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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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13/13

第13話:紙との戦争

形式フォーマットへの執着は、思考の停止を生む。

 紙に宿る『重み』の正体は、責任回避という名の『停滞』である。」

◾️ ハンコリレーの怪


 十二月。師走の風が吹き荒れる中、西芝電機本社は年末恒例の「決裁ラッシュ」に追われていた。

 地下二階の情シス部も例外ではない。ただ、彼らが追われているのは書類作成ではなく、社内から溢れ出す「紙」そのものとの戦いだった。


「……狂気ですね、これは」

 白雪美冬は、会議室の壁一面に張り出された模造紙を見上げて絶句した。

 そこには、社内のあらゆる申請書や稟議書のコピーが、複雑怪奇な矢印で繋ぎ合わされ、壁を埋め尽くしていた。まるで巨大な迷路か、現代アートのようだ。

「『西芝ダンジョン・マップ』と名付けました」

 眼鏡の位置を直しながら淡々と答えたのは、元経理部の大森剛だ。彼はこの一週間、社内を駆けずり回って、現行の承認フロー(スタンプラリー)の実態を調査していた。

「見てください、ここ。備品購入の稟議書です。たかだか五千円のマウスを買うのに、課長、部長、事業部長、資材部担当、資材課長、経理担当……合計十二個のハンコが必要です」

 大森が指し棒で叩く。

「しかも、ここで『差し戻し』が発生すると、また最初からやり直し。平均リードタイムは五営業日。五千円を使うのに、人件費だけで五万円分の時間を浪費している計算になります」

「うわあ……」

 隣で聞いていた山藤健太が顔をしかめる。

「経営企画部時代も薄々感じてたけど、可視化されると地獄絵図だな」

「さらに酷いのはここです」

 大森は別のルートを指差した。

「『海外出張申請』。ここには十八個のハンコが並んでいますが、途中の役員三人は、中身を見ずに秘書に押させていることが判明しました。つまり、ただの『通過儀礼』です」

「通過儀礼のために、社員は書類を持ってフロアを走り回ってるわけね」

 夏川葵が呆れ顔でコーヒーを啜る。

「バカバカしい。私が作った電子決裁システムのプロトタイプなら、スマホでポチッで終わるのに」


 現在、情シス部では白雪真冬の号令の下、全社ペーパーレス化プロジェクトが進行していた。しかし、その進捗は芳しくない。システムはほぼ完成しているのに、各部署からの猛反発に遭っているのだ。

