9 熱
ぼくは四階のアパートのリビングから、パパが、駐車場に止めてある車に、乗り込むの
を見ていた。
空はどんよりとした灰色で、雪がちらほら降っている。
パパの車がいってしまうと、ぼくは毛布を体に巻き付け、リビングのソファーに座った。
今日、ぼくは学校を休んだ。
朝、起きたら熱っぽくて、寒気がした。デジタル体温計の数字を見たパパが、今日は学
校を休んだ方がいいと言ったのだ。
ぼくは心の中で、やった~、と叫んだけれど、顔には出さないようにした。
今日は、だれに遠慮もなく、すきなだけ寝ていいのだ。ぼくは布団の中にもぐり込むと、
ニッコリ笑った。
起きたのは昼過ぎだった。体温計で熱を測ると、熱は下がっていた。
パパが寝ているかもしれないので、そおっと、キッチンへいく。パパがテーブルで新聞
を読んでいた。
「おっ、ブルア、どうだ、体調は」
パパが新聞をたたんで言った。
「うん、もういいよ。熱も下がってた」
「そうか、よかった。サンドイッチがあるぞ。スモークサーモンのサンドイッチだ。食べ
られるだろ」
パパが、冷蔵庫をあごで示して言った。
ぼくが熱を出して、食欲のない時、いつもパパが作ってくれる、ぼくの大好物だ。食欲
がなくてもこれだけは食べられる。
「もちろん、食べる」
お腹のすいているぼくは、元気に答えた。
「もう、大丈夫だな」
パパが笑った。
「じゃあ、これからパパは少し休むよ。その後会社にいっても大丈夫だね。お前は、サン
ドイッチを食べたら、また、ゆっくり寝るといい」
普通ならパパは、夜勤にそなえて昼寝する時間なのに、ぼくのために起きていてくれ
た。ごめんね、パパと心の中で思う。
サンドイッチを食べた後、ぼくは自分の部屋から、ずっと出なかった。寝ているパパを
起こしたり、気をつかわせたりしないように、おとなしくしていた。
パパが仕事にでたのが、分かってやっと、リビングにやってきたのだ。
さて、どうしょうか。ソファーに座って、ぼくは考えた。
毛布にくるまっていても、寒かった。ぼくはオイルヒーターのスイッチを入れた。
墓地に行くのはどうしょうと思う。熱も下がったし行けないこともない。でも、外は寒
いしなあ、家から出たくない。学校を休んだのに、だれか友達に会っても、まずいし。ま
た熱が出てもいけないし。
こんな時はやっぱり、行かなくてもいいだろう。
リエドが、待っているかもしれないけれど、明日いけばいいのだ。
ぼくはそう決めると、なんだかほっとした。
次の日、ぼくは学校へ行った。
本当は、今日も学校を休んで、家でのんびりしていたかった。
もう風邪は完全に治っていたけれど、頭やのどが痛いとパパに言えば、パパは学校を休
ませてくれたと思う。
けれど、また、パパに心配かけたくなかったから、学校へいった。
学校の帰り道、荷物を置いて、お菓子をちょっとつまんだら、すぐに墓地に行こうと考
えていた。今日はぜったいにいくつもりだったのだ。
でも、家に帰って、ソファーでポテトチップスを食べはじめたら、出ていくのが面倒に
なった。
リエドが待っているから早くいかないと、とは思うけど、温かい明るい部屋から、寒く
て暗い外へ、出るのはやっぱり嫌だと思う。
ぼくは、おもしろくないニュース番組なんかを見ながら、雑誌を開いたり閉じたりし
ていた。そして、気がつけば六時だ。
窓の外はもう真っ暗になっている。今から、墓地に行こうという気にはなれない。
しょうがない、こんな日もあるんだ。ああ、でも・・・。
今夜も会いに行かないなんて。明日は土曜日で、会えないことはわかっていたのに。
ぼくは、ちょっと後悔した。
でも、まあいいや。月曜日は、必ず墓地に行けばいいのだから。
ぼくは、テレビのチャンネルを変えて、ソファーに寝転んだ。
