第1章4話 未来を変え剣
朝の空気は冷たく澄んでいた。
掘っ立て小屋の隙間から差し込む光が、床にできた藁の影を淡く照らしている。
リアンは静かに目を開け、天井を見つめたまましばらく動かなかった。
回帰から数日が経つ。
それでも未だに、この世界が現実であるという感覚は、少しずつ体に馴染んできた程度だった。
(だが、これは間違いなく現実だ。俺は……また生きている)
手を握る。今の自分は、まだ10歳の子供。
かつてのような剣もオーラも、何一つ持たない未熟な存在。
けれど、記憶はある。知識も、痛みも、後悔も――すべてが、今のリアンの血となり肉となっている。
その中でも、ひときわ鮮明に思い出す光景があった。
――焚き火の跡だけが残された小屋。
――行方知れずとなった仲間たちの名を呼び続ける声。
――悲鳴。笑い声。冷たい鎖の音。
貧民街で起きた“最初の悲劇”。
(アラクネ……奴隷商人……)
路地裏で暗躍する地下組織“アラクネ”。
その手下として子供たちを攫い、奴隷として売り捌いていた商人たち。
気づいた時には、仲間は誰一人残っていなかった。
声も届かず、姿も消え、二度と帰らなかった。
それが回帰前、リアンが初めて味わった“守れなかった現実”。
(今度は、あの時の俺とは違う)
リアンは立ち上がる。
隅に立てかけてあった木の棒――即席の剣を手に取り、外へ出る。
今日も空き地には、誰の姿もなかった。
けれど、リアンにとってはこの場所こそが“戦場”だった。
「まずは……王国式剣術・初級を、確実にマスターする」
焦る必要はない。だが、悠長に構えていられるほどの時間もない。
回帰前、剣の道を10年以上歩んできたリアンにとって、今の自分の未熟さは痛いほどわかる。
だが、だからこそ、やるべきことは明確だった。
まずは、基礎の確立。
今の体に合った形で、“剣”の土台を作り直すこと。
リアンは深く息を吸い込み、構えた。
――王国式剣術・初級、基本型一の構え。
「……はっ!」
足を開き、腰を落とし、棒を振る。
……が。
「っ……!」
たった数合で、足元がふらつき、体勢が崩れる。
バランスを崩したまま、尻もちをついて倒れ込んだ。
「……ちっ……」
唇を噛み、地面を拳で叩く。
けれど、涙は流れない。悔しさも、もどかしさも、すべて燃料に変える。
「これが、今の俺の限界だ」
認めることは、恥ではない。逃げることこそが、最大の過ちだとリアンは知っている。
汗をぬぐい、再び棒を構える。
何度でも、繰り返す。
踏み込み。斬り上げ。受け。返し。
「はっ、はっ……っ!」
息はすぐに上がる。腕が、脚が、ぷるぷると震える。
けれど、動きを止めない。
(まずは……この身体に、剣を思い出させる)
それが、“未来を変える剣”の第一歩だった。
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日が高く昇った頃、木陰で汗だくのリアンが棒を抱えたまま膝を抱えていた。
「っ……ふぅ……今日はここまで、だな」
まだ王国式剣術・初級の“流れ”すらスムーズに通せない。
だが、着実に手応えはあった。手足の反応も、最初よりはついてきている。
(まずは一週間で初級の型を通せるように。それが目標だ)
体力の向上。剣の感覚の復帰。そして次は――
「……情報、だな」
アラクネも、奴隷商も、まだ表には出てこない。
だが、必ず動く。あの“時期”が迫っているのは間違いない。
(表の顔と裏の顔を持つ連中を炙り出すには、それなりの網が必要だ)
今はただの子供であるリアンにとって、力だけで戦うのは不可能だ。
だからこそ必要なのは、仲間――そして知恵。
(マルク、ジャミル、ソウ……かつての仲間たちを少しずつ集めていこう)
リアンの脳裏には、貧民街の子供たちの顔が思い浮かぶ。
悪ガキたち。はぐれ者。食うために盗みに走る奴ら。
そんな彼らを、ひとつにまとめ上げる。それが次の段階だ。
「まずは……あいつから、だな」
リアンは静かに立ち上がる。棒を肩に担ぎながら、空を見上げた。
輝歴584年、春。
未来を変える計画は、確かに動き始めたばかりだった。