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再起動のストラテジー  作者: アルテミス


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10/17

第10話:一里塚

「勝利はゴールではない。

 次なる、より巨大なステージに挑むためのチケットに過ぎない。」

◾️ 地下の祝祭


 九月末。半期決算の最終日。

 普段は静まり返っている地下二階の情シス部に、今日ばかりは陽気な笑い声が響いていた。

 デスクの上には、宅配ピザの箱が山積みになり、大ボトルのコーラやウーロン茶が並んでいる。予算ゼロのプロジェクトチームらしい、ささやかすぎる祝勝会だ。

「カンパーイ!!」

 プラスチックのコップがぶつかり合う。

 大森がピザを頬張りながら、眼鏡を曇らせて笑っている。

「いやあ、実に痛快でしたな! あの後藤専務が、あんなに悔しそうな顔をするとは!」

 佐久間も赤ペンを置いて頷く。

「提出したデータに間違いがなかった証拠だよ。私のチェックは完璧だったということだ」

 元お荷物社員たちの表情は、半年前とは別人のように明るい。自分たちの仕事が会社を動かしたという実感は、何よりの報酬だった。

 夏川は、PCモニターの光を肴にコーラを飲んでいる。

「ま、当然の結果でしょ。私のログ解析がなきゃ、あのプレゼンは成立しなかったんだから」

 口では憎まれ口を叩きつつも、その表情は柔らかい。彼女もまた、このチームに自分の居場所を見つけていた。


 そこへ、入口の自動ドアが開いた。

「おっ、やってるな」

 現れたのは、作業着姿の中年男性だった。両手には大きな寿司桶を抱えている。

 山藤が驚いて声を上げた。

「田中部長!……じゃなくて、田中さん!」

 元経営企画部長であり、現在は子会社の西芝システムズに出向している田中浩だ。

「特上の差し入れだ。山藤、お前の奢りにしておけ」

 田中はニカっと笑い、寿司桶をデスクに置いた。歓声が上がる。ピザだけでは物足りなかった辻が、真っ先に大トロに手を伸ばす。

「いらっしゃいませ、田中さん」

 奥から桐谷が出てきた。二人は短く視線を交わし、握手をした。

「聞いたぞ、桐谷さん。役員会で大立ち回りを演じたそうだな。武田の奴から電話があったよ。『面白くなってきた』とな」

「ええ。ようやくスタートラインに立てました。これも、田中さんが裏で根回しをしてくださったおかげです」

 桐谷は頭を下げた。田中は子会社にいながらも、同期である武田常務を通じて、改革派の支援を続けていたのだ。

 田中は山藤に向き直った。

「山藤。お前、いい顔になったな」

「……はい」

 山藤は背筋を伸ばした。半年前、腐っていた自分を励ましてくれた上司。その人の前で、胸を張れる仕事ができた。

「お前が作った資料、武田に見せてもらったよ。忖度なしの、いい数字だった。……俺が教えたこと、忘れてなかったみたいだな」

 田中の太い手が、山藤の肩を叩く。

 山藤は目頭が熱くなるのを堪え、深く頷いた。

「もちろんです。俺は、田中さんの部下ですから」

 地下室の宴は、夜更けまで続いた。そこには、役職も年齢も関係ない、戦友たちの絆があった。


◾️ 圧縮された時間


 宴もたけなわの頃。

 美冬は熱気にあてられて、少し風に当たりたくなり、そっと部屋を抜け出した。

 業務用エレベーターで屋上へ向かう。

 屋上の扉を開けると、秋の夜風が心地よく頬を撫でた。眼下には東京の夜景が広がり、遠くには府中工場の灯りも小さく見える。

「……ふぅ」

 美冬は手すりにもたれかかり、缶コーヒーを開けた。

 四月に入社してから、まだ半年。

 たった半年なのに、もう何年もここで戦っているような気がする。

「抜け駆けか?」

 背後から声がした。山藤と、辻だった。二人も缶コーヒーを持っている。

「あ、お疲れ様です。……ちょっと酔っちゃって(コーラだけど)」

「俺もだ。田中さんに褒められたら、なんか力が抜けちまってな」

 山藤が隣に並ぶ。辻は少し離れた場所でタバコに火をつけた。

「お前ら、よくやったよ」

 辻が紫煙を吐き出しながら言った。

「俺はこの会社に高卒で入って二十年になるが、こんなに濃い半年間は初めてだ。正直、お前らが来た時は『また使い捨ての若手が来たか』くらいにしか思ってなかった」

 辻は夜景に目を細める。

「だがな、お前らは違った。工場の岩さんを説き伏せ、システムを止め、役員会までひっくり返した。……普通の社員が十年かけて経験することを、たった半年で駆け抜けちまったんだ」

