他の幸せ
三題噺もどき―よんひゃくじゅうきゅう。
ジメジメとした空気が部屋を包んでいる。
外は雨が降るでもなく、晴れ渡るでもなく。
暗く重い灰色の塊が立ち込めている。
「……」
それでも、湿度がやけに高いのか、空気はじとりとしていて、不快で仕方ない。
快適空間であるはずのこの部屋が、空気ひとつでこんなに変わる。
……今度余裕があるときにでも、除湿器を買いに行った方がいいかもしれない。
今でなくとも、梅雨時期になれば活躍するだろう。
「……」
今はちょっとした買い物帰り。
予報では本格的に雨が降りそうだったので、その前にと思いそそくさと買い物にでていたのだ。ちょっとした食料の買い出しだけなのですぐに終わるし、大した量ではないのだが、この空気では、やけに体が重く感じて仕方ない。
本当は、帰ってきたらご飯を食べようと思って。
炊飯器をセットしてからわざわざ家を出たのに。
「……」
空気は重いし、体は重いし、変に疲れているし、で。
帰ってきたはいいものの、買い物袋を床に置き、ソファに座り込んでしまった。
体を預けたまま、視線は机の上にある。
そこには、一枚のはがきが置かれている。
「……」
珍しくポストに何かが入っていると思ったら、これだった。
そういえばそんなことを言っていたなぁ程度の認識しか今は浮かばない。
何かのせいで気力が落ちかかっている。
「……」
はがきには二人の男女が並んでいる。
グレーのタキシードに身を包んだ男性と、白のウェディングドレスに身を包んだ女性。
左手の手の甲を見せるように顔の横に並べ、華やかに笑っている。
両者の薬指には、きらりと光る鎖が嵌められている。
「……」
年明け早々私が倒れる数週間前に見せてくれた結婚指輪だろう。
小さめの石が埋め込まれている、シンプルなもの。指輪の内側にはイニシャルが掘ってあるらしいが、見てはいない。興味がないからな。
何ともまぁ、嬉しそうに話していた。
「……」
会社の同僚である彼女は、数日前に結婚式を挙げたのだった。
式へのお誘いの声もかかっていたが、倒れたので辞退した。
―そうでなくともあまり乗り気ではないが、こういうのは断る方が面倒なので行かざるを得ないのが嫌なところだ。まぁ、その点は怪我の功名というとこだろう。少し違うかもしれないが。
「……」
その時に撮った写真なのか、よく見れば周りに人が大勢いた。
中心の二人に視線が行き過ぎて、全然気にならなかったが。よく見れば上司や同僚や後輩が並んでいる。
お酒が入っているのか、朗らかな空気が伝わってくるようだ。
結婚式はどうやら盛大に終えられたようで何よりという感じだな。
「……」
こういうのを見て、何かしらの焦燥とかを感じる質ではないが。
結婚指輪を見せてきた彼女とは別の同僚に、彼氏がどうの出会いがどうのという会話をしたこともあった。その会話をした彼女も、嬉しそうに彼氏の写真とかを見せたりもしていた。
他人の色恋沙汰などどうでもいいと心底思うのだが。
「……」
他人の幸せなぞ、他人のものであって、自分のものではない。
私の幸せだって、私のものであって、他人のものではない。
そんなものを見せつけてあって、教えあって、何が楽しいのか全く分からない。
「……」
今回のこのはがきだってよく分からない。
なんで、諸々が重なって倒れた同僚に、未だ復帰ができてない同僚に、こんな写真を送ろうと思えたんだろうな。
幸せのおすそ分けなんて書いてあるが……そんなものはいらないし余計なお世話でしかない。他人の幸せを分けられても、それは私にとっては幸せでも何でもないってのに。
そんなものを渡されては、こちらは困惑する一方だ。
迷惑としか思えない。
「……」
幸せなんてものは。
自分の中に落とし込んでおけばいいんじゃないのか。
他人に振り分ける必要なんてない。
「……」
わたしは。
「……」
いらない。
「……」
そんなもの。
「……」
私にとっての価値はない。
「……」
しあわせなんて。
「……」
私に享受する価値はない。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
ぁーだめだ。
体が重い。
頭が重い。
落ちる。
いなくなりたい。
お題:結婚指輪・焦燥・炊飯器