玄関のチャイムの音で目が覚めた。いつの間にか、うとうとしていたみたいだった。
パパが用意してくれた、夕飯のソーセージとキャベツのスープを、温めて食べた後、眠
くなって寝てしまったのだ。
パパが帰ってきたのだろうか。でも、パパは鍵を持っているから、チャイムなんか鳴ら
すはずないし。
ぼくは玄関ののぞき穴から、外をのぞいた。アパートの街灯を背に女の子が立っている。
リエドだ。ぼくがのぞいている穴を見上げてほほえんでいる。
ぼくは慌ててドアを開けた。
「ごめんね、今日行かなくて。行こうと思ったんだけど・・・」
ぼくは、言い訳をしようとした。
「いいのよ。べつに」
リエドは笑って言った。怒ってはいないようだった。
「入っていい?」
リエドが部屋の中を指さして言った。
「いいよ」
ぼくはドアを広く開けて、体をずらした。けれど、リエドは部屋に入らないで、
「ちゃんと言って。どうぞ、お入りくださいって」
と、ちょっと怒ったように言った。
「えっ、ああ、どうぞ、お入りください」
ぼくは焦って早口で言った。
リエドはうなずいて、ゆっくりと部屋の中へ入ってきた。
そうかバンパイアは、その家の人から招かれないと、その家には入れないんだ。本か何かで読んだことがある。あれは本当だったんだ。
リエドは短い廊下を進んだ。
途中、パパが身だしなみを整えるために、壁にかけてある鏡がある。ぼくはリエドと並んで歩き、その鏡を見た。鏡にはぼくの姿しか映っていなかった。
やっぱり。バンパイアは鏡に映らないというのも本当だ。
リエドはリビングのソファーの前で立ち止まった。
どうぞ、お座りくださいと言わなければ、座れないのだろうか。
ぼくは、手の平を上に向けて
「どうぞ」
といってみた。
「ありがとう」
リエドは上品にソファーに座った。お座りくださいと言わなくてもいいんだ。
でも、アルフなんかは、何も言わなくても、ドカッとソファーに座るのに、リエドは場所柄をわきまえているんだな。ぼくは感心した。
「寒かっただろう。ココアのむ?」
どんな食べ物でも食べられないと、リエドは言っていたけれど一応はきいてみる。
「ううん」
予想通り、リエドは首を横にふる。
「ごめんね。お墓に行かなくて」
ぼくはリエドの隣に座って言った。
「いいの。謝らなくても、ブルアは悪くないわ。外は寒いし、それに、夜のお墓なんて普通の人が来るところじゃないわ。居るのは、お化けか、あたしくらいのものよ。フフフ」
リエドは笑った。
「これからもっと寒くなるんでしょ。だから、無理してこなくていいわ。それを言いにきたの」
ぼくはリエドの言葉にどきっとした。リエドがママと同じことを言ったからだ。
去年の冬休みに何度か僕一人で、ママが入院している病院に行った。初めて一人でお見舞いに行った時、ぼくに会えてすごくうれしいとママは言った。
でも、バスを乗り間違えなかったかとか、道に迷わなかったかとか、とても、心配した。パパと何度もきているから、平気だよって言ったら、ママは少し安心したようだったけど。
それでも、ママの心配は終わらなかった。ちゃんとごはんを食べているかとか、夜、パパがいなくて寂しくないかとか、他にもいっぱい。
自分が病気でつらいのに、ぼくの心配ばかり。
そして、これから、雪もたくさん降るし、もっともっと寒くなるから、無理してこなくていいと言ったのだ。
その後も、何度か一人で行ったけど、いつも同じことを、ママは言った。
パパにそのことを言うと、ママはお前のことが大好きなんだよ。だから、会いたくてもそう言うんだよ。とパパは言った。
ぼくもそれはわかっていたから、そうなんだろうなって思った。
リエドもママと同じことを思って、言ったのだろうか。
「どうしたの?」
黙り込んだぼくにリエドがきいた。
「ううん、なんでもない」
ぼくは頭を振った。