第1章2話 目覚めの時
――死んだはずだった。
腹に槍を受け、あれだけの血を流して、生きているはずがない。
だというのに、目を開けたリアンの目の前には、懐かしすぎる天井があった。
歪んだ板張りの屋根。すき間から差し込む光。空気は湿っていて、藁のにおいが鼻をついた。
その感覚はあまりに生々しく、夢でも幻でもないことをリアンに思い出させる。
「……嘘、だろ……?」
起き上がると、あまりにも小さくなった自分の手が視界に入る。
細く、力のない、子どもの手。
驚いて胸元に手をやるが、そこに槍の傷はない。
だが、脳裏にはあの戦場の光景が、焼き付いて離れなかった。
「なんで……生きてる? いや、違う……これは……」
混乱する頭を抱え、額に手を当てたその時――
ギィ……と軋む音と共に、掘っ立て小屋の壁の隙間から小さな影がのぞき込んだ。
その影は、おそるおそる覗き込みながら、声にならない声でリアンの名前を呼んだ。
「……リアン、……兄、ちゃん……?」
その声に、リアンの時が止まった。
「……リナ……?」
壁の隙間から小屋の中に駆け込んできた少女は、見間違えるはずもない妹だった。
ずっと前に生き別れた、あの頃の――まだ、幼い頃のリナだった。
彼女はリアンの胸に飛び込み、声をあげて泣きじゃくった。
「………兄ちゃん…!!!」
温もりがある。涙の感触がある。鼓動が聞こえる。
これは、夢ではない。
現実だ。
「……生きてる……戻ってきたんだ、俺は……」
言葉にした瞬間、目頭が熱くなるのを感じた。
けれど、リアンはぐっと唇を噛みしめた。今は、泣いてる場合じゃない。
リナの頭をそっと撫でながら、リアンは優しく声をかけた。
「リナ、いま……何年だ? いや、何か覚えてることはあるか?」
「……な、なにそれ……? あたし、わかんないよ……」
案の定、幼いリナが答えられるはずもなかった。
仕方なく、リアンは周囲を見回す。
その時――ふと目に入った、ブレスレット。
それは見覚えのあるものだった。母の形見のネックレスから作られた、あのブレスレット。
「これ……ああ、思い出した……!」
胸の奥に眠っていた記憶が、呼び覚まされる。
あのとき、まだ母が死んで間もない頃――
「リナっ、なにしてる! それは母さんの形見だぞ!」
目の前でネックレスを壊そうとした妹に、リアンは初めて本気で怒鳴った。
その時のリナの顔。驚いて、恐怖で、固まって――そして、大泣きした。
「やめろって言ってるだろ! ふざけてるのか、リナ!」
「……っ、う、うわああああああああん!!」
泣きじゃくる妹に、リアンも感情をぶつけるように怒鳴りつけてしまった。
でも、しばらくして……ふと、気になった。
(なぜ、リナは母さんの形見を壊そうとしたんだ……?)
怒鳴るのも疲れて、リアンは静かに声をかけた。
「なぁ、リナ……教えてくれ。なんでそんなこと、したんだ……?」
リナは泣きながら、しばらく沈黙した。
泣いて、黙って、また少し泣いて――やがて、ぽつりと口を開く。
「……だって……一緒に持ってたかったの。お兄ちゃんと……。母さんの大事なネックレス……ブレスレットにして……一緒につけたら……家族って、証になるでしょ……?」
その言葉に、リアンの胸がぎゅっと締め付けられた。
「……そう、だったのか……」
自分の早合点。怒りに任せてぶつけた感情。その裏にあった、妹の想い。
「……ごめん、リナ。俺が悪かった。お前の気持ちを、ちゃんと聞かなかった」
リアンはリナの肩を抱き寄せ、優しく囁いた。
「もう絶対に離さない。いつまでも一緒だ。家族なんだから」
「……う、うえぇええええん!」
その一言が、リナの最後のダムを壊した。
それまで堪えていた涙が一気に溢れ、同時に――何か、空気が震えた。
「っ……!? こ、これは……魔力か……?」
リナの体から、ほんのりと温かい光が広がっていく。
リアンの額に汗がにじむ。まるで何かに押しつぶされるような、圧迫感。
「リ、ナ……お前……まさか……!」
次の瞬間、リアンの視界が歪んでいった。
(やばい、これ……魔力の影響だ……)
そのまま意識が遠のく――
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再び目を覚ました時、リアンは静かに天井を見上げていた。
あの光景、あの感覚。間違いない。
「……あれは、本当にあった出来事だった」
死んだはずの自分が、戻ってきた。
しかも、二十年前に――。
「……この命、無駄にはしない」
涙を拭い、隣で眠る妹の頭をそっと撫でる。
「リナも、仲間も、そして師匠も……俺が、必ず守ってみせる。今度こそ、本当の騎士になるんだ」
リアンの青い瞳に、静かに決意の光が灯った。