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log7:「桜前線異常事態」

 その夜、討伐軍の将として遣わされたのは三名。

 魔王軍の最古参にして魔族の魔法の基礎を作った「射手」イシュトアン

 魔王軍の最強戦力にして正面からの戦闘最強である「獅子」ケヒト

 そして保守派にしてタカ派の急先鋒、戦力としては中堅である「金牛」ナァーザ

 露払いとして精鋭二〇名。

 いずれにせよ、誰も彼も名の知れたひとかどの武人たちだ。


 主将であるイシュトアンを先頭に彼らは夜を飛ぶ。

 ウエイストランドに近づくと、真っ先にイシュトアンが異変に気づいた。

 銀髪に褐色、赤い入れ墨のある幼女といった姿だが、その魔力、その威厳は恐ろしいほどの存在感がある。

 山羊のような角はまるで原初の悪魔を彷彿とさせる。


「待て、なんぞ前にあるな」

「そうか。いったん止ろう」


 答えたのは「最強」であるケヒトだ。

 背の高く金髪のイケメン。見るからに強そうな優男である。

 彼の角もまた立派な山羊型だ。力強さすら感じる。


「は、雑兵を止らせましょう。停止だ、お前たち」


 敬語を使わざるを得ないのはこの中だと一枚格落ちであるナァーザだ。

 もっとも、彼は極めて魔族として保守的な男であるために、格上に敬意を示すことはむしろ心地よいのだが。

 彼もまた赤髪のイケメンだ。バッファローのような角が生えているが。

 魔族とは、人に油断させるために美形揃いなのだ。


「ふむ……飛行禁止、か……風船、というたかの。いつだったか人間共が作っていたな。それの大きな物か」


 目の前には「飛行禁止、この先罠あり。死んでもしらねえぞ♡」ののぼりが下げられたアドバルーンが大量に並べられていた。

 丁度フェンスの支柱のように国境沿いを囲んでいる。


「罠か。壊すか?」


 退屈そうにケヒトが問うた。


「やめておけ。まず切断糸の網が風船同士につなげられておる。その上、見えにくいが中にはかなり強い魔物の気配があるようだのう。ああこれは……浮きクラゲの大型種に、飛び太刀魚の群れか。入ればクラゲの触手と音速で飛ぶ剣の如き飛ぶ魚の相手をせねばならん。一月、二月でよう考えたものよ」


 イシュトアンの見立ては正しい。

 まず無警戒に飛べば切断糸でバラバラになり、それをかいくぐっても空を浮かぶクラゲの毒触手が迫り、その上ダツのように人体を容易に貫通する魚が空を飛んでいる。群れでだ。

 すべてクレーシャがこの五〇年で卵を集めてこの時のために用意していたものだ。


「それでも、ケヒト殿の魔法であれば破壊は容易のはずです。イシュトアン様の魔法でも」

「なに、それ以上に下を見よ」


 空から下を見れば桜の森があった。

 満開の花が薄く燐光を放っている。


「あれは黄泉桜だのう。これほどの群生地は初めて見るが……あれも植えたのであろう」

「あれはどのような効果があるのですか」

「あれそのものには害はない。ただ、我らのように巨大な魔力を持つモノが通ればそこの花が散る。アレも魔物よ。故に花は魔力に弱い。遠目からでも居場所がわかるであろうな」


 ムジカたちも遊びほうけていたわけではない。国防のために陰湿で危険きわまりない罠を国境地帯に張り巡らせていたのだ。


「どちらにせよ罠ですか」

「さよう。されど、おそらくは下から入れということであろう。待ち伏せか、それとも遠間からの狙撃か……いずれにせよ食い破るのであれば正面から叩きつぶした方が面白かろう」


