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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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18/30

第18話:包囲網

組織図レイアウトは、権力構造の地図に過ぎない。

 だが、真の組織力は、線で結ばれていない『信頼のネットワーク』に宿る。」

◾️ 人事という名の凶器


 三月一日。

 春の訪れを告げる強風(春一番)が吹き荒れる中、西芝電機本社ビルには、別の種類の冷たい風が吹いていた。

 三月は、決算月であると同時に、四月からの新体制に向けた「内示」の季節でもある。

 地下二階の情シス部。

 プロジェクトは最終コーナーを回っていたが、メンバーの表情は曇っていた。ここ数日、社内で不穏な噂が飛び交っていたからだ。

「……聞いたか? 営業二課の佐藤。改革に協力したせいで、来月から秋田の出張所に飛ばされるってよ」

 辻正一が眉をひそめて囁く。

「資材部の担当者もだ。子会社への出向が決まったらしい。『業務適正化』という名目だが、明らかに報復人事だ」

 山藤健太も、怒りを押し殺した声で言った。

 後藤専務派による「粛清」が始まっていた。

 システム障害や炎上騒動で決定打を与えられなかった彼らは、人事権という、組織において最も原始的かつ強力な凶器を振りかざしてきたのだ。


 その日の午後。

 情シス部に、人事担当役員・吉田典正の秘書が現れた。

「白雪美冬さん、山藤健太さん。吉田役員がお呼びです。十五階へ」

 フロアに緊張が走る。

 美冬は、PM席でキーボードを叩いていた手を止めた。

 隣の席(今は空席だが、かつて桐谷が座っていた席)に視線を送る。桐谷は外出中だ。

「……行ってきます」

 美冬は立ち上がった。足は震えていない。STノートを胸に抱き、山藤と共にエレベーターに向かった。


 十五階、役員応接室。

 吉田役員は、革張りのソファに深く腰掛け、薄ら笑いを浮かべていた。その横には、勝ち誇ったような顔の後藤専務もいる。

「座りたまえ」

 吉田が形式的に勧める。

 美冬たちが座ると、吉田は二通の封筒をテーブルに滑らせた。

「四月一日付の辞令内示だ」

 美冬は封筒を開けた。

 中の紙には、無機質な明朝体でこう記されていた。

 『北海道支社 物流管理課 倉庫係 勤務を命ずる』

 山藤の方も開く。

 『九州支社 総務課 備品管理係』

 エリート街道を歩んできた山藤にとって、これ以上ない屈辱的な左遷だった。


「……理由は、何でしょうか」

 山藤が低い声で問う。

「適材適所だよ」

 吉田は鼻で笑った。

「君たちは少し、本社で暴れすぎた。現場を知らない若手が改革だなんだと騒ぐから、組織の和が乱れる。地方の倉庫で、じっくりと『現場の空気』を学ぶといい」

「それは建前でしょう!」

 山藤が声を荒らげる。

「これは不当配置転換です。我々のプロジェクトは佳境に入っています。今、中核メンバーを外せば、システム移行に支障が出ます!」

