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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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17/30

第17話:母と娘の和解

「ソースコードのコメントアウト(隠された記述)にこそ、

 開発者の本当の『意図』と『願い』が記されている。」

◾️ 鉄の女の倒れる日


 二月中旬。サプライチェーンの再構築という難局を乗り越えた西芝電機だったが、その代償は小さくなかった。

 特に、プロジェクトマネージャーである白雪真冬の消耗は、誰の目にも明らかだった。


「……遅い。工程管理スケジュールに対し、進捗率プログレスが0.5ポイント遅延しているわ」

 定例ミーティング。真冬の声には、いつものような鋭利な刃物の響きがなかった。どこか掠れ、金属疲労を起こしているような響きだ。

 顔色は蝋人形のように白く、目の下のクマはコンシーラーでも隠しきれていない。

「白雪さん、少し休まれた方が……」

 美冬が心配そうに声をかけるが、真冬は手元の栄養ドリンクを一気に飲み干して遮った。

「休んでいる暇はないわ。三月の期末決算に向けて、経理システムの最終移行マイグレーションがあるのよ。ここを落としたら、西芝の決算発表が遅れる。上場廃止のリスクさえあるの」

 正論だ。だが、その働き方は常軌を逸していた。

 この一ヶ月、彼女が地下二階から出た形跡がない。仮眠室と執務室を往復するだけで、食事もゼリー飲料で済ませている。

「人間はサーバーじゃないんです。メンテナンスが必要です」

 山藤も諌めるが、真冬は聞く耳を持たない。

「私は特別な仕様スペックなの。あなたたち凡人とは違う」


 その日の深夜。

 美冬が残業を終えて帰ろうとした時、部長席の方で「ガシャン」という大きな音がした。

 振り返ると、真冬が床に崩れ落ちていた。

「お母さん!」

 美冬は叫び、駆け寄った。

 真冬の体は火のように熱かった。呼吸が浅く、呼びかけにも反応しない。

「救急車! 誰か!」

 残っていた桐谷がすぐに駆けつけ、冷静に脈を測りながらスマホを取り出した。

「……熱が高い。とにかく救急車を。山藤くん、搬入経路の確保を」


 病院の白い天井。消毒液の匂い。

 救急処置室の前で、美冬は震えながら祈っていた。

 隣には桐谷が付き添っているが、美冬の震えは止まらない。

 そこへ、廊下の奥から息を切らして走ってくる男性がいた。

「美冬!」

「お父さん!」

 現れたのは、美冬の父・白雪義春よしはるだった。

 グレーのカーディガンにスラックスというラフな格好で、手にはスーパーの袋を提げたまま駆けつけてきたようだ。白髪交じりの髪は乱れ、穏やかな垂れ目には涙が滲んでいる。

「母さんは……真冬は!」

「今、中で処置中……。過労と、肺炎だって……」

 美冬が泣き崩れると、義春は優しくその背中を抱きしめた。

「そうか……。やっぱり、無理をしてたんだな」

 その声は、驚くほど落ち着いていた。まるで、こうなることを予期していたかのように。


 医師から「命に別状はない」との説明を受け、三人は安堵のため息をついた。

 点滴を受けて眠る真冬の顔色は悪いが、呼吸は安定している。

 義春はベッドの脇に座り、真冬の冷たい手を両手で包み込んだ。

「バカだなあ、真冬は。また一人で全部背負い込んで」

 その手つきは、壊れ物を扱うように優しかった。

「……初めまして。桐谷です」

 桐谷が頭を下げる。

「ああ、あなたが桐谷さんですね。妻からよく聞いています。『生意気だけど、とても優秀だ』って」

 義春は人懐っこく笑った。

「生意気……ですか。光栄です」

「すみませんね、うちの妻が。家でも仕事の話ばかりで。でも、最近は楽しそうだったんですよ。『久しぶりに骨のある現場だ』って」

 義春は真冬の寝顔を見つめた。

「この人は不器用なんです。仕事で成果を出すことでしか、愛情を表現できないと思ってる。……美冬に対してもね」


◾️ 隠されたログ


 翌日。

 司令塔を失った情シス部は、重苦しい空気に包まれていた。

 だが、仕事は待ってくれない。期末決算対応は待ったなしだ。

「……桐谷部長。白雪さんの業務、どうしますか」

 山藤が沈痛な面持ちで尋ねる。

「私が代行します。ですが、詳細なタスク管理や未処理の課題バックログは、彼女のPCの中にしかありません」

 桐谷は真冬のデスクにあるノートPCを見た。

「美冬さん。貴女がログインしてください。緊急避難措置です」

「え、私が? でもパスワードが……」


 美冬は昨夜の父の言葉を思い出していた。

 『母さんはね、美冬が生まれた時、IT業界を辞めようとしたんだよ』

 病院の待合室で、父は缶コーヒーを片手に語った。

 『この子の成長を一秒も見逃したくないって。でも、私が止めたんだ。君の才能は社会の財産だから、家事は僕がやるって。……それ以来、あいつは「家族との時間」を犠牲にして、「世界を変えるシステム」を作ることを選んだ。それが、あいつなりの美冬への贈り物なんだよ』


 美冬は母の席に座った。

 母が犠牲にしてきた時間。その結晶がここにある。

 パスワード。母にとっての「始まり」の言葉。

 ふと、十年前の記憶が蘇った。美冬が初めてプログラミングで画面に文字を出した日。母は珍しく早く帰ってきて、涙ぐみながら抱きしめてくれた。

 『世界へようこそ、美冬』

 