 イシュトアンはムジカのようなギザ歯をむき出して好戦的に笑った。


「面白い、か……もう数百年はそんな戦いをしていないな。やはり戦いはつまらん」


 ケヒトはつまらなそうにつぶやいた。この「最強」は強者によくある「強すぎて戦いがつまらない」という状態に陥って長い。

 ゆえに今回の進軍にしてもどうせ作業だと心底つまらなそうにしていた。

 ナァーザとしては強者に敬意はもちろんあるが、その不真面目な姿勢には反感を抱いている。


「それはわかりませんケヒト殿。この罠を見ればそれなりの魔法戦士がいるのはわかること。今回であれば貴男を楽しませる敵がいるでしょう」

「だといいがな」

「決まりだな。下からゆこう」


 そういうことになった。


 ◆


 見渡す限りの爛漫の桜。

 はらはらと散る花びらは魔力に還り積もることなく宙に消えていく。

 花びらがぼんやりと発光することもあって夜にとても映える。

 幽玄の美。

 そう言い表すのがふさわしいだろう。


「ほう……悪くない」


 そこに進軍する喪服じみた美男美女の一団。

 討伐軍だ。

 その桜の美しさを解したのはただ一人、最古の魔族であるイシュトアンだけであった。


「人間であればこのようなとき、酒の一つでも飲みたいと言うのであろうな」

「ほう、人間はそうなるのか。それはどのような感情なんだ?」


 イシュトアンのつぶやきにいち早く反応したのはケヒトだった。

 彼は人間マニアなのだ。

 魔族は知的好奇心が強く、興味を抱いた者に強く執着する。

 要はオタク種族なのだ。


「『美しい』そのような心持ちだが、それだけではない。酔い痴れたい気持ちとは酔い痴れたい気持ちよ。当の人間ですら言語化できぬ。なにしろ、その気持ちとは言語化したくないものなのだそうだ。『無粋』というものよ」