「代わりなどいくらでもいる」

 後藤が口を挟んだ。

「外部のコンサルでもシステム屋でも雇えばいい。君たちはもっと会社というものを学ぶべきだ」

 後藤は美冬を見た。

「特に君だ、白雪くん。母親の威光を笠に着て、随分と偉そうな口を利くようになったそうじゃないか。北海道の寒空の下で、少し頭を冷やすといい」

 嘲るような視線。

 美冬は、唇を噛み締めて耐えた。言い返せば、さらに仲間への被害が広がるかもしれない。

「……拒否したら、どうなりますか」

「従ってもらうしかないね。従わなければ業務命令違反、懲戒の対象になる」

 吉田が即答する。

 詰んでいた。組織の論理という分厚い壁の前に、個人の正義など無力だった。


 部屋を出た二人は、重い足取りで廊下を歩いた。

「……ごめん、美冬。僕がもっとうまく立ち回っていれば」

 山藤が壁を叩く。悔し涙が滲んでいる。

「ううん。山藤くんのせいじゃない」

 美冬は気丈に振る舞ったが、心は折れそうだった。

 北海道。倉庫番。

 システムからも、仲間からも、遠く離れた場所。

 母から受け継いだPMのバトンを、こんな形で手放すことになるなんて。


 地下二階に戻ると、すでに噂は広まっていた。

「マジかよ……北海道って」

 辻が絶句する。

「私も、契約打ち切りの通告が来たわ」

 夏川がモニターを見つめたまま呟く。

「理由は『セキュリティポリシー違反の疑い』だって。ハッキングの件を蒸し返されたわ」

 さらに、大森、佐久間、加藤といった「お荷物社員」たちにも、それぞれ閑職への異動内示が出ていた。

 チーム解体。

 リブート・スクワッドは、権力によって物理的に引き裂かれようとしていた。

「……桐谷さんは?」

 美冬が尋ねる。

「連絡がつかねえ。朝からCOO室(武田常務の部屋)に行ったきりだ」

 辻が頭を抱える。

 まさか、桐谷さんも切られたのか?

 美冬の中に、かつてない絶望が広がっていった。どんなトラブルも解決してきたが、こればかりはどうしようもない。

 美冬は言葉を失った。


 その時、美冬のスマホが震えた。

 着信画面には『岩工場長』の名前。

「……はい、白雪です」

 美冬は声を絞り出した。

『おい、聞いたぞ! お前、飛ばされるって本当か!』

 岩の大声が鼓膜を震わせる。

「は、はい……。力不足で、すみません」

『馬鹿野郎! 誰が納得するか!』

 電話の向こうから、ガヤガヤとした騒音が聞こえる。工場の稼働音ではない。人の怒声だ。

『今すぐスピーカーにしろ! そっちの全員に聞かせろ!』

 美冬は慌ててスマホをスピーカーモードにした。

 岩の声が、静まり返った情シス部に響き渡った。


◾️ 現場のストライキ


『いいか、情シスの連中! よく聞け!』

 岩工場長の怒鳴り声は、地下二階の空気をビリビリと震わせた。

『俺たちは、お前らのシステムに命を預けてるんだ。あのクソみたいな発注画面を直し、止まっていたラインを動かし、下請けとの縁を繋いでくれたのは誰だ? 役員か? 違う、お前らだ!』