 美冬はキーを叩いた。

 『Hello_World_Mifuyu』

 ……Enter。

 ロックが解除された。

「開いた……」

 デスクトップには整然とフォルダが並んでいる。その中に一つだけ、異質なフォルダがあった。

 『Hidden_Log(隠しログ)』。

 中には、膨大なテキストファイル。

 美冬は震える手で最新のファイルを開いた。


 『202X-02-14』

 // 今日の美冬。サプライヤーとの交渉、及第点。

 // 相手の目を見て話せるようになった。昔は私の後ろに隠れていたのに。

 // 義春さんが言っていた通りだ。「あの子は強い」。


 『202X-01-20』

 // 炎上対応。私の指示を待たずに工場へ走った判断は評価する。

 // 岩工場長を動かした情熱は、私にはないものだ。

 // 少し嫉妬する。……いや、誇らしい。


 それは、業務日誌の体裁を取った、母から娘への「育児日記」だった。

 厳しいダメ出しの横に、コメントアウト(//)で隠された本音が綴られている。


 // もっと厳しくしなきゃいけない。私が倒れる前に、一人前にしないと。

 // 嫌われてもいい。この子がこの戦場で生き残れるなら。

 // 愛してる。言えないけれど。


 「……うっ、ぐっ……」

 美冬は画面に突っ伏して泣いた。

 冷たい鉄の仮面の下に、こんなにも熱いマグマを隠していたなんて。

 後ろで見ていた夏川も、目元を拭っている。

「ズルいわよ、あの人。こんなログ、反則じゃない……」

 山藤も天井を仰いでいた。

「僕たちのことも書いてありますね。『山藤:ロジックは鋭いが打たれ弱い』『夏川:技術は天才だが孤独』……全部、見透かされていたんだ」


 桐谷が、静かに美冬の肩に手を置いた。

「これを受け取るのは、貴女しかいません」

 美冬は涙を拭い、強く頷いた。

「……はい。全部、読み込みます。母さんの思考アルゴリズムを、私がインストールします」


◾️ 新しいハブ


 三日後。

 美冬が病院へ向かうと、病室からは穏やかな笑い声が聞こえてきた。

 ドアを開けると、ベッドの上半身を起こした真冬が、義春が剥いたリンゴを食べていた。

「あら、美冬。来たのね」

 真冬の顔色は随分と良くなっていた。鉄の仮面を外し、ただの妻、母としての顔をしている。

「お母さん、大丈夫?」

「ええ。この人がうるさくてね。仕事の話をしようとすると、すぐにリンゴを口に突っ込んでくるの」

 真冬は呆れたように言うが、その目は笑っている。

 義春はニコニコしながらナイフを動かしている。

「ドクターストップだからね。今は『白雪PM』じゃなくて『白雪真冬さん』の時間だよ」


 美冬はベッドの脇に立った。

「お母さん。……PC、見たよ。『Hidden_Log』も全部読んだ」

 その言葉に、真冬がビクリと固まった。リンゴを噛む動きが止まる。

「な、何言ってるの! あれは……その、個人的なメモで……!」

 真冬が慌てて義春を見る。義春は「ああ、バレちゃったか」と肩をすくめた。

「お父さんから聞いたよ。母さんが、私のことずっと見ててくれたって」

 美冬は母の手を握った。

「ありがとう」

美冬はそれ以上の言葉がうまく出てこなかった。