「興味深いな……やはり人間は面白い。わけのわからない精神構造をしている。知れば知るほどわからない。知りたいと思う」

「あまり獲物に入れ込みすぎるのは危険かと。魔王様より疑いをもたれます」


 ナァーザは不快そうにいさめた。


「とはいえ、人間は俺の『テーマ』だ。魔族が研究を優先するのは当たり前のことだ」

「そうですが」


 そんな雑談をしながら進む。

 集団行動をできない彼らの進軍とはそんなものだ。後ろの部下達も好き勝手につまらなそうに雑談をしていた。


「さて、そろそろおいでなすったころであろうよ」


 そう、イシュトアンが言うと同じ頃に、全員の鼻にかぐわしい香の甘い香りが。

 耳にかすかに響くのは琴の音に歌声。


「あちらか。この香り……妙に心を浮き立たせる」

「ああ、それが人が酒の一つでも飲みたいと思う気持ちであろうよ。そのように調整された香よ。これはな」

「毒か……解毒魔法の使い手は?」

「よい、どうやらあちらは交渉を望んでいるのであろうよ。どれ、どんな趣向か見てからでも遅くあるまい」

「しかし」


 ナァーザがまたいさめる。極めて合理的な判断だが、魔族とは強者であるが故に常に油断している種族である。

 彼もまた魔族にあるまじき真面目な魔族なのだ。


「のう?」


 ナァーザの言葉の途中でイシュトアンが微笑んでこくりと小首をかしげた。

 前髪をぱっつんと切った白髪の姫カットにその仕草は恐ろしく似合ったが、それが恐ろしい。

 荒ぶる膨大な魔力は一二星将である二人を黙らせるに十分であった。


「は……イシュトアン様がそう言うのであれば」

「うむ。歌の先に行けと言うことであろう。敵将の……なんであったかな」

「ムジカです」

「そうじゃ、ムジカ。そやつは人の感性を手に入れたというのはウソではあるまいよ。あやつ『粋』というものを解しておる。それはもはや魔族の心ではあるまい」

「危険かと」

「うむ。であるから儂が見極めようというのだ。案ずるな」

「は……」

「人の心を持った魔族、か……なるほど。たしかにすぐに殺すには惜しいな。戦う前に話を聞いておきたい」

「であろう?」


 歌声にだんだん近づいて行くと、歌詞が聞き取れるようになる。

 それはやがて来る春を称え、千年の都を称え、一見栄華の歌であるようにも思える。

 だが、華やかなのにとても儚く、死を感じさせる歌だ。

 敵と差し違えて散る凄絶な覚悟をこの桜になぞらえている。


「戦いの歌、か……こんな戦いの歌もあるのだな」

「不思議と心に染みいる。これは人のための歌ではないな。魔族のために作られた音の連なりであろうよ」

「これが美しい、という感情か……悪くない」

「であろう」

「……」


 さらに近づくとそこには琴を弾く着物を着たクレーシャと、巫女装束でしずしずと踊るソフィア。

 そしてムジカは髪と同じ緋色の浴衣を着崩してさらしと股引を着ていた。

 浴衣の隙間から見える肌には胸に「酔生夢死」肩に「奇」の漢字が入れ墨として彫ってあるし、その白く小さい左手には蓮の花の入れ墨が。

 魔族基準で痴女を通り越して物狂いの服装である。

 その上で、ムジカは片手に紅色の大きな杯を手にしながら恐ろしく良く通る声で歌っている。


「よう」

「うむ。ムジカか?」

「そうだよ。あんたは?」

「イシュトアンだ」

「そっか。酒呑む?これアタシらでもちゃんと酔えるんだよ」


 ムジカはゴザの上でゆるりと膝を立てて座り、酒瓶から酒杯に澄み酒を入れてくいっと飲み干した。

 良い飲みっぷりである。

 いつもは三白眼になるほど見開かれている目は今日は眠たげにゆるりとしている。

 それすらも演出なのだろう。

 ムジカはもう一杯酒を杯に汲んで、イシュトアンに差し出した。


「クカカ、いただこうか」

「いいね。さすがは大長老イシュトアン。器が違うよ」

「カカッ、褒めても手加減はせんぞ?なに、殺し合う前に話の一つでも聞きたかったのよ。殺すのはいつでもできるが、殺してしもうては話はできんからのう」

「違いないね。カンパーイ」

「乾杯、か……自ら言うのは初めてだな」


 何の違和感もなくイシュトアンとケヒトはゴザの上に座っていた。

 互いに手が触れるほどの距離。いつでも殺し合える距離。

 それでも、イシュトアンは酒杯を受け取った。

 形の良い褐色の唇がこくこくと酒を飲み、ぷはっと飲み干す。


「うむ。美味い。これが美味いというものか……カカッ。やはり来てよかった。おぬしは少なくとも交渉をするに値する相手である」

「そりゃうれしいね。そんで、そこの兄ちゃんたちは飲まねえのか?アタシの酒を」

「ふむ、いただこう。美味いという感情も知りたい」

「……いらん。俺のことに構うな」


 ナァーザはもはやいらだちを隠しもせず突っ立っていた。

 残りの二〇人は所在なさげにうろうろしていたり、周囲を探っていたりした。

 中には、酒を羨ましそうに見る者も。


「そっか。そっちの兄ちゃんは……ええっと『最強』の獅子のえーと、ああ。ケヒトだったか?」

「ああ、ケヒトだ。お前は人の心を理解した魔族のムジカと聞いている。それは本当か?」

「ホントだよ。まじまじ。まあ飲んでみなって」

「ああ、わかった」


 極めて適当な態度で魔力からもう一つ杯を作り出して酒を注いでわたす。


「……なるほど。これが美味いというものか。アルコールの鼻と喉に抜けていく刺激と香りが心地よい。それだけではないな。海の味に、植物の甘さ……なるほど桜の香りか。嗅覚と味覚が今まで感じたことがないほどに鮮明に感じる。これがお前の領地で流行っているという『料理』とやらか……ふむ、これは研究に非常に役立ちそうだ」


 ケヒトもまた酒を飲み干し、ゆっくりを味わうと長文食レポを淡々と言った。

 これもまた魔族の習性なのだろう。


「んじゃ。酒でも飲みながら話そっか」

「うむ。戦の話は後でもできようぞ」


 かくして、両軍の主将が最前線で酒盛りをするという前代未聞の事態になった。

 つまり、すでにムジカの作り出す『演出』に全員が呑まれていたということだろう。

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