「現場のおじさんたちがうるさいのよ。『紙がないと読んだ気にならん』とか『ハンコの角度で部下のやる気がわかる』とか」

 美冬がため息をつく。

 特に抵抗が激しいのが、総務部と、それを管轄する管理本部の役員たちだった。彼らにとって、ハンコを押す権限こそが、社内政治における力の源泉なのだ。


「……なら、その『権限』とやらが、いかに無責任なものか証明してやりましょう」

 フロアの奥から、桐谷秀樹の声が響いた。

 彼は大森が作った「ダンジョン・マップ」を満足げに見上げていた。

「大森さん。素晴らしい仕事です。これは単なる業務フロー図ではない。西芝の『血管図』であり、どこで血栓(遅延)が起きているかを示すカルテだ」

「恐縮です。……長年、経理で伝票の山に埋もれてきた怨念を込めました」

 大森の眼鏡がキラリと光る。

「このマップを使いましょう。敵は『紙の重み』を主張してくる。ならば我々は、その『重み』がいかに会社を押し潰しているか、物理的に見せてやるんです」


 桐谷はチーム全員に指示を飛ばした。

「夏川さん、ワークフローシステムのUIを修正してください。承認履歴のタイムスタンプを、あえて『秒単位』で表示できるように」

「了解。ブロックチェーンで改ざん防止も入れておくわ。『いつ、誰が、何秒で押したか』を永遠に記録に残してあげる」

「山藤くんは、紙の保管コストと、検索にかかる時間のロスを金額換算してください。倉庫の賃料からコピー代まで、一円単位でね」

「任せてください。大森さんのデータがあれば完璧な試算が出せます」

「そして美冬さん」

 桐谷は美冬に向いた。

「君には、敵の本丸に行ってもらいます」

「えっ、本丸って……」

「総務部の『お局様』こと、高橋次長です。彼女はハンコ文化の守護神であり、役員たちの門番でもある。彼女を攻略しなければ、電子決裁は導入できません」

 美冬はゴクリと喉を鳴らした。

 高橋次長。社歴三十五年、歴代社長の筆跡をすべて記憶していると言われる伝説の総務マン。その厳しさは「歩く校則」と恐れられている。

「……わかりました。行ってきます」

 美冬はSTノートを握りしめた。ノートにはこう書かれている。

『伝統を守る者を敵に回すな。彼らが守りたいのは形式ではなく、そこにある「秩序」だ』


◾️ 紙の重み、デジタルの軽さ


 総務部のフロアは、静寂とインクの匂いに包まれていた。

 キャビネットが整然と並び、どの机の上にも書類がミリ単位で揃えられている。

 その最奥の席に、高橋次長はいた。銀縁眼鏡の奥の目は厳しく、手元の書類に朱肉で鮮やかな印影を押していた。

「……情シスの白雪です。電子決裁システムの件でご相談に上がりました」

 美冬が声をかけると、高橋は手を止めずに言った。

「お断りしたはずよ。電子データなんて信用できません。サーバーが飛んだらどうするの? 改ざんされたら? 紙なら、燃やさない限り残るわ」

「セキュリティに関しては、ブロックチェーン技術を用いて原本性を保証します。それに、バックアップは遠隔地に分散保管されますので、災害時も……」

「技術の話はいいわ」

 高橋は顔を上げ、美冬を射抜くように見た。

「あなた、稟議書の意味をわかっている? あれはね、ただの許可証じゃないの。起案者がどれだけ汗をかいて根回しをしたか、その『重み』をリレーするものなのよ」

 高橋は一枚の古い稟議書を取り出した。黄ばんだ紙には、何十人ものハンコが押され、余白には手書きのコメントがびっしりと書き込まれている。

「これは二十年前、府中工場のライン増設を決めた時の稟議書。当時の担当者が何度も書き直して、役員に怒鳴られて、ようやく通した汗と涙の結晶よ。クリック一つで済ませるデジタルに、この『魂』が宿るの?」

 精神論。だが、そこには確かな信念があった。

 美冬は言葉に詰まった。効率化の論理だけでは、彼女の誇りを傷つけることになる。


 その夜、美冬は地下二階で悩んでいた。

「……魂かあ。厄介な敵だね」

 辻がカップ麺をすすりながら同情する。

「でもさ、その魂のせいで現場が止まってるのも事実だろ」

「そうなんですけど……。高橋さんは、書類を通じて人の想いを見てるんです。それを『無駄』と切り捨てるのは違う気がして」

 美冬が腕を組んでいると、夏川が画面を見ながら呟いた。

「想いねえ。……じゃあ、デジタルでも『重み』を感じさせればいいんじゃない?」

「え?」

UIユーザーインターフェースの話よ。味気ない承認ボタンじゃなくて、もっとこう、覚悟を問うようなデザインにするとか」

 夏川の言葉に、美冬の中に閃きが走った。

「それだ! 夏川さん、ちょっと相談いいですか!」


 数日後。定例役員会でのプレゼンの日がやってきた。

 議題は『全社電子決裁システムの導入可否』。

 反対派の急先鋒である後藤専務や、管理本部の役員たちは、最初から否決する気満々で待ち構えていた。

 高橋次長も陪席している。彼女の意見が、実務上の決定打になるからだ。

「では、情報システム部からの提案を聞こうか」

 北室社長が促す。

 桐谷が立ち上がり、山藤に合図を送る。

 山藤がスクリーンに映し出したのは、大森が作成したあの「西芝ダンジョン・マップ」だった。

「な、なんだこれは……」

 役員たちがどよめく。

「現在の我が社の承認フローです」

 桐谷が説明する。

「見ての通り、動脈硬化を起こしています。年間で紙の保管コストに五千万円、承認待ちによる機会損失は推計で三億円。我々は『紙』という名の足枷に、これだけの対価を払っている」

「金の問題ではない!」

 後藤が机を叩いた。

企業統治ガバナンスの問題だ! 安易に電子化して、誰が責任を取るんだ!」

「責任なら、デジタルの方が明確です」

 桐谷は冷静に返す。

「紙のハンコはお辞儀(斜めに押す)をしても、誰がいつ押したかは証明できない。ですが、電子ログは嘘をつきません」


 議論が平行線を辿る中、美冬が手を挙げた。

「あの……デモ画面を見ていただけませんか?」

 美冬はタブレットを高橋次長の前に置いた。

「高橋さんがおっしゃっていた『重み』、私たちなりに考えました」

 高橋は怪訝そうな顔で画面を見た。

 そこには、従来の無機質なシステム画面とは違う、ある工夫が施されていた。

 承認ボタンを押すと、画面上に起案者の顔写真と、プロジェクトにかける「一言コメント」がポップアップする。さらに、『承認』を押す際には、一瞬の「溜め(長押し)」が必要な仕様になっていた。