 電話の向こうで、「そうだ!」という野太い声がいくつも重なる。

 府中工場の作業員たちが集まっているのだ。

『白雪! お前、俺に言ったよな。「現場と経営の通訳になる」って。その通訳がいなくなったら、俺たちはまた言葉の通じない宇宙人と仕事をするのか? 冗談じゃねえ!』

「岩さん……」

 美冬の目から涙が溢れる。

『山藤! お前の作った生産計画、最初は文句言ったが、今じゃあれがないと仕事にならん! 夏川! お前のセキュリティのおかげで、安心して図面が開けるんだ!』

 岩は、一人一人の名前を呼んで吠えた。

『だからな、俺たちは決めたぞ』

 岩の声が、一段低く、ドスの効いたものになった。

『もし、この不当な人事が撤回されねえなら……府中工場は、四月一日をもって全ラインを停止する』

「えっ……!?」

 全員が息を飲んだ。

「ストライキ……ですか?」

『そうだ。ハンガーストライキじゃねえ、生産ストライキだ。俺たち現場が動かなきゃ、西芝は一円も稼げねえってことを、上の連中に思い出させてやる!』

『岩手も賛同します!』

 別の声が聞こえた。電話会議で他の拠点も繋がっているらしい。

『四日市もやります! 現場をナメるな!』

 全国の工場長たちが、次々と声を上げた。

 それは、かつて美冬たちが泥臭く現場に通い、信頼トラストを積み重ねてきた結果だった。

 権力によるトップダウンの命令に対し、現場からの怒りが爆発したのだ。


 その熱気は、地下二階の「お荷物社員」たちにも引火した。

「……経理部時代の同期に連絡します」

 大森が眼鏡を押し上げた。レンズの奥が鋭く光る。

「決算期に、経理システムの中核を知る私がいなくなればどうなるか。……集団で有給休暇を取って、実証実験をしてみましょうか」

「品証も動くぞ」

 佐久間がスマホを取り出す。

「新製品の出荷判定、私のハンコがないと出せないルールになってるんだ。私が飛ばされたら、四月の新商品は全部出荷停止だな」

「インフラも止めるか?」

 辻がニヤリと笑う。

「LANケーブル一本抜くだけで、本社はパニックだぜ」


 美冬は震えながら、その光景を見ていた。

 半年前、バラバラだった人たちが。

 「どうせ変わらない」と諦めていた人たちが。

 今は、一つのチームとして、巨大な権力に牙を剥いている。

「みんな……ありがとう」

 美冬は涙を拭った。

「でも、みんなを巻き込んで迷惑をかけるわけには……」

「迷惑? 水臭いこと言うなよ、ボス」

 夏川が笑った。

「あんた言ったじゃない。『ハブになる』って。私たちはもう繋がってるの。一人が攻撃されれば、ネットワーク全体で反撃する。それが分散型システムの強みでしょ?一人がやられたら、みんなで守るの」

 美冬はハッとした。

 そうだ。これは私の個人的な問題じゃない。私たちのネットワークへの攻撃だ。

 なら、守らなきゃ。

 私の大切なチームを。

 美冬は顔を上げた。

「……分かりました。やりましょう、ストライキでも何でも!」


 その時、フロアのドアが静かに開いた。

 桐谷秀樹が戻ってきた。

 彼は興奮するフロアの様子を見ても、眉一つ動かさなかった。

「……盛り上がっていますね。ですが、ストライキは最終手段ラストリゾートです。抜く前に、勝負をつけるべきでしょう」

「桐谷さん! どこに行ってたんですか!」

 山藤が詰め寄る。

「準備をしていました。……これに対抗するための」

 桐谷は、吉田役員から渡された辞令のコピーをひらつかせた。

「不当人事の証拠は揃いましたか?」

「証拠と言われても……『適材適所』と言い張られたら」

「人の口は嘘をつきます。ですが、データは嘘をつかない」

 桐谷は、自分のPCをプロジェクターに接続した。

 画面に表示されたのは、複雑なネットワーク図と、無数の散布図だった。

「タレント・マネジメントシステム。全社員のスキル、評価、異動履歴を一元化したDBです。これをAIで解析しました」

 桐谷は冷徹に告げた。

「人事部が隠していた『評価の歪み(バイアス)』を、すべて可視化しました。……これを持って、これより開催される臨時取締役会に乗り込みます」

「取締役会!? 呼ばれてませんよ!」

「ええ。乱入です」

 桐谷は美冬を見た。

「美冬さん。君も来てください。被害者代表として、そして次期リーダーとして」

 美冬はSTノートを握りしめ、頷いた。

「はい。行きます!」


◾️ AI人事分析


 臨時取締役会。

 議題は『来期の組織体制について』。後藤専務と吉田人事役員が主導し、改革派の粛清を正当化するためのシャンシャン総会になるはずだった。

 吉田が得意げに説明している。

「……以上の通り、組織の若返りと適正配置を行い、筋肉質な体制を……」


 バン!

 ドアが開き、桐谷と美冬が入室した。

「なっ、何だ君たちは! 部外者は出て行け!」

 後藤が怒鳴る。

 桐谷は無視して、演台の横に立った。

「緊急動議を提案します。『人事評価制度における重大な不正と、それに基づく不当人事の撤回』について」

「不正だと? 何を根拠に」

 北室社長が目配せをする。彼は桐谷の乱入を黙認していた。

「根拠はこちらです」

 桐谷がタブレットを操作すると、スクリーンにAI解析の結果が表示された。

 『人事評価と出身派閥の相関分析』

 そこには、衝撃的なグラフが描かれていた。

 縦軸に「昇進スピード」、横軸に「能力評価スコア」。

 通常なら正の相関(能力が高いほど昇進が早い)になるはずが、データは二つの塊に分かれていた。

 能力が低くても昇進しているグループ(青)と、能力が高くても冷遇されているグループ(赤)。

「青色は『後藤専務および吉田役員の出身部署』の社員。赤色は『それ以外』です」

 桐谷が解説する。

「重回帰分析の結果、西芝の人事評価において最も影響力を持つ変数は『スキル』でも『成果』でもなく、『誰の派閥か』であることが判明しました。その寄与率は八五%。統計的に見ても、これは明白な『えこひいき(バイアス)』です」

