3 女の子
今日は、雨が降ったり止んだりの日だ。
学校の課外授業は、どしゃぶりの雨のため、中止になった。ぼくは課外授業なんて、なくていいと思っていたから、よかったって思っているけれど。
ぼくは、今、家から歩いて十分の共同墓地にきた。雨は今は止んでいるけれど、どんよりした空からは、今にも雨が降りそうだ。
雨水を吸い込んだ、芝生の上を歩く。ふみしめるたびに、靴に水がしみ込んでくる。
雨に濡れた並んだ墓石を見て、ママは寒くないかな、そんなことを考えた。
お尻にしくビニール袋を、持ってきているけれど、こんなに水が溜まっていては、役に立ちそうもない。
ぼくは、立ったまま、ママのお墓を見つめた。エレン・クロムヘイム。ママの名前の文字を何度も読み返す。珍しい名前じゃないけれど、いい名前だと思う。
雨がぽつぽつ降ってきた。
ママの葬儀の日はいいお天気だった。日射しが強くて、暑いぐらいだった。
ママは柩の中で、花に囲まれて、微笑んで横たわっていた。病院のベッドで寝ていた時よりもずっと、幸せそうな顔で。
みつあみに結った髪を、片方の肩にたらして、青白い顔をした痩せたママ。ベッドに座って窓の外を眺めていた。
ぼくは、ママの元気だった時の姿を、思い出そうとした。
目に浮かんでくるのは、海の波打ち際に三人でいる光景。ぼくは三、四歳で、パパもママも少し若かった。
ママはたっぷりある、くり色の巻き毛を、風になびかせて笑っている。短いズボンから出た日焼けした足。ぼくを抱っこしている腕も日に焼けていて、いかにも健康そうだ。
ママの横で、パパが両手を上げておどけている。三人とも最高の笑顔だ。
こんな時もあったんだなあと、これを見ると、いつも感心する。
そう、これは、パパのライティングデスクに飾られている、写真の光景なのだ。
ぼくは、家で退屈な時、パパの書斎にいく。引き出しの中以外は、好きに触ってもいいとパパが言ってくれた。
いろんな本があるし、おもしろい文具などがあって楽しい。
パパの椅子に座ると、いちばん目につくのが、この写真だ。ママの写真は他にも飾られているけれど、 ぼくはこの写真が一番好き。
ぼくは、この写真をとった時のことは、覚えていないけれど、この時ぐらいが、ぼくの知っているママの中で、一番元気な時だったと思う。だから、この写真が頭に浮かんでくるのだ。
もちろん、他にもママとの思いではある。
ママがワッフルを焼いてくれた時のこととか、一緒にテレビを見た時のこととか、スーパーにいったこととか、確かにママと過ごした時間はあった。
でも、ママはどんな顔をして、どんな声で、どんな風に元気よく笑ったのか、イメージとして思い出すだけで、ぼんやりとしか思い出せない。
ぼくの記憶にあるママは、いつも、ベッドの上で弱弱しくほほえむ姿ばかりだ。
気がつくと、さっきより雨が強くなっていて、あたりも暗くなっている。
ぼくは、かさを広げて、もう少しいようか、もう帰ろうか、考える。
靴の中に入ってきた水が冷たいし、雷もなりだして、お腹もすいている。帰ることを選ぶしかないようだ。
ぼくは、ママの墓石から目をそらし、顔をあげた。そして、うわっと、叫んだ。
ぼくのすぐ横に人が立っていたのだ。いつの間に。足音も聞こえなかった。
女の子だった。
ぼくと同じくらいの背丈で、茶色い髪が肩の所でカールしている。ひざ丈の黒いワンピースを着て、黒いショートブーツを履いている。
女の子はぼくの顔を見て、フフフフッと笑った。
「ああ、びっくりした」
ぼくは胸に手を当ててため息まじりに言った。辺りを見回したけれど、女の子以外だれもいない。
雨の中かさもささないで、暗いお墓に一人でいるなんて、まともな女の子じゃない。女の子はいつでも、怖がりで、一人でいるのがきらいだから。
「おもしろ~い」
女の子は口に手を当てて言った。
女の子の髪が風で揺れる。ぼくを見つめる赤い目が、キラキラと輝いた。
ロウソクの様な真っ白い肌に、赤いくちびる。ふっくらとしたほほ。すごい美人だ。
ぼくの顔が熱くなって、赤くなるのがわかる。
ぼくは何か言おうとしたけれど、言葉が出て来なかった。
ぼくは、すごく恥ずかしかった。
近くの木で、カラスがカアッと鳴いた。ぼくは、カラスを見上げるふりをして、そのまま歩き出した。
走るみたいに、はや足で歩いた。
道にでる時、振り返って女の子の方を見た。女の子はさっきいたところに、立ってこっちを見ていた。
日曜日は大体、パパとスーパーへ買い物にいく。
友達のアルフと、公園に遊びにいくこともあるけれど、ほとんど家にいて、ひまだし、好きなお菓子も、買ってもらえるからついていく。
ぼくはグミが並んだ棚の前で、せっせとグミを袋につめる。もちろんパパの好きなグミも。
パパの好きなグミはリコリス。ぼくもリコリスは嫌いじゃないけれど、リンゴやメロンとかのフルーツのグミの方が好き。
グミをつめ終えて、パパに追いつく。パパはメモを見ながら、カートに品物をいれていく。
パン、ジャム、チーズ、牛乳、トマトピューレ、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ。グレープフルーツ、ウインナー、ハム、鶏肉、ミンチ、エビ。シャンプー、洗剤、トイレットロール、などなど。
すぐに、カートはいっぱいになった。
「パパ、今日の夕飯は何?」
帰りの車の中で、チョコレートをほおばりながら、ぼくはきく。
「ミートボール!」
パパが答える。
「やった~」
ぼくの一番の好物だ。パパはにっこり笑う。パパはぼくを喜ばすのが好きなのだ。
「エビのスープも作ろうと思っている」
「わ~お、ジャガイモは?」
「もちろん」
「今日は、すごいごちそうだね」
ぼくは、これ以上、お腹がいっぱいにならないように、残りのチョコレートを紙につつんだ。