 真冬は顔を真っ赤にし、口をパクパクさせ、やがて観念したようにシーツに顔を埋めた。

「……最悪だわ。あんな恥ずかしいポエムを見られるなんて。一生の不覚よ」

「ポエムじゃないよ。最高の仕様書だった」

 美冬は微笑んだ。

 そして、真剣な表情で告げた。

「でもね、お母さん。私、お母さんのようにはなれない」

 真冬が顔を上げる。

「私は『鉄の女』にはなれない。……だから、違うやり方でやる」

 美冬は義春と真冬、両親の前で宣言した。

「私はみんなの『ハブ』になる。触媒になって、チームの力を最大化する。それが、私のPMスタイル」


 真冬は黙って娘を見ていた。そして義春を見た。

 義春は深く頷いた。「立派になったじゃないか」という顔で。

 真冬はため息をつき、そして小さく笑った。

「……生意気ね。誰に似たのかしら」

「君だよ」

 義春が即答する。

「いや、あなたに似て甘ちゃんよ。……でも、今の西芝には、その『甘さ』が必要なのかもしれないわね」

 真冬は美冬の手を強く握り返した。

「分かったわ。……任せる。私の屍を越えていくなら、完璧な勝利を見せて頂戴」

「うん。任せて!」


 三人の間に、温かい空気が流れる。

 久しぶりに、家族の時間が戻ってきたようだった。

「さて、と」

 義春が立ち上がった。

「退院したら、快気祝いで温泉でも行こうか。三人で」

「えっ、いいの?」美冬が目を輝かせる。

「いいわね。……でも義春さん、私のPCは?」

「温泉宿にはWi-Fiがないところを予約するからね」

「そんな!」真冬が悲鳴を上げる。

 美冬と義春は顔を見合わせて笑った。


 本社に戻った美冬は、地下二階のドアを開けた。

 フロアの空気が、美冬を迎える。

「おかえり、美冬ちゃん。どうだった?」辻が聞く。

「一応、引き継いできました」

 美冬は凛とした声で答えた。

 そして、フロア全体を見渡せる真冬の席――プロジェクトマネージャー席へと歩み寄り、深く息を吸って座った。

「さあ、皆さん。リブートの最終フェーズです。期末決算、絶対に乗り切りましょう!」

「おう!」

 辻が力強く拳を上げる。夏川もキーボードに手を置き、ニヤリと笑った。

「了解。……でも『ボス』って柄じゃないわね」

「え?」

「あんたは私たちの『ハブ』なんでしょ? 命令はいらないわ。ただ、私たちを繋いでくれればいい」

 夏川の言葉に、山藤も深く頷く。

「そうだね。僕たちは君のパーツじゃない。パートナーだ」

「……うん!」

 美冬は満面の笑みで答えた。

 そこには、真冬が支配していた時の張り詰めた緊張感はない。あるのは、互いを信頼し合う温かく強固な結束だった。


 桐谷は、少し離れた場所からその光景を見ていた。

 彼はSTノートを取り出し、最後の項目にペンを走らせた。

 『継承完了。家族システム再接続リコネクトを確認』


 母から娘へ。そして、それを支える父というバックアップ。

 最強の布陣が整った。

 だが、その結束を試すかのように、最後の敵が動き出そうとしていた。

 西芝社内を覆う、不気味な「人事」という名の包囲網。

 三月、年度末。後藤派の最後のあがきが、美冬たちに襲いかかる。


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