 画面にはエフェクトとともに、重厚な電子印影が刻まれる。

「これは……」

「クリック一つではありません。起案者の顔を見て、覚悟を決めてボタンを押す。その『間』をシステムで表現しました。そして、承認履歴には起案者からのお礼コメントも返信できます」

 美冬は高橋の目を見て言った。

「紙に残るのがインクの跡なら、デジタルに残るのは『対話』の記録です。私たちは、形式ではなく、そこで交わされるコミュニケーションこそを残したいんです」

 高橋は画面をじっと見つめ、指先で『承認』ボタンを長押しした。

 じわっ、と画面に朱色が滲むような演出とともに、印影が表示される。

 その横には、起案者である美冬からのメッセージが表示された。

 『ご指導、ありがとうございます』

 高橋の表情が、ふっと緩んだ。

「……悪くないわね。紙よりも、顔が見えるかもしれない」

 その一言で、勝負は決した。

 守護神が陥落したのだ。


◾️ 1秒の決裁


 高橋次長の軟化を見て、後藤は焦りを募らせた。

「だ、騙されるな! 所詮は子供騙しのギミックだ! セキュリティリスクはどうなる!」

 後藤はなおも食い下がる。

「電子署名法に基づき、法的効力は紙と同等です。それに……」

 桐谷が言葉を続けようとした時、北室社長が口を開いた。

「もういいだろう、後藤くん」

 北室は手元のタブレットを取り上げた。そこには、すでに新しい電子決裁アプリがインストールされている。

「実は昨日、桐谷くんからテスト運用のIDをもらってね。いくつか試してみたんだ」

 北室は画面を操作した。

「この案件、来期の新規事業投資だが……承認」

 社長が画面をタップする。

 ポーン、という軽快な音とともに、『承認完了』の文字が表示された。

「所要時間、わずか一秒。本来なら、君たちが回し読みして私の手元に来るまで二週間はかかっていただろう」

 北室は役員たちを見渡した。

「我々は、時間を買わなければならない。競合他社がAIで判断している時代に、ハンコのリレーをしている暇はないんだ」

 社長の言葉には、確固たる決意が滲んでいた。

「導入を決定する。来月から全社一斉切り替えだ。異論は認めない」

 鶴の一声。

 後藤は口をパクパクさせていたが、もはや反論する術はなかった。


 会議終了後。

 情シス部に戻った美冬たちを待っていたのは、大森と佐久間の万歳三唱だった。

「やったぞ! これで経費精算の貼り付け作業から解放される!」

 大森が珍しく声を上げて喜んでいる。

「仕様書の承認もデジタル化か……。赤入れが楽になるな」

 佐久間もニヤリと笑う。

 そこへ、真冬が現れた。

「浮かれている暇はないわよ。システムは導入してからが本番。使いにくいと文句を言ってくる社員へのサポート、マニュアル作成、旧データの移行……やることは山積みよ」

 相変わらずの塩対応だが、その声色はどこか弾んでいるようにも聞こえた。

「わかってますよ、白雪さん。……でも、今日くらいは勝利の余韻に浸らせてください」

 美冬が笑うと、真冬はフンと鼻を鳴らし、自分のデスクへと戻っていった。その背中は、少しだけ頼もしく見えた。


 その日の夕方、社内のゴミ集積所には、大量の不要になった書類ファイルが積み上げられていた。

 これまで「保管義務」という名目で場所を占拠していた、意味のない紙の山だ。

 桐谷と美冬は、その様子を廊下から眺めていた。

「歴史が変わる瞬間ですね」

 美冬が呟く。

「ええ。ですが、捨てたのは紙だけです。そこに宿っていた『想い』は、データとなってクラウドに昇華された」

 桐谷はスマホを取り出し、電子決裁アプリを開いた。

 そこには、先ほどの役員会での承認ログが残っている。

 承認者:北室哲二

 タイムスタンプ:202X-12-15 14:30:05

 コメント:『変革を恐れるな』

 

 それは、単なるデータではない。

 西芝が変わろうとする、確かな意思の記録だった。

「さて、身軽になりましたね」

 桐谷はスマホをポケットにしまった。

「重りを捨てた巨船は、ここから加速しますよ」


 十二月の寒空の下、西芝電機本社ビルの窓明かりは、いつもより少し明るく見えた。

 紙との戦争は終わった。

 だが、軽くなった組織を待ち受けているのは、さらなる逆風と、見えない敵からの悪意ある攻撃だった。

 

 その予兆は、年明け早々、一冊の週刊誌によってもたらされることになる。


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