 会場がざわめく。

「ば、馬鹿な! そんなデータ分析など、こじつけだ!」

 吉田が狼狽する。

「こじつけではありません。ピープル・アナリティクス(人事データ分析)は、いまや世界の常識です」

 さらに桐谷は画面を切り替えた。

「そして今回、左遷リストに載った三十名。彼らの共通点は『DXプロジェクトへの貢献度が高い』ことだけです。彼らを外した場合の経済損失シミュレーションも行いました」

 画面に『損失額:五百億円』の文字が出る。

「現場のストライキによる稼働停止、システム保守要員の不足による障害リスク。これらを合算した数字です。……後藤専務、貴方は個人の感情のために、株主に五百億の損害を与えるつもりですか?」


 後藤は顔を真っ赤にして震えていた。

「き、貴様……! 私の人事権を侵害する気か!」

「権利の乱用です」

 ここで、美冬が一歩前に出た。

「役員の皆様。聞いてください」

 美冬はスマホを取り出し、先ほどの岩工場長の音声を再生した。

 『俺たちは、お前らのシステムに命を預けてるんだ!』

 野太い怒号が、会議室に響き渡る。

 『彼女を飛ばすなら、俺たちも止まる!』

「これは、現場の総意です」

 美冬は一瞬だけ言葉に詰まったが、凛とした声で言った。

「人事データ上の数字ではありません。生身の人間たちの声です。私たちが半年かけて繋いできた絆です。……これを切る権利は、誰にもありません!」


 北室社長がゆっくりと立ち上がった。

「……聞いたかね、吉田くん。後藤くん」

 北室の声は冷ややかだった。

「現場に見放された経営陣に、座る椅子はないよ」

「し、しかし社長……」

 北室社長は吉田を一瞥し、少しだけ考え込んだが、力強く宣言する。

「今回の人事内示は、すべて白紙とする。そして吉田くん、君には人事部長の解任と、懲罰委員会への出頭を命じる」

 吉田はその場に崩れ落ちた。

 後藤は、ギリギリと歯ぎしりをしながら桐谷を睨みつけた。

「……覚えていろ。この借りは、必ず返す」

「いつでもどうぞ。ただし、利子は高くつきますよ」

 桐谷は涼しい顔で受け流した。


 部屋を出た後藤は、廊下で独り、狂ったように笑い出した。

「ククク……いいだろう。人事権が使えないなら、システムごと葬ってやる」

 彼は懐から、一台の黒いスマートフォンを取り出した。

 それは、闇サイトで手に入れた「最後の切り札」へのアクセスキーだった。

「総会の日、西芝は終わる。……私と共に」


 一方、情シス部では歓喜の輪が広がっていた。

「撤回だ! 異動なしだ!」

 山藤が美冬とハイタッチをする。

「よかった……本当によかった」

 美冬はへなへなと椅子に座り込んだ。安堵で涙が止まらない。

 桐谷がコーヒーを差し出した。

「お疲れ様でした。現場の声、効きましたね」

「はい。……桐谷さんのデータ分析も凄かったですけど、最後はやっぱり『人』でしたね」

「ええ。データはあくまで武器。トリガーを引くのは人の想いです」

 桐谷は眼鏡を外して拭いた。

「これで、社内の抵抗勢力はほぼ無力化しました。……あと一人ですね」

 美冬は頷いた。

 四月からは入社二年目。名実ともにプロジェクトリーダーとして、最後の戦い――六月の株主総会へと向かう。


 だが、彼らはまだ知らなかった。

 追い詰められた獣が、最も凶暴になることを。

 そして、システムの中に、すでに解除不能な「時限爆弾」が仕掛けられていることを。

 

 戦いは、デジタル空間の深淵へと移行していく。


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