 十年分。

 その言葉に、美冬と山藤は顔を見合わせた。

「……必死でしたから」

 美冬が照れくさそうに笑う。

「俺もです。止まったら死ぬと思って、走り続けました」

 山藤も苦笑する。

「生き急ぎすぎだぜ、お前らは」

 辻は笑って、二人の背中をバンと叩いた。

「だが、悪くねえ。お前らみたいな後輩を持てて、俺は誇らしいよ」

 その言葉は、どんな辞令よりも嬉しい評価だった。

 辻が「先に戻るわ。寿司がなくなる」と言って去っていくと、屋上には美冬と山藤の二人が残された。

 沈黙が落ちるが、それは気まずいものではなく、心地よい静寂だった。

「……ねえ、山藤くん」

「ん?」

「私たち、少しは会社を変えられたかな」

 美冬が問いかける。

 山藤は少し考えて、答えた。

「まだ、設計図が引けただけだ。建物はこれから建つ」

 山藤は美冬の方を向き、真剣な眼差しで言った。

「でも、基礎工事は終わった。このチームなら、どんな高いビルだって建てられる。……俺はそう信じてる」

「……うん。私も」

 二人は拳をコツンと合わせた。

 同期としてのライバル心は、いつしか同志としての信頼に変わっていた。そしてその奥底に、ほのかな想いが芽生えていることに、二人はまだ気づかないふりをしていた。

 遠くで、工場のサイレンが鳴った。

 夜勤の交代を告げる音だ。西芝という巨体は、眠ることなく動き続けている。

 私たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。


◾️ 魔女の帰還


 その頃。

 地下二階の喧騒から離れた部長席で、桐谷秀樹は一人、タブレットを見ていた。

 画面には『Project Reboot : Phase 1 Complete』の文字が表示されている。

 初期段階の目標である「現場の信頼獲得」と「改革チームの組成」は達成された。後藤派の妨害も、想定の範囲内で凌ぐことができた。

 だが、桐谷の表情は険しい。

 ここまでは、言わば「止血」と「リハビリ」だ。これからは、老朽化した臓器を入れ替え、全身の筋肉を作り変える大手術が始まる。

 その時、デスクの上のスマートフォンが震えた。

 ディスプレイには『非通知』の文字。だが、国番号はアメリカを示している。

 桐谷は小さく息を吐き、通話ボタンを押した。

「……桐谷です」

『遅いわね、出るのが』

 スピーカーから響いてきたのは、低く、冷たく、それでいて艶のある女性の声だった。

 背筋が凍るような威圧感。電話越しでも空気が変わるのがわかる。

「時差を考慮していただきたいですね。こちらは深夜ですよ」

『言い訳はいいわ。……聞いたわよ。半年もかけて、やっとスタートライン? 相変わらず慎重すぎるのよ、あなたは』

 女性は鼻で笑った。

『西芝という巨象を踊らせるには、もっと強い電流が必要よ。ずいぶんとぬるいことしているのね』

「壊されると困ります。彼らはまだ、芽が出たばかりだ」

『甘い。温室で育った芽なんて、外の世界じゃ一秒も持たないわ』

 電話の向こうで、空港のアナウンス音が聞こえた。

『今、JFKニューヨークを発ったわ。明日の午後には成田に着く』

 桐谷は苦笑した。

「……お手柔らかにお願いしますよ、白雪さん」

『断るわ。私の辞書に妥協という文字はないの。……覚悟しておきなさい、桐谷。そして美冬にも伝えておいて。「ママが帰る」ってね』

 通話が切れた。

 桐谷はスマホを置き、天井を見上げた。

 最強の助っ人にして、最大の劇薬。

 伝説のプロジェクトマネージャー、白雪真冬。

 美冬の母親であり、かつて桐谷が唯一「勝てなかった」と認める仕事人。

 彼女が帰ってくる。

 それは、西芝の改革が「制御可能な変革」から、「制御不能な嵐」へと変わることを意味していた。


 桐谷は、ノートの新しいページを開いた。

 そこに一行だけ書き加える。

 『第2フェーズ開始:劇薬カタリストの投入』


 地下室のドアが開き、美冬たちが戻ってきた。

「桐谷さん! ピザまだ残ってますよ!」

 美冬の無邪気な笑顔。

 桐谷は、今はまだ彼女に告げないでおこうと思った。明日からは、あの笑顔が凍りつくような日々が始まるのだから。

「……いただきますよ。これからの戦いに備えて、栄養を補給しておかないとね」

 桐谷は微かに笑い、彼らの輪の中へと歩き出した。


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