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一人の始まり

 とある街…夜とは思えない程住人、商人、冒険者、様々な人々の喧騒が街中に響く中、光が届かぬ薄暗い路地裏で黒い塊が身じろぐ。


「………………………」


 その塊は微かに聞こえる呼吸音で生きているのが分かるが、ボロボロの布を身に纏い横になる姿は今にも消えてしまいそうな雰囲気だ。


「………っ!?…ぐっあ…っ!」


 突如繰り返し聞こえていた寝息が止まり、呻き声をあげながら体を震わせた途端痛みに悶えるよう頭を抱えのたうち回り始めた。


「ぅゔあああ!アァァア゙アァァっ…………………」


 徐々に呻き声が小さくなり苦しい呼吸音だけが静かな路地裏に響く。少し経つと呼吸音が静まり、次には何事も無かった様子で体を起き上がらせ壁に寄りかかり大きく息を吐き出した。


「……死んだのか…俺は」


 先程の弱々しい姿が鳴りを潜め、落ち着いているのが見受けられる様は別人のようだ。見た者がいればこの変化に不気味さを感じるだろうが生憎と誰もいない。


「階段を踏み外して死ぬとかどんな終わり方だ」


 困惑の声を吐き出しながら身に纏うボロ布を捲り、骨張った右腕を見つめ感触を確かめるように左手でなぞっていく。


「俺の身体か…」


 指先から伝わる冷たい体温と微かな温かさ、指に引っかかる細かい傷痕、自分が此処で生きた証が身体に刻みついているのが分かる。


(何年暮らしたのか分からないな…気づいた時には路地裏での生活。思い出す前は苦しかった記憶しかねえな……)


 少しの沈黙の後、拳を握り締める音を鳴らしながらゆっくりと夜空を見上げた。


「どういう訳か分からないが」


 被っていたボロ布が外れ、素顔があらわになる。

無造作に背中まで伸びる黒髪、感情が読み取れない鋭く暗い青色の目、一文字に固定された口…無表情な女の顔がそこにはあった。


「今はただ死なないよう生きないとな……」


 夜空を眺めるのを止めると下を向き、大きな溜め息を吐き出した。表情は眉間に寄った皺が特徴的だ。


「……まずは、食い物か」


(このままだと飢えでまともに動けなくなる。動けるうちに手に入れたいが…)


 記憶が戻る前は露店から盗みをしながら生活をしていた。未だ露店の連中は気付いていないが盗んだ事が分かれば見つけ次第何かしらの対応はしてくるだろう。


(露店の連中も商品が無くなった時に俺が居た事を気付き始めるだろう。記憶通りなら半年ぐらいは世話になったかもな、申し訳ない)


「けど……餓死は怖いからな…」


 食料が欲しいが食い物がある表通りの店はバレる可能性があるため行けない。だがこの周囲に容易く盗れる店も無く他に頼れる場所もない。食料を得るための策が思いつかずその場に沈黙が広がり十数秒。


(………街を出るか)


(此処に居ても邪険に扱われるだけで出来る事が少ない。まだ外の方が自由に行動できる)


「確か外に繋がる穴が向こうにあったはず」


 外れたボロ布を被り直し目的の場所に覚束ない足取りで路地裏を進んで行く。





◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 暗く悪臭漂う道中、暫く歩くと自分と同じような格好をした者達が生気のない表情で座り込んでいるのが目に映り始めた。


(見慣れた光景だな。下ばかり見て動きやしない…腹は減り体は痩せ街の奴らには爪弾きにされて身も心も擦り減り生きることを諦める。精神が限界を越えれば悪事に手を染めたりと、治安は良くない)


 ふと何処からか視線を感じて周囲に目を向けると、隠れながらこちらの様子を伺う奴を何人も見かけた。奴らは自分に視線を向け、他の仲間に手を振るう合図を出すと徐々に距離を詰めてくる。


「…ついてない」


(人数が居るとはいえ、よくこの体格差で襲い掛かる。…見境なく襲いやがって)


 骨太で体格も良く、痩せ細いとはいえ此処に居る者達よりも頭一つ抜けて大きい。それに対して追い剥ぎ達は全体的に細く、肉の付いていない腕は細い骨が浮かび上がり今にも折れてしまいそうだ。


(避けられないか…何も持っていないというのに)


 距離が残り3mの時、追い剥ぎ達の一人が両手で彼女の背中目掛け短剣を突き出して走り出した。


(!?…やるしかない)


 彼女は男が走り出した直前に素早く向きを変え追い剥ぎ目掛け走り出す。そんな彼女の行動に驚いたのか追い剥ぎの勢いが落ちその場に仰け反るように止まる。彼女は硬直した追い剥ぎの手首を片手で掴み、下に強く押し込み…空いた手で片目を押し潰す。


