第1章1話 敗北と回帰
「……くそったれが……!」
腹に食い込んだ槍の柄を握りしめながら、リアンは膝をついた。
熱い。傷口から溢れる血が、じわりと冷たい地面を温めるのを感じる。
眼前には、黒鉄の鎧を纏った敵将が馬上で嘲笑っていた。
「よく吠える犬ほど、あっけなく死ぬものだな」
彼は軽く手を挙げると、部下たちに命じるように振る舞った。
「約束が違う……!」
リアンは歯を食いしばった。
一騎討ちを願い出たのは自分だ。
それを受けた敵将は、堂々と馬を進め、向かい合った――かに見えた。
だが、次の瞬間、彼が軽く手を振ると同時に、側近の兵士が投げ槍を放ったのだ。
それが、今のリアンの姿を作り上げた。
「戦士としての誇りはないのか……!」
搾り出すような声で叫ぶ。
敵将は嘲るように笑った。
「誇りだと? そんなもの、戦場では何の価値もない」
「……なら、お前はせめて、最後に名を名乗れ……!」
敵将はしばし沈黙し、それから意外なことを口にした。
「……そうか。貴様、ヨルゴの弟子だったな」
リアンの目が大きく見開かれた。
「師匠を知っているのか……!」
ヨルゴ――かつての師。
彼はリアンを庇い、戦場で命を落とした英雄だった。
敵将はゆっくりと頷く。
「知っているとも。むしろ、貴様よりもよく知っている。何せ、あの男を殺したのは……俺ではないのだからな」
「何……?」
リアンは思わず息を呑んだ。
敵将は馬上で少し前傾し、楽しそうに言葉を続けた。
「あの男は、帝国軍の策略に嵌まったのではない。味方の裏切りによって死んだのだ」
「……嘘だ……」
「ははっ、信じたくないか? だが、事実だ。お前が見捨てられそうになったあの時、ヨルゴは躊躇なくお前を庇った。だが、彼を背後から刺したのは、貴様らの同胞……貴族騎士の一人だったのさ」
リアンの頭の中が真っ白になった。
師匠が……味方に殺された?
そんなことが……あってたまるか。
「俺は……俺は……!」
拳を握りしめる。だが、力が入らない。
視界がぼやけていく。呼吸も乱れ、血の匂いが鼻を突く。
――そうか、俺は……ここで死ぬんだな。
悔しい。無念だ。
自分の未熟さが、ヨルゴの死の真実すら知らずにいた愚かさが、痛いほど胸を締めつける。
それでも――
「せめて……貴様の名を……教えろ……」
敵将は肩をすくめると、あっさりと名乗った。
「ヴォルク・バルハイト。貴様の師を討ち取った、裏切りの策の駒にされた男だ」
「ヴォルク……!」
怒りと絶望を抱えたまま、リアンの意識はそこで途切れた。
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目を覚ますと、そこは――
「……なんだ、ここは……?」
荒れ果てた掘っ立て小屋。木材の隙間から光が差し込む。
寝転がっていた藁の上から起き上がり、あたりを見回す。
見覚えのある光景だった。
「まさか……」
リアンは小屋を飛び出す。
そこには、薄汚れた子供たちが遊ぶ貧民街の景色が広がっていた。
心臓が激しく鼓動を打つ。
信じられない――いや、信じたくなかった。
リアンは近くの水たまりに映る自分の姿を覗き込む。
そこにいたのは、かつての自分。
少年の姿だった。