黒く塗りつぶされていった。

「……消えろ。全部、消えてしまえ」

 カチッ。

 乾いた音が響いた。

 画面にプログレスバーが伸びていく。

 『Payload Uploading...(爆弾をアップロード中)』


 後藤は椅子に深く沈み込んだ。

 終わった。いや、始まったのだ。

 六月二十五日。株主総会。

 あの日、自分が社長になれば、爆弾を解除して「私がアナログの力で会社を救った」と宣言する。

 もし解任されれば……そのまま爆発させ、裏切り者たち全員を道連れに地獄へ落ちる。

「……待っていろ、桐谷。最後の勝負だ」

 暗い部屋で、後藤の歪んだ笑い声だけが響いていた。


 翌朝。

 出社した桐谷は、モニターを見つめ、微かに眉をひそめた。

 「……ネズミが一匹、入りましたね」

 システム深部に仕掛けられた、不器用だが致命的な罠。

 桐谷はすぐにそれを見抜いたが、削除はしなかった。

 「泳がせましょう。……それが、彼への最後の手向けです」

 

 罠は張られた。

 役者は揃った。

 西芝の運命を賭けた、最後の戦いが始まる。


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