「ぐっあァァァッ!?いでぇ!!いでぇ!!」


 痛みに悶えてる間に短剣を奪い取り、錯乱している男の喉を躊躇なく深く切り裂く。喉から血が噴き出して追い剥ぎの動きが鈍くなり、のそりと仲間の方に逃げようとするが力なくその場に崩れ落ちていく。


(殺しに抵抗が無いな……)


 視線を他の追い剥ぎ達に向け警戒していると、下から空気が抜けるような音が聞こえる。下を覗くと男の喉から血が溢れて呼吸がままならない音と言葉が聞こえてきて、まだ生きているのが分かる。


「ガポッ…ボコッ…たァ゙…ㇲゔゲぇ」


 仲間の血濡れの姿を見て他の追い剥ぎ達は怯えた声を出しながら逃げて行った。

 彼女は追い剥ぎ達が去ったのを見届け、下に転がり痙攣する男に向け、力のない声で言葉を吐き出す。


「……………………許してくれ」


 言葉が終わると共に男は動かぬ骸になった。男の横にしゃがみ目元に手を伸ばして彼女は開いたままの目を優しく閉じていく。


「お互い生きるためだ……恨むなよ」


 静かに立ち上がり彼女は指についた血を布で拭き取り服の一部を破り短剣に巻き付け目的地へと歩を進める。


(今日に限って遭遇するとはな、幸先が悪いが武器を手に入れた。これなら外で狩りが出来る…肉が食えるのは嬉しいことだ)


 そんなことを考えながら歩いていると街を囲う壁と目的の場所が見えてきた。

 壁際を隠すようにあばら家が複数重なり、普通なら誰も見向きもせず近寄りもしない場所。


(記憶通りなら裏に通れる穴があったはず)


 家の隙間を通り抜け壊れた屋根を飛び越えると、そこには記憶通りに人ひとり通れる穴が空いていた。


(ここを見つけたのも隠れて飯を食べるためだったな…ついでに穴を見つけたのは運が良かった)


 余韻に浸るのをやめ、うつ伏せになり穴を覗くと穴の出口から白い光が見える。

 通り抜けられるのを確認して穴に入り始めたが、細い体には合わない二つの大きい双丘が邪魔をしてなかなか前に進めない。


「ぐぅ゙っ!?女になった弊害がっこんな所にあるとはなっ、いっっ!!流石にっ窮屈だっ」


 身を捩り痛みに耐えながらも無理矢理に進み、ようやく月明かりの光が目の前に迫り目を閉じて頭を出す。


 圧迫感が消え、冷たい風が優しく髪を揺らし、鼻腔が土と草の匂いで満たされる。

 徐々に閉じていた目を開けていくと草原が辺り一面広がっていた。

 雲ひとつ無い夜空、白い月が草原を照らす光景は…とても幻想的な雰囲気で包まれていた。


 始めて見た外の景色に目を輝かせ、口を半開きにしている姿はまるでーー少年のようだ。


「異世界か……凄いとこに生まれたもんだよ」


 再度身を捩り穴から抜け出し、間延びた声を発しながら体を伸ばす。


「…こっからが大変だ。気を引き締めないと」


 草原を見渡すと、北の離れた場所に森が見えた。

かなり広大な森のようで北の光景は緑に埋め尽くされ視界に収まらないぐらいだ。


(少し遠いが…あそこにしよう)


 彼女は北の森を目指し歩き始めた。一歩踏み出す度に草の冷たさが素足の裏に広がり、足上まで寒さが響く。


(遮蔽物が無いと直に風が来る。ここまで寒いと森に着くまで休憩は無理か…)


周囲に整備された道は無く、遮蔽物も少ない。

生き物の姿も見えず静かな虫の声と自分の足音だけが聞こえる。


(…静かだが…居心地が良い)


 虫のさざめきと緩やかな風、静かな空間の中…突如彼女は走り出した。

静かな空間に草を踏み潰す音が小刻みに響きながら、徐々に息を吐き出す音が大きくなる。


「はっ…はっ…はっ…ハッ…っ!」


 走り回り息苦しく聞こえていた呼吸音が、躓いたと同時に途切れて飛び込むよう草の絨毯に倒れ伏す。身体を回転させ仰向けに体勢直すと息を整えていく。


「………危険な場所で何やってんだか」


 額には汗が浮かび上がり呼吸も未だ乱れた状態だというのに彼女の表情は少し、晴れやかな表情にも見えた。


「…………………」


 体を起こし立ち上がるとその場で伸びを始め軽く息を吐き出した。

乱れていた呼吸も落ち着き、顔もいつもの無表情に戻り静かに言葉が洩れる。


「…行くか」


彼女は森を目指し歩き始めた。

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